風景の変遷
仙台の教材屋さんから電話があって、市内の某塾が閉校することを知った。一関では一番歴史がある個人塾だ。
僕が25年前に塾を開講したときに、模範とした塾でもある。塾長さんとは面識はないが、一関の変わりゆく風景の中で、いつも塾業界をリードしてきた手腕に、尊敬し続けてきた大先輩だ。
これで合併前から存続してきた一関の個人塾は、僕の塾を含め3つだけになってしまった。
上の写真は釣り山公園から眺めた一関の街の風景だ。震災の前の年、桜の季節に写したものだ。
ダメダメ人間の僕は、仕事に行き詰ったり、ため息が多い日々になると、若い頃よくこの釣り山に登り、街の景色を眺めたものだ。生徒が集まらない年、人生が空回りしているように感じた時、僕は街を眼下に眺め、自分を鼓舞してきた。きっと僕と同じようにこの風景に癒されてきた人も多いのではないだろうか。
誰もが年をとる。自分の感性が時代をキャッチできなくなる日が必ず来る。毎年閉校していく個人塾のありようは、間違いなく将来の僕の姿でもある。
僕が独立する前勤めていた塾は、いずれも株式会社の塾だったが、今は存続していない。後継者へのバトンタッチが一番難しい仕事かもしれない。
時代の変遷は、教育のありようも変化させてきた。PCやケータイ端末の進化によって、学びの場はグローバルな領域に突入した。寺子屋的個人塾が求められるニーズも間違いなく多様化してきた。
自分のポリシーだけでは教育は成り立たない。また個人個人の生徒への対応も異質化してきた。僕はこどもたちとの対話を重視してきたが、そのこと自体がうざいという生徒もいる。30年以上塾教師をやってきても、毎年分からないことばかりだ。精進努力しなければならない。
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