日常茶飯事に訳のわからないシンクロニシティが連発する
妖なるものの姿が見えるとか、怪しい声が聞こえてくるとか、そういった面倒くさいことはないのだけれど、通常では起きるはずがない偶然が、僕の周辺では頻繁に起こる。
中・高生まではまったく普通の少年で、奇妙な現象に出会うことは皆無だったけれど、大学に入って一人暮らしをするようになってから、尋常じゃない偶然性に邂逅することが多くなった。
たとえば、急に道に迷って知らない通りに出た瞬間に、東京のど真ん中で知人にばったり会うとか、卒業式の日にたまたま塾に採用の問い合わせの電話ををしたら、僕が電話を掛けるその直前に採用を辞退した先生がいて、僕が偶然にも採用されたりとか、そういった偶然性が本当に頻繁に起こるようになり、今に至っている。
此の花の咲くや姫が祭られている神社に行くと、必ず前後に777のプレート番号の車が追従してくるとか、信仰されている神社や山に行って、磐座や石宮を写メにとると、その写真だけが文字化けしてPCに送れないとか。日常茶飯事に訳のわからないシンクロニシティが連発する。
実は昨日もそうだ。午前中に自宅教室に来る予定になっていたお子さんが風邪をひいて来れなくなったというので、急遽家内と平泉温泉に出かけた。その後金鶏山に散歩がてら登ったのだが、案の定、写した頂上にある石宮が転送不可だった。ちなみに源義経の妻と息子が眠る墓所の写真はOKだった。もちろんそのほかの写真も問題がなかったのにだ。
それにしても一関周辺には歴史的な人物の縁ある人々が眠っている。金鶏山のこの場所もそうだし、一関東山には菅原道真公の奥方のお墓もある。
きっとこの地には、癒しを必要とする人々を惹きつける何かがあるのかもしれない。
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