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2015年3月

2015年3月31日 (火)

お酒の教訓

だいぶ前の話になるけれど、スマップの草彅剛さんが、酒によって裸で騒いでいて警察に通報されたということがあった。その時に書こうと思った記事を今頃になって思い出して、PCに向かっている。

東京は桜の見どころで、お花見の宴もたけなわの頃だろう。実はその酒の宴でもって、人生に於いて忘却できない汚点を僕は背負っている。

高校時代隠れてちょいちょいタバコはいたずらしていたが、酒の味を覚えたのは、通常通り20歳を過ぎてからだ。

僕らの頃は、大学に入れば成人とみなされ、タバコも酒も咎めは受けなかった。ところで酒を覚えたての頃というものは、自分の酒の適量というのか限界を認識していないのが世の常で、酔いつぶれて失態をさらけ出すことは多い。

かく言う僕もそうだ。大学の先輩らとアパートで酒を飲んでいた僕は、飲むほどに調子が出てきて、ウイスキーのボトルをイッキ飲みした。・・・・・と、そこまではしっかり記憶があるのだけれど、その後何がどうなってこうなったのか分からないけれど、アパートからだいぶ離れた公園で朝を迎えている自分に気が付いた。それも完全なる裸で。この状態を日本語では素っ裸と言う。

ガンガンする頭痛の中で、僕は自分の姿にうろたえた(当たり前だ何も着ていないのだから)。近くの民家に干されていたズボンとTシャツを拝借して(後日そっと返却しておいたが・・・)いそいそとアパートにたどり着いた。

後日先輩に、自分が何をやらかしたのか尋ねたのだけれども、「かねごんくん、知らないほうが君のためだ」と言って、それ以上は語らない。

空白の数時間、僕は何をやらかしたのだろう。あれから35年近くの歳月がたった。僕はその時の教訓を肝に銘じて生きてきたので、その後の人生に於いて、酩酊して記憶を失うということは一度もない。

もう時効だから恥を忍んで書くが、その公園のそばにひっそりと、当時ビニ本と呼ばれた男性向けの哲学書が売っている自販機があったのだけれども、そのガラスケースが粉々になっていた。僕じゃないよな~と自問自答したけれど、全く記憶がない。

得た教訓その1 

ウイスキーの原酒をイッキ飲みしてはいけない。

得た教訓その2

酔った時には哲学書等の自販機のそばに行ってはいけない。

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2015年3月30日 (月)

たかだか3000円~5000円の広告掲載料ではあるが

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この季節になると市内の高校より音楽部や吹奏楽部の広告協力の便りがやって来る。昔の記事でも書いたが、基本的にお金が絡む大事なお便りと言うものは、まず宛名が間違ってはいけないし、基本的に宛名は手書きであるべきだと僕は思っている。

写真の封筒は先週届いたものだ。上の封書は、某県立高校から送られてきたものだが、手書きじゃないし、さらには僕の塾の文字が間違っている。下は市内の某私立高校から頂いた封書だが、しっかり手書きの宛名で、当然のことながら文字も間違っていない。

送られてきた県立高校の音楽部のパンフレットには20年近く広告協力を行ってきた。協賛企業に送る宛名を、もう一度見直すべきではないだろうか。たかだか3000円~5000円の広告掲載料ではあるが、僕の塾にしてみれば、生徒の1か月の月謝に相当する金額だ。道楽でお金を出しているわけではない。

県立高校の広告掲載の方は、申しわけなかったけれどお断りした。このようなことに目くじらをたてるのも確かに大人げないかも知れないが、世の中の経済状況が厳しい中、学校のやることだからと言って傍観することは出来ない。

僕は字は汚いけれど、年賀状や一般の手紙の宛名はすべて手書きで書いている。PCが便利なことは百も承知だけれど、宛名くらいは手で書くべきだと、勝手に僕は思っている。

商店さんや企業さんから協賛してもらうのに、毎年パソコンで企業の名前のミスを確認することなく2年連続間違った宛名の手紙を配送するというのはいかがなものだろうか。これが商売上の取引だったら、一発アウトだ。

確かにこの時期入学の準備やら引継ぎやらで先生方が多忙なのは重々承知している。しかし私立高校ができることは、県立高校に於いてもできることじゃないだろうか。

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鈍才の楽しみ

昨日は今年度最後の市内の大きな卓球の試合だった。花泉卓球部女子は、埼玉で行われる全国大会に出場のため、花泉は男子のみが参加。男子はBチームは予選敗退。Aチームは予選で小学生チームに敗退という最悪の状況を生み出してしまったが、なんとか決勝トナーメントだけには駒を進めることが出来た。

最後まで試合の指揮をとらなければならなかったのだけれど、夜から地域の納税組合の本年度の趣旨決算報告の総会があったために、途中で体育館を後にした。それにしても納税組合長も11年目に突入する。

休みの日は、なにかと公私にわたって仕事があり、卓球のコーチもままならない状況だ。花泉卓球部女子は、3年連続の全国大会出場だ。女子のコーチは、僕の中学校時代の卓球部の先輩たちである。還暦をもうすぐ迎える大御所だけあって、子どもたちの性格を読み取る指導は逸品だ。

卓球は小さなボールを近距離で打ち合う競技だけに、相手の顔の表情や態度、息遣いまで手に取るようにわかる。その状況に対して、選手がどのように自分の持ち球を処理するか、守るか、まさに心理戦だ。緊迫した試合では、技量よりも精神のタフさが勝敗を決める。

日常の生活が試合に現れると言ってもいいだろう。卓球は頭がよい選手じゃなければトップにいけない。頭がいいと言うのは成績だけの話ではない。自己管理能力、そして相手との心理戦に於ける駆け引きの能力が優れていることだ。このことはすべてのスポーツに言えることだけれど、ボール競技のなかで一番小さいボールを、あの小さな台で打ち合うスポーツだけに、一瞬一瞬の判断能力は全身の細胞を活性化しての対応を要求される。

卓球は生涯スポーツとして非常に素晴らしいスポーツだ。毎週月曜日に市内の生協で卓球サークルが行われていて、僕も13年間ほど籍を置いている。80歳近いパワフルが熟年のプレーやーが、ものすごいスマッシュを打ち込んでくる。50歳半ばの僕が一番若いのだけど、僕が一番汗をかいている感じだ。その中の77歳の方が、保健所で健康チェックを受けてきたそうで、血管年齢が50代並だと言われてきたそうだ。

僕が初めてラケットを手にしたのは小学3年生の時だった。気の遠くなる歳月卓球をやってきた気がする。多くの素晴らしいプレーヤーに出会ってきた。人間というのはいろんな才能があるものだ。練習して得るものも多いけれど、明らかにそのプレーは神業だろうというプレーをさりげなくこなす選手もいる。

生まれつきの才能というやつだろう。でも僕は才能がなかったから卓球を続けてこれた気がする。鈍才の楽しみというやつだ。卓球会場でかつて一緒に汗を流した中学生が大人になっても卓球を続けている姿を見ると、自分のことのようにうれしい。ここにも鈍才がいる。頑張れ!と心で叫びたくなる。

さて鈍才は今日も春期講習の指導に向かうか・・・・。

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2015年3月29日 (日)

ご先祖様も許してくれるだろう・・・

種まきに使う土を軽トラックに積み込んで買ってきた。来月の半ばには水稲の種まき作業を行わなければならない。田植え機も30年以上になる。骨董品だ。これが壊れたら、農業機械を買う余裕もないし、水稲農家を廃業しようかと思う。

国の買い取り価格が30キロ4500円では、全く採算が合わない。農家をやめてお米を買って食べた方が安上がりだ。

かつては無農薬で、天日干しのお米を作っていたので、欲しい方には30キロを10000円で買って頂いていたが、東京電力福島原発崩壊後は、無農薬の意味がなくなり、放射能米などと揶揄されるお米になってしまった。無農薬も天日干しもやめ、刈り入れ等の作業はすべて委託している。

その結果JAへ出荷したコメ代金が13万ほどで、委託作業に支払った代金が16万だった。そのほかに、土代やら種もみ代、水上げポンプにかかったガソリン代等を引くと、10万ほどの赤字になる。

普通の人はとっくに農業はやめている状況だ。僕の家は農業で生計を立ててきた。僕で18代目になる。400年近くこの地で農業を営んできた。飢饉のときもあっただろう、ひょっとすると娘を身売りしたなんてこともあったかもしれない。それでも脈々と命が引き継がれてきたのは、大地からの恵みのおかげだったろうと思う。その恵みを僕の代で放棄してしまうのは、ご先祖様への冒瀆のような気がしてならないのだ。

父は大工をしながら農業を守ってきた。祖父は桶職人をしながら農業を守ってきた。僕は塾をやりながら、耕作面積こそ半分になってしまったけれども、それでもなんとか続けてきた。しかし我が家の生業としてきた稲作農家は、そろそろ終焉を迎える。時代の流れには逆らえないのだと思う。

僕もあと何度、田植え作業をするのだろうか。休耕田50アールの草刈作業はまだどうにか頑張れそうだが、稲作のほうは、やればやるほど無常観が漂って来る。農家の長男に生まれた理由というものを考える時があるが、まあここまでやってくれば、ご先祖様も許してくれるだろうと、勝手に思っているかねごんである。

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2015年3月28日 (土)

テレビやラジオから流れてくる『山菜の美味しい季節ですね』などと言う言葉を鵜呑みにして、山菜取りに出かけてはいいけない

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春は山菜の季節だ。しかし4年前の東京電力福島第一原子力発電所のメルトダウンによって放出された放射能は、福島県・宮城県・岩手県の山々を汚染し、地域によっては、チェルノブイリ原発によって廃村になった場所と同じような放射能レベルの汚染度となっている。

野生動物もそうだ。熊や日本カモシカのどは依然として食するには危険な値を示している。

地上の空気汚染を計るガイガーカウンターの値は確かにかなり低くなった。しかし野山に於ける山菜やキノコのセシウムの値は決して低くはなっていない

テレビやラジオから流れてくる『山菜の美味しい季節ですね』などと言う言葉を鵜呑みにして、山菜取りに出かけてはいけない。市町村が発表している山菜等の値を確かめて食するべきだ。たとえば林野庁はホームページで岩手県内で出荷制限されているキノコ・山菜 等の報告を行っている。

出荷制限しているということは、放射能値が高くて危険ですよということだ。新聞やテレビやラジオがこういった報道や報告をやらないので、お年寄りなどは季節がやってくると里山に出かけてしまう。その結果どんなことが起こっているだろうか。

ここで僕が憶測で何かを書くと、迷惑メールの嵐に逢う。経験済みだ。迷惑メールだけならまだしも悪質なvirusをご丁寧にも添付してくる。震災後僕は買ったばかりのPCをダメにした。

お金がないのに、アメリカから水道水の放射能物質を除去する浄水器を買った。PCをvirusから守る高性能のvirusバスターを購入した。放射能値が高かった自宅周辺の杉林をすべて伐採して放射能物質として業者に処理してもらった。爪に火をともすごとく、蓄えてきたお金がすべて消えた。通帳の残高が58円になった。これって僕の責任だろうか。

風評被害に負けないで・・・なんていう言葉を何度も聞いてきたが、農家を助けたいのなら、風評被害などという言葉を使わないで、東電や政府はもっと誠意をもって農家を救済すべきだ。

安全な食品だといわれ流通していくものの中に、安全じゃないものが間違いなく紛れ込んでいる。里山から採った山菜を、ハウス栽培の安全な山菜だと言われたらあなたは食するだろうか。このふきは汚染がされていない秋田から採ったものだと言われてら、「いらない」と断れるだろうか。

自分の健康や命は、自分で守らなければならない時代だ。残念だけれどそれが現実だ。タバコは食料品じゃないので、ものすごい値の葉タバコが喫煙する人の肺の中に蓄積されて行っている。日本たばこを毎日吸っている人は、葉タバコのほとんどがどこで栽培されているか知っているだろうか。

僕は一応塾教師なので知っている。未だに山菜やキノコが出荷制限になっている地域と、葉タバコの栽培地が・・・・・・・になっていることをご存じだろうか。

山菜やキノコも危険だけれど、それ以上にタバコは危険だと思う。ご考慮願いたい。

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2015年3月27日 (金)

新年度入会者受付中!

今日は暖かかった。春期勉強会が始まり、毎日朝9時から夜9時まで教室にいるものだから、外の気配に鈍感になってしまっていたが、今日は暖かさに誘われ、生徒が途切れた夕暮時に、磐井川の土手を散策した。

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須川岳のシルエットが夕暮れの西の空に浮かび、春を思わせる暖色の空が、広がっていた。もうそろそろ蝙蝠(こうもり)が飛び交ってもいい季節のようだが、まだ今年は目にしていない。

そういえばいつの間にか白鳥が姿を消した。川べりの木々もちらほらと新芽をのぞかしている。昨日から新年度の月謝袋を塾生に配布している。秋には消費税がまた上がるようだが、今年も値上げをせずに頑張りたい。そのためにも新規の入会者が入って欲しい時期である。

親戚、知人、友人のご子息が塾をお探しなら、どうかかねごん塾をご紹介頂けば幸いです。大手の塾のようにテレビCMどころか、例年のことながら新聞折り込みもままならぬ零細塾ですが、生徒を指導する情熱は大手には負けません。

なにとぞ大験セミナーをよろしくお願い致しますm(_ _)m。

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退塾生の突然の訪問

子どもと言うものは、不用意に言葉を発する。大人もそうかも知れないが、大人の場合はその言葉の裏側に何かしらの意図を持っているので、まだ子どもと違って対処がしやすい。

昨日僕が自習室で愛妻弁当(笑い)を食べていると、昨年の秋に退会した男子生徒がやってきた。受験前の秋に退会する受験生というのも、僕の塾では珍しいものだから、彼の突然の登場に意表を突かれた

高校に合格したことを報告に来てくれたのはとても嬉しかったのだけれど、途中でやめて行った意図がいまいち理解できなかったものだから、いろいろ話を振ってみた。

途中退会した生徒に発する言葉ではないと思ったけれども、部活の後輩や友人で塾を探している生徒がいたら、僕の塾を紹介してくれないかなと言ったところ、こんな言葉が返ってきた。

『誰もこんな塾なんて来ないですよ』

さすがの僕もちょっとムカついたので、春期講習の午後の部が近づいてきたので、その後無視していたら、彼も指導室についてきた。

昨日の午後はたまたま生徒がいっぱいで、次から次へとやって来る生徒にたじろいだのか、突然やってきたのと同様に突然帰って行った。

春期講習など閑古鳥が鳴いているのだろうと思って、冷やかしにきたのだろうか。それとも彼に対して何か大きな勘違いを僕はしていたのだろうか。

彼は僕の塾に来る前は、大手のフランチャイズ塾に通っていた。僕の塾をやめたのち、また別の塾に行ったのだろうか。あえて聞かなかった。

『誰もこんな塾なんて来ないですよ』という言葉の意味を、どう咀嚼したらよいのか昨日はずっと考えていたかねごんである。落ち込むことはなかったけれど、彼の意図が読めない自分の不甲斐なさにちょっと自分自身が戸惑っていた。

ちなみに昨日の彼は、僕の塾に通い始めた時は、前にいた塾を散々けなしていた。自分の不甲斐なさをいつも誰かのせいにして生きていくことは、ストレスがなくていいかも知れない。しかし、信頼とか信用という言葉とはかけ離れた人生になって行くことも確かだろうと思う。

昨日はいろいろと考えさせられた。

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努力は君の未来を裏切りはしない

高校2年の秋からだったろうか。旺文社の大学受験ラジオ講座のテキストを買ってきてラジオを聴き始めた。ほぼ40年前のことである。進学校でない高校に通っていた僕にとって、最初に目にしたテキストの内容はちんぷんかんぷんだった。大学受験というものが、宇宙の果てに輝く名前の知らない星団を眺める思いだった。

予備校に通うお金があるわけじゃなし、受験用の高価なテキストも買えない僕にとって、ラジオから聞こえてくる先生方の講義は、理解に困難を要したことは間違いなかったけれど、知識欲を刺激されたという点に関しては、僕のその後の人生を変えてくれたラジオ番組だった。

文系志望の僕は英語と国語だけを聞いたわけだけれど、受験勉強を始めた時の、暗闇の中を彷徨っているような不安感を、ラジオ講座の先生方は癒してくれた。

今僕は毎年受験生を教える立場にいる。大学入試に必要な英語は、本当に様々な教材で習得できる時代になった。入りの悪い短波ラジオの前で、未来を夢想していた高校生は、今は初老のおやじになってしまった。

自分が夢想した世界を生きてきたとは言えないかも知れないが、自分が夢想した断片は、ちょっとだけつかめたのかなと思う。

大学入試の結果を踏まえ、再チャレンジを決めた受験生もいることだろう。大丈夫、努力は君の未来を裏切りはしない。

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2015年3月26日 (木)

風景の変遷

仙台の教材屋さんから電話があって、市内の某塾が閉校することを知った。一関では一番歴史がある個人塾だ。

僕が25年前に塾を開講したときに、模範とした塾でもある。塾長さんとは面識はないが、一関の変わりゆく風景の中で、いつも塾業界をリードしてきた手腕に、尊敬し続けてきた大先輩だ。

これで合併前から存続してきた一関の個人塾は、僕の塾を含め3つだけになってしまった。

クリックすると新しいウィンドウで開きます

上の写真は釣り山公園から眺めた一関の街の風景だ。震災の前の年、桜の季節に写したものだ。

ダメダメ人間の僕は、仕事に行き詰ったり、ため息が多い日々になると、若い頃よくこの釣り山に登り、街の景色を眺めたものだ。生徒が集まらない年、人生が空回りしているように感じた時、僕は街を眼下に眺め、自分を鼓舞してきた。きっと僕と同じようにこの風景に癒されてきた人も多いのではないだろうか。

誰もが年をとる。自分の感性が時代をキャッチできなくなる日が必ず来る。毎年閉校していく個人塾のありようは、間違いなく将来の僕の姿でもある。

僕が独立する前勤めていた塾は、いずれも株式会社の塾だったが、今は存続していない。後継者へのバトンタッチが一番難しい仕事かもしれない。

時代の変遷は、教育のありようも変化させてきた。PCやケータイ端末の進化によって、学びの場はグローバルな領域に突入した。寺子屋的個人塾が求められるニーズも間違いなく多様化してきた。

自分のポリシーだけでは教育は成り立たない。また個人個人の生徒への対応も異質化してきた。僕はこどもたちとの対話を重視してきたが、そのこと自体がうざいという生徒もいる。30年以上塾教師をやってきても、毎年分からないことばかりだ。精進努力しなければならない。

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2015年3月25日 (水)

どうにもならないことは忘れてしまうのが一番幸せだ

ドイツのことわざに、どうにもならないことは忘れてしまうのが一番幸せだというのが、あるらしい。

本当に忘れてしまいたいことはたくさんある。掌の指を数え終わると還暦がやってくる年だが、多くの恥と、多くの後悔が、身体と脳裏にしみこんでいて、思わず叫びたくなる時がある。

子どもの頃、人生はなんて長いのだろうと思った。この年で自分の人生を振り返ってみるとやっぱり長かった。長すぎて本当に様々な想いが、巡りくる。

高校受験に失敗した年の夏、僕は川島英吾のライブに1人で出かけて行った。会場は一関体育館。体育館があった場所は現在一関図書館になっている。

ギター一本で歌う彼の歌の迫力に、僕はたじろいでしまった。彼は歌手と言うよりは、宗教的伝道師なんじゃないかと思った。川島の弾くギターやピアノは、決して上手いとは言えないが、魂を揺さぶる音だ。

ラオケでこの歌を歌うおじさんは多い。僕は川島英吾の歌は歌わない。いや歌えない。彼の書いた歌詞が、僕のようなだらだら人間には神聖すぎるのだ。

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2015年3月24日 (火)

桜の季節が待ち遠しい

夜中から降り出した粉雪は、また真冬のような風景を作り出した。

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稲作の苗用のビニールハウスを準備した家もあるというのに、また雪だ。そう言えば4年前の震災後の時もこんな雪が降って、東北の大地は放射能に汚染されてしまった。まさに痛恨の雪だった。

一昨日の日曜日に、松の木の雪枝つりの縄をぼちぼち外そうかなと思ったのだけれど、まだまだ油断が出来ないようだ。冬タイヤを交換している光景も見受けられたが、今朝はまた路面が凍結している。運転には十分気を付けて頂きたい。

春期講習が始まって、塾の教室に12時間居る僕は、テッィシュボックスがいくらあっても足らない。鼻をかむ不快な音をたて続けて生徒の皆さんには申し訳なく思っている。

呼吸困難に陥りそうな今年の春は、本当に参っている。塾生より、どこそこの病院の薬が効くよとアドバイスを頂くのだけれど、今年は経験上、僕にはいかなる薬も無理なようだ。耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ日々だ。

桜の季節が待ち遠しい。さて今日も頑張ってくるか!

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春期講習会がスタート

本日より春期勉強会が始まった。新中1年生1名、新中2年生4名、新中3年生3名、新高校1年生4名が参加しての春期勉強会だ。

正直新中3生にはもう少し受講してもらいたかったが、部活等の個々の都合もあったようなので、しょうがないとしよう。

午後になって突然一関は吹雪になった。春期講習の時期になって吹雪になったのは、僕の記憶に間違いがなければ、四半世紀の塾屋稼業で3度目の経験だ。

もうすぐ日付が変わろうとしているが、今も粉雪が舞っている。寒い。花粉は猛烈に飛翔しているし、雪は降るしで、めちゃくちゃな天候だ。

中学3年生は来月早々修学旅行だ。新制磐井中学校は沖縄、桜町中学校は東京、そういえば一関中学校は昨年北海道だったけれど、今年はどこだろう。聞くのを忘れた。

春期講習が始まり、実質的に新年度に突入した。受験結果は大学受験、高校受験ともども全員が志望校合格を達成したが、附属中学受験は、2名を合格に導くことが出来なかった。もう反省である。

今年度は新高3生が在籍しないまま4月を迎えそうだ。そのかわりと言っては何だが、新高校2年生、新高校1年生の在籍数は例年より多い。じっくり受験指導に力を入れて行きたい。

ややもすると花粉症に打ちのめされてしまいそうな今年の春だが、鼻と目を真っ赤にしながら頑張りたい。

くしょん!

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2015年3月23日 (月)

英語を必要とする方の昼ゼミのご案内

ワンツーワンによる英語レクチャー

大学受験浪人の方や、仕事で英語を必要とするための英語完全個別指導です。

英語を武器にこれからの時代を生き抜いていく方をとことんサポートします。

  大学受験のための英語もOK。英検のための英語ももちろんOK.

個人のニーズに合わせて、英語力のアップをサポートします。

年齢、資格、学歴は一切問いません。必要とする英語をレクチャーします。

    過去に受講された方の目標レベルを紹介します。

●塾を開いて英語を教えたいので、高校英語を復習したい。

●アメリカに留学をしたいのだけれど、英会話に必要な基礎英語を身に着けたい。

●会社で昇進のために英検2級を取得したい。

●大学受験のための英語をなんとかしたい。などなど・・・・

    【指導時間】

    月曜日~金曜日

    午前9時~午後3時の時間帯の指導になります。

    【費用】

    1時間2600円のレクチャー費用となります。

    曜日・時間帯に関してはご相談下さい。

    入会金・光熱費等の雑費は頂きません。

※申し込みは随時受け付けいたしております。新年度は4月3日より昼ゼミがスタートします。

(申込・詳細の問い合わせ)大験セミナーまで

    0191-23-0824

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2015年3月22日 (日)

「あんた本の読み過ぎなのよ」

ブログで自分の読書体験を何度となく書き綴ってきた。本に関する記事を読み直してみてふと思ったことだけれど、自分の読んできた本をさらけ出す行為というのは、中学生がベットの下に隠していたエロ本を母親に見つかってオロオロしている感覚に等しいのだということを、今更ながらに思い知った

しかし書いてきてしまったものはしょうがない。開き直って、恥の上塗りをしたい。

かつては親に言われ、今は女房に言われている。「あんた本の読み過ぎなのよ」

25歳までの僕は、毎月もらう給料をパチンコ代と本代ですべて使い尽くしていた。はっきり言って病気だった。大学を終わってからの4年間は、仕事以外の時間は、本を読んでいるかパチンコをしているかだった。何かに憑りつかれていたのかも知れない(笑い)。

さすがに結婚をし子どもがうまれてからはパチンコとは決別した。煙草もやめた。一方家計における本のエンゲルケースーはうなぎのぼりに増大していった。本貧乏と言っても過言ではない生活だったような気がする。

15年ほど前から、大手古本屋が数件一関に開店し、僕の本貧乏はだいぶ緩和された。100円コーナーの書棚は宝の宝庫だった読みたくても買えなかった本が100円で手に入る喜びは、天にでも上る気持ちだった。

そういうことで僕の読書病は完治することなく続いている。震災後稲作農業の作業は、田植えと休耕田の草刈以外はすべて委託している。農家収入は赤字になってしまっているが、本を読む時間は増えた。震災後塾の生徒も減ったので、これまたますます本を読む時間が増えた。

ゆえに学生の頃のように年間300冊を超える読書量が震災後復活した。実は家計のことを考えると、のんきなことも言っていられないのだけれど、『暇なときは焦らずに本でも読むか』というのが僕の人生哲学なので、そういうことになっている。

昨年は一関の図書館が新築され、ようやく文化的な図書館が誕生した。僕の長年の悲願だった。これによって、僕が高校生の時に目標として掲げた、生涯読書数1万冊も経済的に夢ではなくなってきた。なにせ新刊本でさえ、リクエストできるのだ。うひょ~という感じである。

自分が読みたい本をただで読める快感は、かけがえのない喜びだ。ただ本屋さんは大変だろうなと思う。これも時代の流れだろうか。

学生時代よく神田の古書店に足を運んだ。読みたい本が定価の数倍なんてことがしょっちゅうだった。今のように図書館の書籍がPCで管理されていて、県内の図書館からPC検索で本を借り出すことなど夢のような時代だった。

神田に行けば目的の本が必ず見つかった。しかしお金はかかった。僕にとって本は、恋人のような存在だ。現実の世界では絶対経験できないことが、本のなかでは経験できる。僕は死ぬ日まで本は手放せないだろうと思う。あとどれくらい、僕は人生を体験できるだろうか。楽しみだ。

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荻原浩の世界

最近僕が読んだ本のリストである。

  • 1997年 - 『オロロ畑でつかまえて』で第10回小説すばる新人賞受賞。
  • 2003年- 『コールドゲーム』で第16回山本周五郎賞候補。
  • 2005年
    • 『明日の記憶』で第2回本屋大賞第2位、第18回山本周五郎賞受賞。
    • 「お母様のロシアのスープ」で第58回日本推理作家協会賞(短編部門)候補[6]
  • 2006年- 『あの日にドライブ』で第134回直木三十五賞候補。
  • 2007年 - 『四度目の氷河期』で第136回直木三十五賞候補。
  • 2008年 - 『愛しの座敷わらし』で第139回直木三十五賞候補。 
  • 2011年- 『砂の王国』で第144回直木三十五賞候補。
  • 2014年- 『二千七百の夏と冬』で第5回山田風太郎賞受賞。

先月の末から今月にかけての僕の読書の旅は、荻原浩の作品だった。僕より4歳ほど年上の荻原氏の作品ではあるが、社会通念の基盤が同じと言ったらいいのか、常識の虚構を探る感覚が同じというのか、戦後の高度経済成長のど真ん中で育ってきた世代が持つ哀愁が漂う作品群だ。強烈なシンパシーを覚える。

若年性アルツハイマー病をテーマにした『明日の記憶』が彼の作品の中では一番認知度が高い作品だと思うが、僕の一押しは『砂の大国』だ。

40代の一流の証券会社に勤めていたサラリーマンが、会社を辞め、家族に去られホームレスになって行く話なのだが、そこから主人公がのし上がって行く復讐劇は圧巻だ。どんでん返しのこの物語は、日ごろ会社や家庭に何らかのストレスを感じているサラリーマンパパたちにとって、痛快現代劇であるとともに、一種の恐怖でもある。

自分が勤めている会社の存続や、営む仕事に不安のある方は逆に読まないほうがいいかも知れない。幸福の端っこに横たわっている深淵を、のぞきたくない人は多いだろうと思う。

久しぶりに睡眠や食事を忘れて読み耽った小説だった。荻原浩の小説は、多くの毒気を含有しているが、その毒気が現代に生きる人間の本性を引き出して行く。荻原浩はたぐいまれなストーリーテラーである。

どの作品も軸がぶれることなく、安定した彼のまなざしを感じる。視野の広さが抜群の作家だ。ぜひ荻原文学の世界に触れてみて頂きたい。

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2015年3月21日 (土)

客観性という価値観が植えつけられ、主観的であることの自由度が束縛されてきた時代だ

毎年のことながら、高校1年生が、2年次からのコース選択を決めるのがなかなか難しいようだ。簡単に言ってしまえば文系か理系かということなわけだけれど、理系人気の中、文系選択者はどことなく引け目を感じるようだ。

僕はかねがねこのブログで主張してきたことだけれど、文系力は大切だと思っている。理系は就職が有利だからとか、お金になるから当の理由で選択されることが多いようだけれど、生きる上で文系の持つ力は決して劣るものではない。

社会学にしても語学にしても文学にしても、勉強の基本は読書である。古今東西の書物を読み漁ることは、人生を生き抜くための薬であると思っている。

現代人の精神のもろさが露呈し始めている世の中で、鬱状態や自殺の増加は社会の大きな問題となっている。状況打開に必要な知識や感性は、読書によって作られることが多い。哲学や宗教だけではなく、古典文学の中には、人間の生きる指針が散りばめられている。現代文学もしかりだ

本を読んでなんになるんだ。書をすて街に出よと語った論客もかつてはいたが、外的行動が伴わなくても、内的行動がやがて熟成して、人間の行動規範を確かなもにしていくと僕は信じている。

思考ありきより、行動ありきの存在性が称賛されてきた社会であるが、我々現代人は、思考ありきの精神性をもっと重視すべきじゃないかと思っている。このことは決して理系の人間が現実的行動を優先して、思考的じゃないという意味ではない。

科学を重視すれば、必ず反動として歴史や社会学の学問が時代遅れに感じられる側面と言うものがある。経済活動からもそうであるし、利益と言う点からもそうかもしれない。その点では文学などはもっとだろう。

しかしこういう時代だからこそ、歴史学や人間学をテーマとした検証が必要な時なのではないかと思う。科学の発展は間違いなく人類の幸福に寄与してきた。しかし、同時に人間性の本質を見失ってきた時代でもある。

客観性という価値観が植えつけられ、主観的であることの自由度が束縛されてきた時代だ。文系力は、科学文明の中で、他者への価値観を排他的なもの、利便性のないもと錯覚してきた脳みそを、もう一度撹拌しなければならないと思う。

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2015年3月20日 (金)

もう大変!

ここ10年間でこんなに花粉症でギブアップ状態になったことはない。薬は効かないし、鼻はかみ過ぎで真っ赤っか。目は完全にウサギの目だ。

来週の月曜日から春期勉強会が始めるというのに、この状況は大変だ。自宅から塾に向かう途中、杉林から黄色い粉が舞い上がっていた。火事かと思えるような花粉の煙幕。

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岩手に住んでいて言うのもなんだが、周りは山だらけ。山の杉の木を全部切り倒したくなる季節だ。この時期だけ花粉が飛ばない国に避難したい。

やあ~参った

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2015年3月19日 (木)

高校3年生の英語力は英検3級程度

 文部科学省は17日、高校3年生を対象に英語の「読む、聞く、書く、話す」の4技能の学力を調べた英語力調査の結果(速報値)を公表した。「読む、聞く」の平均的学力は英検3級(中学卒業程度)相当、「書く、話す」はさらに低く、書くは過半数が正解率1割以下だった。国の教育振興基本計画の目標(高卒時英検2~準2級程度)とは大きな差があり、英語嫌いの生徒も多かった。
 調査は国公立高校の約1割の480校を抽出し、3年生約7万人を対象に実施。4技能それぞれを試験し、国際標準規格「CEFR」の基準で、学力が中学レベル(A1=英検3~5級程度)から海外大学留学に必要なレベル(B2=同準1級程度)のどの段階に相当するかを調べた。
 試験結果では、「読む」の平均点は129.4点(満点320点)で72.7%がA1評価。「聞く」は120.3点(同)でA1が75.9%。B2評価は0.2~0.3%だった。
 「書く」でB2評価はわずか5人。英語の音声を英文要約する不慣れな出題形式も影響して点が伸びず、140点満点中15点以下が約55%に上り、0点も約3割いた。「話す」は各校1クラス程度の抽出実施で、A1が87.2%を占めた。
 アンケート調査では、英語を嫌いな生徒が58.4%。海外留学やビジネスに必要なレベルの習得を目指す割合も約14%にとどまった。
 (時事通信3月17日)

日本人の英語能力はなぜ低いのかということがずっと言われ続けてきた。学校教育がいつもその原因だと指摘されてきたわけだが、日本人は英語が必要じゃない国民だから、英語力が身につかないのだと僕は思っている。

受験に英語が出るので仕方なくやっているのだ。

国際社会・国際社会と連呼されるが、本当に英語が必要だと国民が思っていないから、日本人の語学力は近隣のアジアの国々のようにはならないのである。

よく言えば、日本語というものにプライドがあるのだろうと思し、英語を話す国々の人々に対して、世の中が論じるほどに、レスペクトしているわけではないのだろうと思う。

実は大学受験があるから英語を学ぶというのも怪しい。私立大学の定員の半数はいわゆるAO入試や推薦で決まる。英語のテストを受けなくても大学に入れるのだ。高校3年生の英語能力が英検3級程度というのは、逆に評価していいのではないだろうか。

30年以上高校生に英語を教えてきて実感することは、日本の高校生にとっての英語というのは、習字や華道のような手習いのようなもので、教養人としてのたしなみを身に着ける感覚なのではないかと思っている。

その証拠に、真剣に英語の真髄を教えようとすると、生徒は英語から離脱してしまう。塾でもそうなのだから、高校での姿勢もしかるべしである。受験に大切だと言えばこそ耳を傾けてくれるが、実務英語のレベルでは御免こうむりたいというのが、高校生の実情のようだ。

海外での仕事や英語教師を目指す高校生と、そうじゃない高校生の意識の差は歴然としている。受験英語というニンジンを鼻先にぶら下げても、普通に英語を使うレベルを日本人の高校生に浸透させることは難しいようだ。

僕らが英語指導で要求されるものは、やっぱり受験英語であるわけで、それ以上でもそれ以下でもないようだ。

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水は命の元

僕の母は毎日朝食前に仏壇にお茶とお水、そしてご飯をお供えする。僕は自宅庭に祀ってあるお明神様にお塩とお水をお供えする。塾の教室の神棚のお水も、毎日もちろん取り替えている。

ご神仏へのお水も大切だけれど、生きとし生けるものが命を育んでいくために水は欠かせない。命の元だ。水は我々人間の心を転写することをご存じだろうか。

2つコップを用意して、水道水を入れる。同じ日に摘んだ野の花をそれぞれのコップに活ける。1つのコップの下には『愛しているよ』と書いた紙を敷く。もう一方のコップの下には『馬鹿』と書いておいておく。

どうなるでしょうか?

『愛しているよ』と書いたコップの水は、濁ることもなく、『馬鹿』と書いた花の寿命の倍くらいになる。ぜひ実験して見てください。

僕らの身体の60パーセント以上は水で出来ている。ということは、相手に発する言葉やメールなどの文字の波動も、身体の水を通して影響を及ぼしているはずだ。

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わが家ではスパーから買ってきた万能ねぎの根っこは捨てない。水に漬けておくだけで右の状態から3、4日で左のねぎへと再生する。水に感謝である。

東京電力福島第1原子力発電所から海に漏れ出している放射能汚染水は、太平洋の水に転写されている。海の水を浄化するためには、70億の人間の愛の転写が必要である。簡単なようで簡単ではない。毎日生活のために使われていく水に、70億人の人間が感謝の心を現すだけで、地球は間違いなく浄化されて行くのではないだろうか。

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2015年3月18日 (水)

猫神様降臨

花粉症がマックスで、思考能力が低下。ぼ~としている。

こんな時にブログを打ち込むと、訳の分からない方向にさまよい始めるので、静かにしていればいいのだけれど、ブログ依存症なのでついついPCの前に陣取ってしまう。

僕の家には猫がいる。寒い日は、天井近くが暖かいのだろう、神棚の社の横で気持ちよさそうに眠っている。まるで猫神様だ。

その猫神様なのだけれど、僕がPCを打ち込み始めると、PCの上のプリンターの上に陣取り寝たふりをしている。半目を開けて、僕を観察している。

5日前のこと、ちょっと過激な記事を書いていた。書き終わったので公開のボタンを押そうとしたその瞬間のことである。猫神様が、プリンターから飛び降りて、偶然にもマウスに彼女の足がヒットし、こともあろうか30分以上かけて打ち込んだ記事を削除にしてしまったである。

あぜ~ん

きっと公開してはいけなかった記事だったのだろうと思う。

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わが家の猫神様は今日も日和がいいようで、気持ちよさそうに眠っている。僕の記事を消す神通力があるならば、招き猫のパワーも発揮して、塾に生徒を連れてきてくれないかと、神頼みならぬ猫頼みのかねごんである。

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2015年3月17日 (火)

勝つとか負けるとか余計なお世話だろうと思う

気持ちのいい努力は必要だけれども、忍従の努力は継続しない。人生楽しくなければ生きる張り合いがない。

勝ち組とか負け組とかそんな言葉が世の中で聞かれることが多い。勝つとか負けるとか余計なお世話だろうと思う。いったい何に勝って、何に負けたというのだろうか。

給料が12万円の人も50万円の人も、おんなじだ。その差額が経済格差と呼ばれているけれど、労働に貴賤はない。努力の本質が、人間性を向上させているのかどうかと疑うこともナンセンスだ。今生がだめなら来生のための努力だと思えばいい。そのくらいのスパンで気長に考えた方がいい。

現状の生活を楽しんでいるのならばOKじゃないだろうか。もし楽しめていないのなら楽しい環境に変えればいい。忍従を強いる努力は、いつの時代も支配者階級のご都合主義であって、せっかく生まれてきた意味をはく奪される権利などはない。

努力は大切だけれど、無理はいけない。無理を続けると、心がゆがんでくる。努力の選択が間違うと、やっぱり楽しくない。だからいい学校を出て、いい会社に入ってもつまらない日常に呪縛されるのだ。

利己的な社会だ。ゆえに利己的じゃなければ生きていけない人も多い。頼れるのは自分だからだ。受験指導を日常の仕事にしていると、競争原理の縮図を目の当たりにする。

世間がいい学校だと認める学校の入学式と、世間がいい学校とは評価していない学校の入学式にやってくる親御さんの様子を見てみるといい。自分の子どもが晴れ舞台を歩んでいく姿を見るのは気持ちがいいと、しっかり親御さんの顔に描かれている。

育てた我が子が優秀な場合は、親は素直にうれしいものだ。生まれてくるときは、どうか五体満足に生まれてきますようにと願った望みが、子どもの成長と共にいい意味でも悪い意味でもその願望はエスカレートして行く。

誰かと比べなければ得られない幸福感などと言うものは、本当は必要ないものだろうと思う。身近な人間が、いいものを持っていれば欲しくなる。財産もそう、学歴もそう、容姿もそうだ。

足ることを忘れ、消費は美徳などと煽られて、物質文明のなかで溺れかかっている存在が、我々人間だ。利便性の中に幸福感を見いだせた時代はまだしも、現在我々の環境を取り巻く物質は、明らかに幸福を阻害するものが増えている。

教育もそうだ。成績が上がらなければ、通信添削だそれ塾だと外のものに頼ってしまう。本人のやる気がなければ、高額な通信添削指導も塾も功をなさないことは、実は誰でも知っている。

幸福は家庭からだ。家庭に温かみや会話がなければ、努力も生まれてこないし、人間的な成長も鈍化してしまう。幸福は共有しあってこそ増幅していくものだ。その土台は間違いなく家庭だ。学校でも職場でもない。ましてお金でもない。

食事をし、寝に帰ってくるところが家庭だとしたら、根本が間違っている。生まれてきたものには、当たり前のことだが父や母の生物学的存在がある。その存在が別れていようが、他界していようが、自分の命をこの世に存在たらしめたものに、感謝すべき場所が家庭だ。その感謝の波動は、幾百年幾千年の時を超えて放射して行く。

そしてそれが努力の根本だと僕は思っている。

今日は岩手県県立高校の合格発表だ。合格した者は、親やご祖先に感謝しよう。落ちた人も親やご先祖に感謝しよう。どちらにでも、幸福の御魂は降り注ぐ。

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2015年3月16日 (月)

ようやく

ようやく確定申告が終わった。 

今朝も新聞には、塾のチラシが数種入っていた。

今夜も塾生に言われた。

「先生宣伝しなくていいの」

塾生にまで心配してもらってありがたい。

でも明日は合格発表。

そっちが優先だ。

ようやく暖かい日になった。

水道のヒーターを切ってもいいかな。

それにしても花粉症が厳しい。

呼吸困難だ。

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2015年3月15日 (日)

塾生から変な塾と言われることを実は誇りに思っている

昨夜は星が美しかった。寝る前に見上げた星々の輝きのせいだろうか、布団の中で、過去の様々な出来事を思い出していた。

人生が調子よく行っているときは、人間というものはあまり反省はしないものだ。困難さに出会うとどうしても自分のこれまでの生き方を反省せざるを得ない。そういう意味では今年度の僕は、反省の連続だった。

塾にやって来る生徒の数が震災後頭打ちになっているのは、一関一高附属中学校の入試が始まって、多くのフランチャイズ塾が一関に集結してきたことが大きな要因ではあるけれど、自由競争原理の中で、そんなことを理由にしてばかりはいられない。

25年前と比べると、一関市内の塾の数は4倍になった。市内の生徒数が四半世紀の間に半分になっているのにである。25年前には旧一関市には7つの塾があった。その数はここ2年間で一関に新たに開業した塾の数に等しい。もちろんその間に廃業して行く塾も多いわけで、市内に於ける塾業界はまさに戦国時代だ。

かつては体験入学をしてくれた生徒のほぼ100パーセントが、翌月には入会してくれたものだが、昨今は3人に1人と言うところだろうか。いろんな塾で1か月無料体験なんていうことをやっているものだから、体験入学の梯子を半年間繰り返して、受験勉強をこなすつわものもいると聞く。これだけフランチャイズの塾が乱立すれば、ありえない話でもない。

地方私立大学そして県立高校全入時代を迎えて、進学塾のあり方は転換期を迎えている。塾に通わなければならない生徒の質が変わってきた。そのニーズに対応する指導方法は、技術面と言うよりは心の在り方だろうと思う。もっとストレートな言い方をすれば、子どもたちの魂の救済ということではないだろうか。

かねごん塾はそれができるのかと言われれば、インチキ宗教家や自称スピリチャルカウンセラーのようにYESとは言えない。YESとはいえないけれど、33年間塾業界で培ってきた経験値と読書量から、少なくても生徒を負の方向に向かわせない自信はある。

僕は、塾生から変な塾と言われることを実は誇りに思っている。つまり変な塾と言って辞めない生徒は、変な塾だから来ているのだ。変な塾と言われ続けて25年、カリキュラムや指導方法では幾つかの変遷をたどってきたけれど、変な塾というそのスタンスの土台は変えるつもりはない。

確かに入会して半年足らずで退出して行く生徒は毎年2,3人はいる。しかし小・中・高と8年以上在籍してくれる生徒も多い。決して間違った路線を歩んできたとは思っていない。

部活動で生徒の来室が遅い日は、手作りのスピーカーからジャズが流れ、僕は瞑想と称して読みかけの本を開いたままうたたねをしている。生徒がリクエストすれば、所構わずギターを片手にオリジナルソングを歌いだす。

陸中一之宮である駒形神社の合格祈願のお札のそばには、マリア様の宗教画が鎮座し、その隣には金色のブッタの銅像が仰臥している。塾内はカオスである(笑い)。

今日は開校記念日。イベントは何もない。午後からは受験指導のためご無沙汰していた卓球の指導に出かける。そして今夜は確定申告の書類を半徹で仕上げて、明日の最終日になんとか間に合わせなければならない。今年のような年は申告書も正直書きたくないのだけれど、そうもいかない。

来年度こそは所得税を払えるように頑張るか・・・・

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2015年3月14日 (土)

『かぶとむし』を譜面にして頂きました

大阪のShihoさんからメールにて、楽譜を送って頂いた。Shihoさんは僕のブログを読まれている方なのだが、譜面の完成度を見ると音楽を生業としている方なのだろうか。嬉しいプレゼントに、ドキドキしてしまった。恐縮この上ない。

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譜面にしてくれたのは、僕の曲『かぶとむし』である。この曲は神奈川県学心塾のとよ爺先生が、4年半前にYouTubeにアップしてくれて、多くの方々に視聴してもらっている。おかげさまで10000アクセスを超えている。

僕はギターで曲を作るのだけれど、譜面が読めないし書けない。コード進行と耳を頼りに歌を作っている。50も半ばとなり、若い頃のキーで歌を歌えなくなった。そこで変則チューニングで音域をごまかしている。

2フレット音階を下げて調弦している。実はこうすることで、音色は劣るのだけれど、ギターへの負荷が少なく、10年間そのまま弦を張りっぱなしでも、ギブソンのアコギのネックはびくともしない。その代り単純なGコードを、3フレットを使ったFのコードで抑えなければならず、ハイコードの連続に握力が歌の途中で減退してしまう。

僕がこの「かぶとむし」を毎年歌ってきた、一関市立日形小学校が今月の卒業式をもって閉校し、老松小学校と統合となる。様々な場面が思い出される。

これからは歌った学校で、記念にこの譜面を贈ることができる。Shiho様本当にありがとうございました。

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2015年3月13日 (金)

人生に於ける様々な疑問文

先月の半ばから偏頭痛と胸の痛みが続いている。胸が苦しいと言っても心臓ではなさそうだ、激しい運動をしても苦しい感じではなく、神経的な痛みだ。偏頭痛も仕事が出来ないような痛さではない。ブログもなんとか普通に打てる程度の痛みである。

3・11の震災前にやはり1か月前から似たような症状が現れて、病院に行き精密検査を受けた。あの時の症状となんだか似ている。

震災の前は、経験のない頭痛と胸の痛みだったので、鬱状態になってしまいそうな状況だった。いや確実に鬱状態に突入していたと思う。最近またちょっともやもやして落ち込んでいる。

3月も半ばになろうとしているのに、真冬の寒さが続いている。毎朝目が覚めて雪見障子を開けると、文字通り真っ白な雪が視野に飛び込んでくる。廊下の温度計は0度ジャスト。寒い。この真冬のような気候が、さらに体調の不調に拍車をかけてくる。

毎年3月に入ると猛烈な花粉症に襲われるのだけれど、この寒さでどうにか花粉症だけは緩和されている。

さて体調が悪かろうが良かろうが、日常は次から次へとやって来る。ここ2.3日は、震災を振り返ってブルーになっていた。そんなブルーな気持ちの中、突然に自問自答する。

なんで俺は塾教師をしているんだろう?

こんな疑問文が浮き上がってくること自体、心情的には鬱に入っている証拠だ。受験指導が終わるとほっとするという先生が多いけれど、僕はまったく違う。受験指導がずっと続いて行けばいいなと思っている。受験指導に熱中しているときは余計なことを考えなくていい。

零細塾の経営者でもある僕は、受験指導も大変なのだけれど、お金の心配が毎年一番の悩みだ。塾生は「もう少し月謝を上げたらどうですか」なんて言ってくれるけれど、その言葉は彼らの本音でないことは重々承知している(笑い)。

「どうして学校の先生にならなかったの?」これも毎年頂く疑問文だ。これに対する僕の回答は簡単だ。頭が悪かったからだ。

学校の先生はたいへんだ。7年ちょっとだけ臨時講師として学校の教壇に立っただけなので、生意気なことは言えないけれど、雑用やら部活やら生徒指導やら、教科研修やら、人間関係やら、よっぽど肝が据わっているか、鈍感じゃなければ、精神が病んでしまいそうなくらいしんどい仕事だ。多種多様の能力を要求される。生徒との関係も1度歯車がかみ合わなくなると修復は大変だ。

ゆえに辞めていく人も多いのだろうと思う

学校の先生や公務員の方々は経済的には安定している仕事だ。リストラの恐怖に苛まれているサラリーマンからみたら、羨ましい仕事に思われるかもしれない。しかし3.11の震災以後、自ら命を絶ってしまう公務員の方が多くなっている。本当はとても大変なのだ。

僕のような零細塾の経営者ならば、最初からつぶれているようなものなので、お金がないことを前提とした生活を営むしかない。車は走ればなんだっていい。軽トラックで十分だ。家だって自分でリホームするしかない。こづかいなど皆無に等しい。ゆえに外で飲むこともないし、プライベートの旅行などやったことがない。唯一の趣味はギターを弾くことと、近隣の神社巡りだ。

ところが年収500万以上ももらっているような仕事をしていると、仕事を失うことへの恐怖は僕の比ではないだろう。年収が安定しているからこそ、家を建ててローンを組むだろうし、車だってそれなりの車を買ってしまうだろう。付き合いと称して飲み歩くことも多いはずだ。生活のレベルを維持するために、職業に会社に固執せざるを得ない。

あればあったで人間はお金を使うものなのだ。それはそれで大変だ。世の中はお金が循環して動いている。僕も実はその動きに連動したいのだけれど、重々難しい。

「なんでブログをかいているんですか?」

この質問もこどもたちからよく尋ねられる。ブログを書いて俗にいう広告ビジネスをしているわけでもないし、どこかに投稿をして原稿料をもらっているわけでもない。しいて言うなら、このブログを読んでいただいた誰かが、僕の塾に興味を持って頂いて、願わくば塾に入ってくれないかなという魂胆は十分すぎるほどあるのだけれど、震災以後世の中を敵にまわすようなことばかり書いてきたので、残念ながら塾生募集の機能は果たしていないようだ。

ブログを書き始めてもう少しで8年になる。1週間10稿のペースで書いてきた。単なる自己顕示欲の塊のような内容になっていて、正直申し訳なく思っている。自分のストレス発散に付きあわせているようで、読者の皆さんご免なさい。

申告書を書いていて、ちょっと休憩のつもりでPCを打ち込み始めたらだらだらと長くなってしまった。本当にご免なさい・・・・・。

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2015年3月12日 (木)

いつかまた浪江の空を2015・3・11

 

バラエティー番組というものをあまり見ない僕だったが、鉄腕ダッシュの「DASH村」だけはかかさず見ていた。岩手一関の実家の農業を継いだものの、面白味がなく壁壁していたときに、TOKIOのメンバーが必死に百姓仕事に取り組む姿は、斬新で面白かった。

そのDASH村が、実は福島第一原子力が近くにある浪江町の山里であることを知ったのは、震災後のことだった。

番組の中で農業を指導する三瓶明雄氏(さんぺい・あきお)さんは、僕の父の世代の方で、50代半ばで亡くなった父が生きていたら、僕にこんな感じで百姓仕事を教えてくれたのではなかったかと、そんなことを思いながら毎週行われる手仕事の段取りの良さに、関心を寄せていた。

 

その三瓶さんも、震災伊達市の病院で亡くなった。週刊誌等の報道によると、死因は急性骨髄性 白血病だったとのことだが、放射能の影響は否定できないだろうと思う。心からご冥福をお祈りしたい

DASH村が縁で、震災後福島県浪江町のホームページをちょくちょく閲覧しているのだけれど、昨日上のような素敵な曲が紹介されていた。浪江町はすべての住民が強制避難している。

行政のHPを見ると浪江高校の校定の放射能値は10マイクロシーベルトを超えている。人が住める状況では全くない。故郷を思う人たちの哀愁が歌詞に込められている。悲しいけれど希望が見えてくる歌だ。

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あれから4年

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気仙沼で被災した少年の姿がマスコミで報道された。高倉健さんがこの写真を自分の台本の表紙に貼って、鼓舞していたという。

何も説明はいらないだろうと思う。10歳の少年の表情がすべてを物語っている。

震災後自衛隊によって道が確保されてすぐ、軽トラックで藤沢から気仙沼に入った時の衝撃は忘れられない。家族を探す被災者の方々の姿、行方不明者を捜索する自衛隊員の姿。そして永遠と続く瓦礫の海。

震災の地震で、僕の書斎(物置)の録音機材が崩壊した。半分壊れかかったカセットラジオで録音した僕の拙い歌を、神奈川県のとよ爺先生が、3年半前YouTubeにアップしてくださった。

僕自身しばらくの間この歌を歌えなかった。津波で亡くなられた方々、残された家族の方々の悲しみが押し寄せてきて3年ほど前から一度も人前では歌っていない。あれから4年が経った。

今日の岩手は雪の3・11となった。多くの鎮魂の祈りがささげられた。合掌

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2015年3月11日 (水)

人生は喜びと芸術的な感性の輝きに満たされるべきものだ

東日本大震災から4年目を迎える今日、一関市は真冬に戻ったような寒さと雪になった。暖かい春はなかなか訪れてはくれないようだ。

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自宅周辺の風景は、墨絵のような厳冬期の風景に逆戻りだ。

昨日の夕方、神奈川のGさんよりまた心温まる贈り物を頂いた。震災以後何度も何度も教室に送って頂く貴重な支援に感謝してもしきれない想いで一杯である。

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毎回手書きの美しい文字でお手紙を頂いている。健康を気遣って頂いたり、仕事への励ましの言葉を頂いたり、言葉に尽くせない力を一杯頂いてきた。

何もお返しが出来ないままで来てしまったけれど、子どもたちや親御さん方に教育を通じて支援の恩返しをしていきたいと思っている。

震災以後生活の困難さに慣れてしまった感がある。子どもたちの夢や希望が委縮してしまっているように思うのは、僕だけではないだろうと思う。

必死な努力をしなくても、希望のある明るい人生を送ることが望ましいことだと思う。我々は苦労するために生まれてきたのではない。辛苦を経験するために生まれてきたのではない。

人生は喜びと芸術的な感性の輝きに満たされるべきものだ。人生のシナリオを描くのは僕たちだ。他人に支配されてはいけない。他人の言葉に呪縛されてはいけない。そのために学びは大切なのだ。

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2015年3月10日 (火)

高校入試が終わる

午後になって高校入試が終わる頃、猛烈な吹雪になった。一関一高の入試を終えた生徒たちが、背を丸め北風に逆らうようにして、塾前の土手道を帰って行く。

受験を終えた塾生が教室に寄ってくれた。入試問題を眺めたが、不意打ちのアッパーカットのような問題はなかったようだ。数学と理科が基礎力重視の問題が多かったように思うが、社会と英語が昨年に比べると難易度が上がっているように思える。

国語の問題に、僕の大好きな詩人である川崎洋の詩が載っていたのにはびっくり。ちなみに学生時代に読み耽った外山滋比古の文章が載っていたのにもまたびっくり。問題文に使用したテキストの趣味嗜好が僕の感性と似ている今年の国語の問題だった。僕は川崎 洋さんにサインしてもらった詩集を持っていたはずだ。我が女房が僕の書斎(物置)の本を整理してしまっているので、現物が手元にないのだけれど、近いうちに探して読んでみようかなと思う。

生徒たちは明日学校で自己採点をやるはずだ。楽しみな人、そうじゃない人それぞれだと思うが、きっちり最後まで入試と向かい合ってもらいたい。

合格発表は1週間後の3月17日火曜日その前に中学3年生は卒業式を迎える。今年の中学3年生は3分の1の生徒が、そのまま高校生になっても塾を継続してくれることを表明している。ありがたい。

さて明日から申告の書類を作成しよっと・・・・

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今日は公立高校入試

昨夜中学3年生の本年度最後の指導が終わった。そして今日が入試である。昨夜の土砂降りの雨も今朝はどうにか小降りになった。雪になることを心配したが、会場までの足の確保は大丈夫だろうと思う。

毎年この入試の1日は祈る気持ちだ。解答欄を間違わないだろうか。ケアレスミスはしないだろうか。体調はどうだろうか。一人一人の顔を浮かべながら心でエールを送るしかないが、大丈夫だと自分に言い聞かせる。

誰もが多くの青春の門を通り過ぎていく。一見果てしなく見える道も、最初の1歩はみんな同じだ。あとはその道を歩み続けるかどうかだ。頑張って欲しい。

さていよいよ今度は来年度に向けての準備だ。7年間午前中は高校の非常勤講師、そして今年度は短大での講師をやってきたが、4月からは8年ぶりに塾稼業1本の生活に戻る。

またかつてのように百姓仕事に精をだしたいところだが、土壌が受けた放射能のダメージは完全に回復はしておらず、お米の値段は下落する一方で、とても生活の糧にはなりそうにない。ぼちぼちと対応を考えて行こうと思う。

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2015年3月 9日 (月)

春がやってきて

思ったように人生を歩むことはなかなか難しい。自分がやりたいことを押し通すことは、時にそしられ、時に信用を失う。

ありきたりの常套句を並べられて、普通に生きることを強いられる若者たちは、大人の言葉に屈するのではなく、大人社会の常識に洗脳されてしまうのだ。実は我々大人も、普通に生きるということがどういうことなのか分かっていないのに、世の中の既成事実に抑圧されて、言葉を発することを忘れてしまっている。

目立たないように、そして失敗しないように生きている人は多い。心に抱えた爆弾を破裂させるような無謀なことはせず、嵐が去ることをじっと待っている、そんな人生を過ごす人は少なくないだろう。

命のエネルギーは、どんなに控えめに生きても、良くも悪くも周りを溶解する。それは春が近づき、雪山の木々の根元の雪が、溶解していく姿にも似ている。自分が気づかないだけで、その力は計り知れないのだ。

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2015年3月 8日 (日)

骨寺村荘園・駒形根神社

神社の写真をよく撮るのだけれど、正直拒絶されているなと感じる時と、めちゃ歓迎されているなと感じる時がある。

祭られている神様との相性なのか、それともその日の自分とのコンディションによるものかはいまいち定かではないのだけれど、写真から発せられ波動みたいな力を感じる時が確かにある。

今日はイベントがあって一関奥厳美の骨寺村荘園交流館に行ってきた。帰り駒形根神社に参拝してきたのだけれど、すがすがしいパワーを感じた。

一見どこにでもありそうな小さな社なのだけれど、境内に足を踏み入れた途端、身体が包まれるような不思議な風を感じる場所だ。

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骨寺村荘園が世界遺産に追加登録されれば、この駒形根神社が骨寺村荘園の中心的な遺産物となるのだろうけれど、平安時代から多くの村人たちの精神的なよりどころとされてきた祈りの場が、今度は訪れる多くの方々の癒しの場となるだろうと思う。

僕は駒形の神様に頭を垂れ、入試前最後の講座になる、中3日曜講座に向かった。明後日は岩手県公立高校入試である。駒形の神様のパワーをおすそ分けして、本日のブログを終えたい。

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祈り

凍えていた大地はようやく眠りから目覚め、

一抹の不安もなく 生きものたちは夜明けを待っている。

かりそめの住みかに固執する人間たちをからかうように

空を舞う鳥たちはその自由さを鼓舞し 高度を上げる。

ありふれた日常こそ自然の織りなすリズムなのだ。

川の流れも、山に吹くさざ波のような風も、

生きとし生きるものたちの命の祈りのようであり、大地の息吹のようだ。

忘却のかなたに置き去りにしてきた無数の残像をいとおしむ老人のように、

この星もかつてあった穢れのない風を思い出しているのかも知れない。

果てしない自然の営みのなかで、

都合よく人間に約束されるものなどなにもないのだ。

陽が昇りそして沈み、潮が満ちそして引いていく。

冬が終わり春が来るように。

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冬枯れた風景の中で、

目覚めつつある命たちのざわめきが押し寄せてくる。

幾種類かの山鳥たちの声が空に放射され、

キジが鳴き、その声に呼応するかのように山鳩が鳴き、鳶が鳴き、

そしてホオジロが鳴いた。

残雪が光を放つ北壁の山々に視線を向けると、

幾千年も変わらない畏敬の姿があった。

飛翔する命と生まれくる命

お互いの祈りが、新たな季節を到来させる。

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2015年3月 7日 (土)

安全神話の崩壊

 様々なリスク管理において、参考になるはずの専門家の発言。しかしその信頼性は、福島原発事故をきっかけに大きく揺らいでしまった。近年のデータからも、それは明らかになった。  科学技術白書(2012 年)によると、「科学者の話を信頼できる」とする人は震災前の半分程度になり、「科学技術の研究開発の方向性は内容をよく知っている専門家が決めるのがよい」という回答は、3分の1程度まで激減したという。ただし全分野で信頼を失ったのではなく、原発や地震の領域で目立った。  

リスクの大きさは、引き起こされる被害の深刻さと、その発生確率によって決まる。その計算は専門家たちが担ってきた。  ところが福島原発事故で、その算術があてにならないことが明らかになった。業界の利益を優先してリスク評価をねじ曲げる専門家たちがいることが、わかったのだ。   

例えば、福島原発事故の5年前、東電は原子力安全委員会委員長に「津波が想定を超える頻度は数千年に一度程度である」という研究成果を用いて、原発の安全性を説明していた。しかし、その根拠は津波についてよく知らない電力会社の社員が中心になって、投票で津波の発生源や規模を決めたものだった。

科学的な根拠はほとんどないにもかかわらず、結果だけは精緻に数値表現され、立派に見える科学論文に仕立てられていた。  事故前、一部の専門家たちは、一般市民を「不合理なまでに原発を恐れている。   それは間違ったリスク評価に基づいている」と見下していた。しかし、「事故の確率は低い」という専門家の評価を疑っていた一般市民の直感のほうが正しかったのだ。

 事故後のリスクコミュニケーションでも専門家の不手際が目立った。被曝によるリスクを、数字を示して、あるいは他のリスクと比較して「心配するほどでない」と伝えるやり方は、背後に説得しようとする意図があると疑われると、信頼を失ってしまう。

(AERA2015年3月9日号掲載) 2015年3月5日(木)配信

安全神話の崩壊などというフレーズを何度も耳にしてきたけれど、原発の安全性がそれほど確かなものならば、東京湾や相模湾近くに原発を作って電力を供給すればよかったはずで、東北から東京までわざわざ莫大な長さの電線を通して電力を運んでくることなどなかったはずだ。詭弁を弄するのに、学術的に権威のある学者を利用し、国民を洗脳してきた結果が、今回の悲劇を生んだと思っている。

福島や青森は、人が少ないし、首都圏から遠いので、原発が万が一崩壊しても、最小限の被害で済むだろう、なんていう本音を科学技術の専門家が言うはずもない。しかしそのことは多くの国民が暗黙の了解で、ことを運んできたことだ。

役人や政府お抱えの学者たちは、国のためや、国民のために何かをなそうとするのではなく、自分の地位や経済の基盤を守るために、平気で嘘をつく人種であることを、今回の原発や放射能をめぐる報道で、いやというほど思い知った。

自分の命や健康は自分で守らなければならない。言葉で言うのは簡単だけれど、現実は難しい。しかしその困難さに立ち向かわなければ、将来の日本は危うい。そのことを僕らは肝に銘じなければならない。

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今年度は高校2年生の塾生が部活のためなのか、英語の必要性が消滅したためか、全員が消えた。一方高校3年生は、全員が中学生から継続してくれた生徒たちで、本日未決定だった一人が志望大学の合格を勝ち取り、全員が第一志望の大学に合格した。

今年の高校3年生は、大東高校・一関二高・一関一高の生徒たちで、進路先は東北学院大学・岩手大学・岩手県立大学の3大学であった。全員が地元志向であった。

さて新高校3年生が在籍0という状況である。英語が出来なくて、モヤモヤしているそこのあなた、そうあなたです。当セミナーに足を運んでみませんか。高校生は毎日自由に自習室を使えますし、指導室が空いているときは、遠慮なく学校の宿題等を聞くことが出来ます。

月謝は5000円です。3月23日までに申し込まれた場合は、25周年特別割引として、入会金7000円が免除されます。

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2015年3月 6日 (金)

岩手県の教育費766万円

日本政策金融公庫盛岡支店(三国栄一郎支店長)は、岩手県の2014年度教育負担費の実態調査結果をまとめた。高校入学から大学卒業までに必要な教育費は子ども1人当たり平均767万円で、重い負担が浮き彫りになった。

今回から調査方法を変え、日本公庫のローンを利用していない世帯も調査対象にした。教育費は入学金、授業料、通学費、塾代など。進学先別に見ると、私立大は730万円、国立大は664万円。全国平均は880万円だった。(岩手日報3月6日)

私立大学と国立大学にかかる教育費の差がほとんどなくなったと言ってもいいだろう。「うちはお金がないから私立は入れられない」とかつて言われてきた親の嘆きは、違う意味合いを帯びてきている。

震災後東京にある私立大学への進学が激減した。地元私立大学への進学が増えてきている。自宅から通学できる大学を選択する高校生が増えているのは、間違いなく家庭の経済状態を考慮してのことだろうと思う。

僕の塾でもそうだ。関東にある大学と宮城や岩手にある私立大学を受験してどちらも受かった場合、偏差値が高くても、関東の大学を選択しないケースが増えてきている。

大学にかかる費用の負担率が多きのは、先進国の中でも日本が飛びぬけている。親の年収の3割~4割が子どもの教育費に消えて行く国、それが日本だ。先進国の中で、日本の教育費の公的負担は最低水準なのだ。この状況が進んで行けば、優秀な人材の育成が阻害されていく。

教育はお金がかかる。だから親は一生懸命働かなければならない。しかし一生懸命働いても子どもを大学にやれない現状が横たわっている。それを親の責任だと思っている政治家や教育界のトップがいることが問題なのだ。

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2015年3月 5日 (木)

夜明け前が一番暗い

夜明け前が一番暗い。人生の転機に於いて、良く語られる言葉だ。人生どん底と思う時が、実は転換のチャンスなのかも知れない。

還暦までカウントダウンの年齢にもなると、退職後の人生設計を考え始める人は多いだろうと思う。お金のこと家族のこと、そして今後の身の振り方など、時に悩み時に諦観を装う。僕も例外ではない。

若い頃、と言っても30代の頃の話なのだが、仕事に行き詰った時には、リュックを背負って山に登った。岩手に住んでいれば、登る山には事欠かない。奥羽山脈や北上高地の山々の頂上を目指した。

ひたすら歩き続ける山道の中で、静寂さがまとわりつく。まるで瞑想をしているかにような時間が訪れる。いや実は瞑想そのものだったのかも知れない。

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自分の息遣いと心臓の鼓動を聞きながら、様々な映像や感情が湧いてくる。遠い昔の何気ない光景や、言葉、懐かしい人たちの顔、そういったものに決別するしかないような急斜面の壁が突然現れたり、そういった感情を後押しするかのようななだらかな道が続いたりする。

雑然とした日常から逃避することは出来ないけれど、雑然とした日常から自分を見つめ直すことは出来る。山登りはそういったアイテムの一つのように僕には思える。

40歳を過ぎて、痛風や腰痛に襲われ山登りから離脱してしまったけれど、あのころ感じた山の風や光は、山里のちょっとした散歩でも思い出すことが出来る。

今年度の塾屋の仕事ももうすぐ終焉を迎える。そしてまた新たな日々がやって来る。体力が間違いなく減退してきた自分を感じるけれど、心は幸いにもくじけてはいない。

このブログを書き始めた8年前、僕はふわふわしていた。そのふわふわ感を、言葉で埋めたかった。自分の想いを大地に定着させたかった。そのことが叶ったのかどうかは、定かではないけれど、駄文を書き続けることで、なんとなく自分というものがかすかに見えたきたような気がする。

30代の頃、山登りが僕の精神修業だったとするならば、40代後半から書き始めたこのブログも、同じく自分と向き合うための精神修行なのだろうと思っている。

今年度は人生で一番お金を必要とすることが多かった年だった。そういう年回りなのだろうと思う。仕事面、経済面ではここ10年で一番苦労した年でもあった。先日の記事でも書いたけれど、半年間一度も喫茶店にも居酒屋にも行かなかった、いや行けなかった。ある意味すごい1年間だった。

そんな僕が2月の旧正月に、駒形神社で引いたおみくじは、生まれて初めて見るような超大吉の内容のおみくじだった。夜明け前が一番暗い。そんなことをつぶやいて、僕は軽トラックのアクセルを踏んだ。

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2015年3月 4日 (水)

再掲載~77のシンクロニシティ~プレアデスより愛を込めて

下の記事は『カミングアウト~77のシンクロニシティ~』と題した2013年10月9日の記事である。

《再掲載記事》

掃除をきちんとやり祖先の祭り事をしっかりやると、シンクロニシティが増えてくる。俗に言う偶然の一致だ。

23年前に塾を始めた物件は、車庫に使われていた倉庫のような建物だった。わずか9坪の教室で、トイレは大家さんの外のトイレを借りた。自分で壁を塗り、蛍光灯をつけ、手作りの教卓を備え付けた。どこから見ても貧乏くさい教室だった。でも一生懸命手直しをやり、掃除をした。

3月に開校し、3月に集まってくれた生徒は7名。そのうちの2名が僕と同じ誕生日だった。僕の誕生日は2月7日、それが僕を含めて3人。まさに777である。

たまたま借りた教室の住所も一関市磐井町7番地。開校に合わせ農協の口座を作ったのだが、その口座番号にも77のゾロ目が偶然にもシンクロしてきた。

僕の人生に訪れる77の偶然はそれだけではなかった。塾を始めた当初、水沢の駒形神社に、困った時の神頼みではないが、毎月1日と15日には参拝に行っていた。

僕の記憶が正しいければ、10年ほど前だったろうか。ある異変に気づいた。

駒形神社手前の十字路に差し掛かる交差点で、いつも77のプレートナンバーの車とすれ違うのである。もちろん同じ車などではない。 

近年忙しさにかまけて、毎月行かなくなったものの、10年間で40回は駒形神社に参拝しただろうと思う。交差点で77の車とすれ違わなかったのは、わずか2回だけである。これを偶然とは呼ばないだろうと思う。 

2年前、ブログが縁で知り合った塾の先生たちが、神奈川や岐阜・愛知から岩手にやって来られた。このブログでお馴染みの学心塾のとよ爺先生や岐阜の上野先生、美川先生、愛知の永田先生等が震災のお見舞いを兼ねて一関にやって来てくれたのであるが、その時チャーターしたレンタカー2台が、偶然にも77の番号が付いたプレートナンバーだった。

極めつけは今年の7月7日のことである。僕は上野先生から招待を頂き、花巻空港から名古屋空港へと向かった。花巻空港に着いた僕は、さり気なく空いているところに愛車の軽トラックを止めた。

その前に停まっていた車が、名古屋7719であった。まさに名古屋空港に行く(19)僕は、この数字の神様のいたずらに、不謹慎かも知れないけれど笑ってしまった。

この77の不思議については、実に多くの方からいろんなコメントやメールを頂いた。天使の霊数ナンバーだと教えてくれた読者の方がいれば、コノハナノサクヤビメの心霊数だと教授して下さった方もいた。

中には試練の数だと教えてくれた方もいた。確かにあんな大変な震災が起きたのだから、そうなのかも知れない。

僕は今後もこの77のシンクロニシティときっと付き合って行くのだろうと思っている。僕があっちの世界に行った時にきっと分かることだろう思う。ある意味楽しみだ。・・・・続く。

続くと書きながら、常日頃僕の周りに生じる77の符号に関して考察を放棄していたかねごんであるが、最近考えるに、夜空に輝くスバル(プレアデス星団)になにがしかの関連があるのではないかと思っている。

実はプレアデス星団の名前は、ギリシア神話に由来し、巨人アトラースとニンフのプレーイオネーの間に生まれたプレイアデス7人姉妹(アステロペー、メロペー、エーレクトラー、マイア、ターユゲテー、ケライノー、アルキュオネー)を指している。プレイアデスは女神アルテミスに仕えていたと神話では語られている。

僕は訳もなく小さい頃からプレアデスの星を眺めることが好きだった。なにせ我が家の風呂は外風呂なので、風呂から出て空を見上げると月のない晴れた夜は、満天の星を眺めることができた(今も外風呂なので本当は現在形なのだけれど)。

様々な無数の星々の中で、かねごん少年は何故にプレアデス星団の光に導かれたのかが、また謎なのだけれど、僕の周辺に何度も現れる7の数字はプレイアデス7人姉妹アステロペー、メロペー、エーレクトラー、マイア、ターユゲテー、ケライノー、アルキュオネーに関係があるような気がしている。あくまでも気がするだけで、何の根拠もない妄想ではあるが・・・・・。

さらに妄想は続き、ギリシャ神話で語られるプレアデスの女神たちは、日本神話に登場する山神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめ)や水の神である瀬織律姫(せおりつひめ)にリンクしていくのではないのかと、これまた勝手に想像の翼を広げるかねごんであった。

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お金の使い道が、間違いなくずれている

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2019年のラグビーワールドカップの会場として岩手県釜石市での開催が決定した。釜石市はかつて製鉄で栄えた街、新日鉄釜石はラグビーの聖地だった。

歓喜に沸く市民の姿が新聞・テレビ等で紹介されたようだが、残念ながら三陸の復興はまだまだだ。昨年11月に気仙沼から宮古まで車で海岸線を北上したが、繁華街とは名ばかりのプレハブ店舗が点在し、予定されている高台移転は、まだ春遠しという感じである。

新しく釜石市に建設されるラグビー場の建設費は、およそ30億円。今日塾生も話していたが、30億あれば、どれだけの仮設住居者の生活が改善されるだろうか。

2020年の東京オリンピックもそうだけれど、どう考えても僕は納得がいかないのだ。スポーツが国民に元気を与えるということは否定はしない。しかしお金の使い道が、間違いなくずれている。

スポーツで活躍するアスリートの姿に、自分の果たせなかった夢の残像を重ね合わせることは自由だ。勝利するひいきの選手の姿に触発され、日常の仕事なり勉学なりにプラスのテンションを引き出されることは、悪いことではない。

戦後、力道山の姿に生きる勇気をもらった日本人は多かったはずだ。巨人の連勝に日本そのものの繁栄を重ね合わせた野球ファンも多かっただろう。

戦後は日本国民が生きる日常をなんとかしようとした。平等に貧しかった。今はどうだろうか、富めるものとそうじゃないものの格差がひろがり、人道的な危機に陥っている。スポーツで復興とか元気をという小手先の浪費でなんとかしのげる状態ではない。お金の使い道をしっかり考えて欲しい。

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2015年3月 2日 (月)

僕はいたって正直なおじさんなので、在籍人数を教えてあげた

2月の半ば頃塾に電話が来た。

NTTドコモの関連会社ですが、宣伝を兼ねてボールペンを塾生に配って頂きたいのですが、塾生は何名いらっしゃいますか。

僕はいたって正直なおじさんなので、在籍人数を教えてあげた。

すると、塾のご家族や友人にも配って頂きたいので、100本送りますという電話だった。2月の末までにはお送りしますということだったので、期待をしていたら、3月になっても届かない。

ふと気づいた。昔塾を開いた頃にも、似たような電話があった。お菓子のサンプルを送りたいのですが、塾生は何人いらっしゃいますか。待てど暮らせど、お菓子などやってこなかった。

最近一関市内にフランチャイズ塾が増えている。敵陣視察の電話だったのだろうか。市内の塾の在籍数をチェックするための偽電話だったのだろうか。もしその宣伝用のボールペンが来なければ、在籍数と住所と代表者である僕の名前を教えた僕は、ちょっとしたお調子ものということになる。

ひょっとすると明日にでも本当に届くかも知れない。塾生にペンが来ることを電話が来た時に話してしまったので、生徒たちはそれなりに期待している。2月一杯で指導が終了してしまった塾生もいる。

僕は信じたいんだけどな・・・・。

追伸・・・3月4日にボールペンが届きました。塾生の皆さんに配っております。めでたし、めでたし。

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一関一高附属中学校入試セレクトゼミ開校

新しいチラシの作成を家内の主催する『風と虹』の保護者のお母さんにお願いした。仕上げ段階までもう少しのところまで出来たものを送っていただいた。

素晴らしい!

新年度より『一関一高附属中学校セレクトゼミ』を開講する。小学校6年生を対象に、土曜日夕方5時~7時半までの特別ゼミだ。定員は10名。もちろん従来通りの自立型個別指導も継続する。

また小学校5年・6年生を対象に『日曜小学生英会話ゼミ』を開講する。時間は日曜日夕方5時~6時30分まで。こちらも定員が10名である。

詳細は当セミナーまでお問い合わせ頂きたい。

来年度より附属入試の指導の強化と、小学生・中学生の英会話に力を入れたいと思っている。

25年前、大学受験英語受験専門塾としてスタートした当セミナーの、原点に立ち返るカリキュラムが復活する

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2015年3月 1日 (日)

If You Leave Me Now

僕の好きなEuropean Jazz Trio のYouTubeをのぞいていたら、上のような画面を見つけた。

昨年庭の小道を作るさい、北上川の河川敷に行って拾った石が全くこんな感じの小石だった。

Photo

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3月の始まりの今日は、土砂降りの一日だった。卒業式を終えた生徒たちは土砂降りの中を足早で過ぎていく。

今日の塾は、二階では中3生が、入試直前評価テストに向き合い、下の自習室では、九州福岡市から足を運んでいただいた内科医の安達先生が復興支援の医療相談会を開いてくれた。

河原の小石のごとく、僕ら人間も様々な質感・色そして個性をきらめかせている。新しい輝きのために、僕らはまた激流を流されて行く。出逢いを求めて。

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卒業式に寄せて

青春の一時期に戻ることができるならば、皆さんはいつの頃に戻りたいだろうか。中学時代だろうか高校時代だろうか、もしくは小学校時代だろうか。

こんなことを問いかけておいて言うのもなんだが、僕は残念ながらどの時代にも戻りたくない。どうしても過去に戻れと言われたら、高校時代は絶対いやだ。あのちゅうと半端な時代が耐えられなかった。大人でもない子どもでもない、宙ぶらりんの時代は、息苦しかった。だから卒業式の日は心底嬉しかった。

人はしょせん孤独なものだというのが、若い頃の僕の人生哲学だった。自分の足で自分の頭で、生きて行かなければならないと思っていた。本当は家族や親にとことん面倒をみてもらって生きていたのに、そのことが疎ましかった。未熟な馬鹿青年だった。

愛すべき馬鹿学校だったので、卒業式のあとの同級生はやりたい放題だった。自動車を駅裏に隠してやってきたやつは、式が終わると制服を脱ぎすて数人の仲間とドライブに繰り出し、彼女がいる友人はラブホへとランデブー。夜は夜で居酒屋で宴会としゃれ込んだ。

今なら全員卒業取り消し、始末書提出というところだろうか。全くもってアバウトな時代だった。

我々の頃の卒業式と言えば、『蛍の光』 が定番だった。窓の雪~♪と言うフレーズが、季節はずれじゃないかと思ったものだが、近年の卒業式は、しっかり雪が残っている。地球温暖化のはずが、岩手は寒冷化が進んでいるかのようだ。

今の卒業式は一人一人が壇上に向かい卒業証書をもらうところが多い。我々の頃は、戦後第2次ベビーブームの申し子たちなので、どの学校もぎっしぎっし、中学校の時などは1000人近くの生徒数(全校生徒数)だった。ゆえに卒業式は名前を呼びあげられるだけ、それでもかなりの時間がかかった記憶がある。

今の卒業式はポップスを歌うところが多いと聞く。僕らの時代で言えば、松任谷由実の卒業を歌う感じなのだろうと思う。仰げば尊し~♪なんて歌っていた僕らとは次元が違うようだ。

さて話が迷走してしまったが、今日は一関市内、多くの高校で卒業式だ。とりあえず卒業おめでとう。とりあえずと言うのは、これからが君たちの本当の勝負どころだからだ。まだ合格発表前の高校生も多い。

ようやく人生のスタートラインに立ったという感じの諸君も多いのではないだろうか。悔いのない人生にするためにも、これからが大切だ。頑張って欲しい。

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