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2015年3月21日 (土)

客観性という価値観が植えつけられ、主観的であることの自由度が束縛されてきた時代だ

毎年のことながら、高校1年生が、2年次からのコース選択を決めるのがなかなか難しいようだ。簡単に言ってしまえば文系か理系かということなわけだけれど、理系人気の中、文系選択者はどことなく引け目を感じるようだ。

僕はかねがねこのブログで主張してきたことだけれど、文系力は大切だと思っている。理系は就職が有利だからとか、お金になるから当の理由で選択されることが多いようだけれど、生きる上で文系の持つ力は決して劣るものではない。

社会学にしても語学にしても文学にしても、勉強の基本は読書である。古今東西の書物を読み漁ることは、人生を生き抜くための薬であると思っている。

現代人の精神のもろさが露呈し始めている世の中で、鬱状態や自殺の増加は社会の大きな問題となっている。状況打開に必要な知識や感性は、読書によって作られることが多い。哲学や宗教だけではなく、古典文学の中には、人間の生きる指針が散りばめられている。現代文学もしかりだ

本を読んでなんになるんだ。書をすて街に出よと語った論客もかつてはいたが、外的行動が伴わなくても、内的行動がやがて熟成して、人間の行動規範を確かなもにしていくと僕は信じている。

思考ありきより、行動ありきの存在性が称賛されてきた社会であるが、我々現代人は、思考ありきの精神性をもっと重視すべきじゃないかと思っている。このことは決して理系の人間が現実的行動を優先して、思考的じゃないという意味ではない。

科学を重視すれば、必ず反動として歴史や社会学の学問が時代遅れに感じられる側面と言うものがある。経済活動からもそうであるし、利益と言う点からもそうかもしれない。その点では文学などはもっとだろう。

しかしこういう時代だからこそ、歴史学や人間学をテーマとした検証が必要な時なのではないかと思う。科学の発展は間違いなく人類の幸福に寄与してきた。しかし、同時に人間性の本質を見失ってきた時代でもある。

客観性という価値観が植えつけられ、主観的であることの自由度が束縛されてきた時代だ。文系力は、科学文明の中で、他者への価値観を排他的なもの、利便性のないもと錯覚してきた脳みそを、もう一度撹拌しなければならないと思う。

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