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2015年3月12日 (木)

いつかまた浪江の空を2015・3・11

 

バラエティー番組というものをあまり見ない僕だったが、鉄腕ダッシュの「DASH村」だけはかかさず見ていた。岩手一関の実家の農業を継いだものの、面白味がなく壁壁していたときに、TOKIOのメンバーが必死に百姓仕事に取り組む姿は、斬新で面白かった。

そのDASH村が、実は福島第一原子力が近くにある浪江町の山里であることを知ったのは、震災後のことだった。

番組の中で農業を指導する三瓶明雄氏(さんぺい・あきお)さんは、僕の父の世代の方で、50代半ばで亡くなった父が生きていたら、僕にこんな感じで百姓仕事を教えてくれたのではなかったかと、そんなことを思いながら毎週行われる手仕事の段取りの良さに、関心を寄せていた。

 

その三瓶さんも、震災伊達市の病院で亡くなった。週刊誌等の報道によると、死因は急性骨髄性 白血病だったとのことだが、放射能の影響は否定できないだろうと思う。心からご冥福をお祈りしたい

DASH村が縁で、震災後福島県浪江町のホームページをちょくちょく閲覧しているのだけれど、昨日上のような素敵な曲が紹介されていた。浪江町はすべての住民が強制避難している。

行政のHPを見ると浪江高校の校定の放射能値は10マイクロシーベルトを超えている。人が住める状況では全くない。故郷を思う人たちの哀愁が歌詞に込められている。悲しいけれど希望が見えてくる歌だ。

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