当たり前のことだが僕は死ぬ
人が死ぬと、人生ってなんだろうと考えた。
死ぬと言う言葉を他界するとか、召されるとか、鬼籍に入るとか、オブラートに包んだ表現をするけれど、やはり死ぬという言葉は死ぬなのだ。
僕は死ぬことが怖い。どんな本を読んでもどんな話を聞いても死ぬのは怖い。だから死なないように生きている。
でも当たり前のことだが僕は死ぬ。きっと20年ぐらいのスパンが寿命じゃないかと思っている。ひょっとするともっと早くやって来るかもしれない。
どうしようか。どうしようもない。
9割くらい前世や来世を信じている。つまり1割は信じていない。100パーセントの記憶がないし、確証がないからだ。でもそれが普通の人間じゃないだろうか。
どうして死ぬのが怖いかというと、心配なのだ。僕がいなくなれば家の経済もさることながら、様々な問題が家族に生じると思っているからだ。家族を持つということはそういった責任を感じて生きるということじゃないだろうか。
それは来世があるとか、魂が不滅だとかに関係なく、現実の肉体を持つ我々の悩みであり、悟りきれない部分だと思う。
最近亡くなった友人たちの夢をちょくちょく見る。あっちの世界に行った友人たちは、どことなく寂しげでもあり、思索めいた感じでもある。
僕は僕でしかない。やらねばならないことを日々精を出して生きるしかない。天国に行くにしても地獄に行くにしても、自分が納得した人生で終焉したい。
昨日の試合で酷使した身体が悲鳴を上げている。そのためだろうか今日はこんなブログになってしまった。
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