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2015年2月

2015年2月28日 (土)

一日のこづかいをワンコインと決めている僕の日常にとって、昨年の消費税の値上がりは大打撃だ

よ~く考えたら昨年の9月から、一度も喫茶店にも居酒屋にも行っていない。僕にしてみればすごいことだ。

コーヒーに関して言えば、短大の講師室で本格的なドリップコーヒーが飲めるようになったことと、塾の前にデミダスコーヒーが飲める自販機を置いたことが、大きな要因だ。

あと強いて言えば、消費税が上がりワンコインで喫茶店のコーヒーが飲めなくなったことだ。一日のこづかいをワンコインと決めている僕の日常にとって、昨年の消費税の値上がりは大打撃だ。

実は半年ぶりに昨日喫茶店に入った。一関図書館に入っている喫茶店がずっと気になっていたのだけれど、昨日意を決して入ってみた。コーヒーではなくココアをたのんだ。こんなおちゃめなココアが現れた。

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半年ぶりの喫茶店の居心地は、当たり前のことだけれど、まさに喫茶店だった。ちなみに昨日借りた本は、荻原浩の小説5冊でした。今月図書館から借りた本は合計25冊。老眼が進行するのも無理はないか・・・・。

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僕の塾に通ってくれてありがとう

25歳に結婚をした。29歳の時に長男が誕生し、同じ年父が亡くなり、自宅のある花泉に戻った。

嫁さんと息子と、母と祖母を養うべく、農家をやりながら一関で塾を始めた。毎月支払う光熱費・年金・健康保険税・固定資産税、そして教室の家賃から車のガソリン代、保険代。29歳の僕はくらくらした。生きて行くということはお金がかかることだと、めちゃくちゃ実感した。荒野に一歩踏み込んだなら、後戻りはできない。ゆえに頑張らなければならなかった。

来月の15日は、塾の開校記念日だ。25年間船出したまま漂流してきた気分だ。僕はどこに行きつこうとしているのだろうか。目的地は未だに見えてこない。きっと見えないのが人生であり、見えないゆえに生きて行けるのだと思っている。

楽な道のりではなかった。しかし、ここまでやってこれたのは、多くの方々の支えのおかげだと思っている。感謝で一杯だ。25周年は何かイベントをしようかと考えていたが、毎日がイベントみたいなハラハラドキドキの日々なので(笑い)、特別なことはやらないことにした。粛々と開校記念日を迎えたい。

ふと考えたら、来年は結婚30周年だ。25歳で籍を入れ、そして僕は来年55歳になるので、そういう計算になる。いや、年も取るわけだ。

この年になって言うのもなんだが、50代になっても僕はまだまだひよっこだと思う。煩悩と欲望と、しがらみに苛まれ撃沈しそうだ。生徒たちの前では悟ったような大人のふりをしているけれど、制御不能になる自分の日常にいらだつことが多い

思うようにならなのが人生だよなんて、気取るつもりはない。最後まで自分の生きざまを世間にさらして、進んで行くことしかできないようだ。

今週そして来週が塾での最後の授業になる生徒が多い。僕が語る言葉は何もないが、彼ら彼女たちの人生の幸せを必死に祈りたい。僕の塾に通ってくれてありがとう。

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2015年2月27日 (金)

ドンマイだ

塾に向かうのにいつもバイパスの道を通って行くので、駅前の大通りを走ることがあまりないのだけれど、先日駅前の道をしばらくぶりに走ると、おやおやおや・・・・・。

新しい塾がまたオープンしていた。大胆にも大手フランチャイズ塾○○義塾のドマン前に開校。看板を見ると個人塾ではなく、フランチャイズの模様。やるな。

この2年間で新しい塾が駅周辺に4つ出来た。塾乱立時代に突入!

一関って震災以後過疎化が進んでいると思ったのだけれど、ちゃんと通塾率などの市場調査をやって、進出してきているんだろうか。

ひょっとするとこの僕のブログなんかもチェックされているんだろうな・・・・・・。偽情報なんか流してみようかな(笑い)。

おっと心配はないか。なにせ僕のブログは塾ブログとは名ばかりで、貧乏話ばかりだからな・・・・(笑い)。

もうすぐ高校の卒業式だというのに、今日は吹雪。突風が吹き荒れている。僕もかなり疲れていたんだろうと思う。午前中吹雪の音を子守唄にして炬燵で爆睡してしまった。

中3生は入試まであと1,2回の指導となった。来季のこともいろいろ悩みがあるけれど、直球勝負で行くか。

毎日のように塾のチラシが入ってくるこの頃、今年も僕の塾はチラシを折り込む予算がない。いっぱい寝たけれど、解決策はまだほど遠い・・・・。

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2015年2月26日 (木)

日常茶飯事に訳のわからないシンクロニシティが連発する

妖なるものの姿が見えるとか、怪しい声が聞こえてくるとか、そういった面倒くさいことはないのだけれど、通常では起きるはずがない偶然が、僕の周辺では頻繁に起こる。

中・高生まではまったく普通の少年で、奇妙な現象に出会うことは皆無だったけれど、大学に入って一人暮らしをするようになってから、尋常じゃない偶然性に邂逅することが多くなった。

たとえば、急に道に迷って知らない通りに出た瞬間に、東京のど真ん中で知人にばったり会うとか、卒業式の日にたまたま塾に採用の問い合わせの電話ををしたら、僕が電話を掛けるその直前に採用を辞退した先生がいて、僕が偶然にも採用されたりとか、そういった偶然性が本当に頻繁に起こるようになり、今に至っている。

此の花の咲くや姫が祭られている神社に行くと、必ず前後に777のプレート番号の車が追従してくるとか、信仰されている神社や山に行って、磐座や石宮を写メにとると、その写真だけが文字化けしてPCに送れないとか。日常茶飯事に訳のわからないシンクロニシティが連発する。

実は昨日もそうだ。午前中に自宅教室に来る予定になっていたお子さんが風邪をひいて来れなくなったというので、急遽家内と平泉温泉に出かけた。その後金鶏山に散歩がてら登ったのだが、案の定、写した頂上にある石宮が転送不可だった。ちなみに源義経の妻と息子が眠る墓所の写真はOKだった。もちろんそのほかの写真も問題がなかったのにだ。

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それにしても一関周辺には歴史的な人物の縁ある人々が眠っている。金鶏山のこの場所もそうだし、一関東山には菅原道真公の奥方のお墓もある。

きっとこの地には、癒しを必要とする人々を惹きつける何かがあるのかもしれない。

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本当に聞くだけで英語力は身に付くのですか?

一応英語教育が専門なので、英語に関する質問を頂くことが多いのだけれど、英語習得にかんすることで一番多く尋ねられることは、本当に聞くだけで英語力は身に付くのですかという質問だ。

巷では聞き流すだけで、英語が話せるようになる等の宣伝文があふれているせいもあるのだろうが、疑いを抱く人は多いようだ。

確かに、聞かないよりは聞いたほうがいいに決まっているが、英語が全く分からない大人が、英語を聞き流すだけで英語力が身に付くとは思わない。僕の教え子のお兄さんで、高校時代英語が全くできなかったにもかかわらず、高校卒業後アメリカに2年遊学して帰ってきてみると、発音も表情も完全にアメリカンというつわものがいた。そういった特異なパターンがあるけれど、10代という若さがもたらした効能だったろうと思う。

小さい頃は文法も語法もなんのその、国籍や民族性など関係なく英語をどんどん吸収していく。いや英語という言語感覚など意識せず、英語を習得していけるはずだ。しかし中学生ぐらいを過ぎると、理屈で英語を覚えようとする。これが時間がかかるし、莫大な言語習得のための労力を必要とする。

経済的環境がゆるすならば、高校時代に3年も英語圏で学べば、そりゃ一番手っ取り早い語学勉強になるだろうけれど、みんながみんなそのような環境に飛び込むことができるわけではない。かく言う僕も、生まれて54年間、一度も外国の土を踏んだことがない。出不精であることも確かに一つの要因だけれど、一番の理由はお金がないことだ。残念!

さて現代において一番有効な英語の習得は、レンタルDVDだろうと思う。英語の字幕で、英語音声の映画を見ることが、一番効率の良い英語勉強法だと思う。ただしこれも、少なくても中学英語の語法知識があってという条件が付くけれども。

つまり日本人の大人が英語を話せるようになるためには、中学レベルの英語の習得が基本にあるべきだと僕は考えている。中学の教科書がスラスラ読めて、意味が同時に入ってくるレベルがあれば、あとは一気に英語力は加速すんじゃないだろうか。それこそ英語を聞き流すだけでも、言語脳は活性化されて行くと思う。

そういう意味では、中学英語を高校入試があるからという意識で学んでいる中学生にとっては、ある意味不幸なことなんだろうなと思う。

英語圏に留学しなくとも、大学や語学学校で英語を学ばなくても、英語がペラペラの日本人は多い。そういった方々の語学習得体験を参考にすることはとても大事なことだと思うね。高校時代の彼氏がアメリカ人だったとか。母親がイギリス人だとか、田舎に住む僕らにはあまり参考にならない事例もあるのだけれど、きっとお金をかけず、宗教にも勧誘されず(笑い)、英語を習得する方法はあるはずだ。

文法書と辞書を片手に英文を必死に読みまくった僕らの世代は、本当に英語習得は大変だった。過去形で書いたが今でもそうだ。もうすぐ小学校で本格的な英語教育が始まる。数十年後、英語が普通に街中で話される日本の風景がやって来るのだろうか。きっと僕はもうその頃は存在していないだろうけれど、とても興味があるな。

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2015年2月25日 (水)

たかがビザトースト、されどビザトーストである

僕は仕事柄夜は遅くなる。自宅に帰って夕ご飯を食べ、メールをチェックしブログを書き、風呂に入ると時計は夜中を過ぎて、寝る時間は1時ぐらいになる。

しかし朝は早い。6時には目覚め、女房が息子たちの弁当を作っている間、僕はコーヒーをドリップし、ピザトーストを作るのが日課になっている。

パンも具材もこだわりのピザトーストだ。

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ちょっとキザだけれど、食は人生を作って行くと僕は思っている。たかがビザトースト、されどビザトーストである。

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2015年2月24日 (火)

我が家の家訓

一関花泉の丘陵地帯に居を構え、僕で18代目になる。僕のご先祖は400年あまり、この地で農業を営んできた

家訓と言えば仰々しいが、小さい頃から祖父や父に戒められてきたことがある。賃借契約に関して、人の保証人になっていけない。他所の家にあることは我が家にもある。軽蔑したり嘲笑ってはいけない。

明治の中頃に、我が家は保証人になったばかりに、田畑や山林そして自宅まで失い、一文無しになったこがあったことを、何度も聞かされて育った。

他所様の家で起こる不幸は、わが家にだって生じる可能性がある。手を貸すことはあっても、傷口に塩を塗るようなことをやってはいけない。何度も何度も言い聞かされた。

したがって僕は用心深い人間として成長した。甘い話には裏がある。そんなことを常に意識して生きてきた人生だったように思う。

人の身体能力や経済力を決してバカにしてはいけない。人にはそれぞれの事情があるのだということを、僕は祖父や父に教わった。父は5人兄弟の長男だったが、家計が苦しく、末の弟以外高校に行かなかった。僕の叔父や叔母たちはいわゆる中卒だ。

高校や大学を偏差値で評価し、低い学校をバカにする人間がいるが、僕が一番嫌う人間だ。このブログで何度も書いてきたが、出来ないことが個性なのだ。

僕は底辺にある高校に入り、私学の大学の文学部に入ったけれど、学歴という点に於いてはずっと日陰の道を歩いてきた。人に軽蔑されたことはあっても、人を学力や学歴でバカにしたことはない。僕が塾屋として生きてこれたのは、ひとえにそれ故だったのではないかと思っている。

誰にでも個々人の事情がある。家庭環境というものは間違いなく人間形成に多大な影響を与えるものだ。少しくらい頭がいいと思って、他人をバカにしていると必ずしっぺ返しが来るものだ。

ちょっとお金があると思って、貧乏人を憐れんでいると、自分が憐みの対象に突然なったりするものだ。

長い人生の中には、様々な波がやって来る。様々な季節がやって来る。個々人の家の歴史もそうだ。自分の行いや想いは、良くも悪くも後に返ってくる。それも利子がついて。

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『核のごみ』処分

今日2月24日の岩手日報朝刊の論説、「『核のごみ』処分」というテーマからの抜粋である。

無害化まで何万年もの期間が必要とされる「核のごみ」。原発保有国の中で処分場が決まっているのは岩盤が強固な北欧の2ヶ国だけだ。世界有数の地震国、火山国で適地を見つけることは容易ではあるまい。

地層処分をめぐっては、本県(岩手県)でも過去に取りざたされたことがある。動力炉・核燃料事業団(現原子力研究開発機構)が、北上高地や沿岸部で地質環境調査を実施。釜石市では地下研究施設誘致計画が持ち上がったが、白紙に戻っている。

約10年前には、原子力機構による遠野市でのボーリング調査計画が波紋を呼んだ。同市と県は調査への反対を表明。当時の増田寛也知事は「岩手は核捨て場にふさわしくない」「将来の候補地になりかねないという不安のある調査は、国や機構からの働きかけがあっても反対していく」と述べている。

現在岩手県は北上高地に巨大なトンネル工事を施行する、ILCなる研究施設の誘致に躍起になっている。一関市を歩いているとILC誘致のポスターがいたるところで見ることができる。北上高地の地盤がトンネル工事やILCの研究に適した強度を持っているという地質調査は、ひょっとすると原子力機構による過去のデータによるものではなかったのかたと、疑心暗鬼に陥る。

誘致が成功すれば10年ほどの研究に莫大な予算が投じられ、地元にもたらす経済効果は計り知れないらしい。しかしである。過去の記事でもふれたが、実験研究後に残される北上高地に掘ったトンネルの空洞を、核のゴミ置き場には絶対しないでほしいと願っていいる。

あるものは利用したくなるのが人間の性だ。鼻先の人参に煽られ、自然豊かな北上高地を利権と権力の渦の中に埋没させないで欲しい。

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2015年2月23日 (月)

神の啓示を受けた

「ぬらし絵を描くと、呼吸が整う。脳内が安らいでリラックスします。
ゆっくりと色の世界に浸るひと時が好きです。」

塾に向かう前、自宅で濡らし絵をやってみた。上が家内の作品、下が僕の作品。テーマは光の放射。

僕は芸術とは程遠い人生を歩んできた。絵は好きだったけれど、全く褒められたことがなかった。色弱ということもあったけれど、一言で言えば、絵のセンスがなかったのだろうと思う。

音楽に関してもそうだ。小学校の頃は、演芸会というといつもカスタネットかシンバルのたぐい。メロディを奏でる楽器のパートを任されたことは一度もなかった。譜面が全く読めなかったし、楽器を奏でる才能もなかった。

中学1年の時に、フォークギターを手にした僕は、大げさに言えば神の啓示を受けた。これだと思った。勉強は限りなく遠のいて行ったけれど、ギターとの出逢いは、僕の人生を変えるのに十分すぎるほどの衝撃的な邂逅だった。

僕は芸術音痴だけれど、芸術を目指す人はいいなと思う。才能に恵まれた人を見ると本当にいいなと思う。もちろん才能は努力で開花するものだけれど、努力を続けられる力こそ才能のあかしだろうと思う。

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久しぶりの散歩

今月に入って中3生の日曜講座を開講しているので、実質休みのない日が続いている。短大はすでに春休みに入っているので、昼の授業はないのだけれど、この時期心が休まる日々がない。

受験指導はもちろんだけれど、来季の講座や経営面での戦略など、ない頭を振り絞って考えている。しかし毎年、これといったひらめきが生まれず、グダグダとしている。困ったものだ。

今日の朝は、本当に久しぶりに温度がマイナスにならなかった。家内と花泉図書館に行ったついでに、田んぼの周りを散歩してきた。気分転換である。

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花泉北中学校時代、マラソンで走った金流川の土手を歩いてみた。風は強かったものの、間違いなく春の匂いがした。

ところで花泉図書館で、とある発見をした。恩田陸さんの小説をかつて2、3冊読んだことがあったのだが、僕は男性作家だとばかり思っていた。女性の方だった。知らないことが多すぎる・・・。

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2015年2月22日 (日)

基本的な疑問

原子力規制庁は22日、東京電力福島第1原発の排水溝に設置されている測定器で放射能濃度が高いことを示す警報が鳴ったと発表した。排水に高濃度の汚染水が含まれていた可能性があるという。
 規制庁や東電によると、最初の警報は22日午前10時ごろ。その10分後にはさらに高濃度であることを示す警報が鳴った。
 同10時20分から50分にかけて計測された値では、ストロンチウム90などのベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり5050~7230ベクレル含まれていた。地下水を海に放出する「地下水バイパス」の運用で東電が定めた濃度基準値は同5ベクレル未満。
 排水溝は港湾内につながっており、規制庁はゲートを閉じるよう指示したという。汚染水が貯蔵されているタンクからの漏えいなどは確認されておらず、東電が原因を調べている。(時事通信2月22日)

天文学的な数字の放射能汚染物質が太平洋に流れ込んでいる。この物質は消えたわけではない。きっと海底にへばりついているか、海中を漂っているはずだ。魚介類が汚染されていなと言うが本当だろうか。福島相馬沖の貝からは50ベクレルのセシウムが検出されている。

漁業関係者は50ベクレルに下がっているのに、風評被害だと言う。ちょっと待ってくれ。50ベクレルの魚介類は安全な食べ物なのだろうか。

東日本大震災の被災地で、血管の病気「急性大動脈解離」の患者が、震災前に比べて2・2倍に増えたことが岩手県立中央病院(盛岡市)の医師らの調査でわかった。理由は何だろうか。

類推で物事を言ってはいけない。ましてや放射能なんていう言葉を軽々しく言ってはいけない。世の中はそんな風潮だ。なぜだろう。

震災後70歳以上のお年寄りの死亡人数の推移が岩手では倍以上になっている。震災後のストレスによるものだというお医者さんの弁が寄せられているが、本当だろうか。老人人口が多いからという理由でかたずけていいのだろうか。

実は何かとんでもないことが起きているのではないだろうか。

類推で物事は言ってはいけない。ゆえに僕はこれ以上言わない。ただ、原子力を必用としている人たちに言いたい。責任をとれないことはやらないほうがいい。ただそれだけを言いたい。

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二人は異質だ

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昨日の記事で浅田次郎さんの記事を書いたら、偶然にも今日の岩手日報に、浅田さんの遠野市での講演会の記事が載っていた。シンクロニシティでしたね。

「時代小説の基礎知識」と題して遠野いわぎん会の新春講演会が、遠野市新町のあえりあ遠野で行われ、今年の基調講演は浅田次郎さん。20日の夜に仕事なければ行きたかったな~。

浅田さんの小説には東北を舞台とした作品がいくつかある。浅田さんの小説は、50を過ぎてから読み始めた。村上春樹氏と同世代の作家だが、小説の次元が違う。浅田次郎さんと村上春樹氏の小説を比べること自体ナンセンスなのだろうけれど、同時代に生きている作家とは思えないほど、二人は異質だ。

村上文学は、読み手に小説を書いてみたいなという衝動を喚起させる先品が多いが、浅田次郎さんの時代小説は、参ったという感動の吐息が思わずでてしまう作品だ。ゆえに両氏の作品は売れるのだろうと思う。

文章を書くという行為は、とてもエネルギーを必要とする。たかだか8年間近くブログを書いてきただけでも僕はへとへとだ。毎日締切に追われる作家の日常を考えると、くらくらしてしまう。やはり僕は読者がいいな。

今度生まれ変わったら小説家も悪くないな~なんて妄想をしていたけれど、やっぱりやめてこうっと・・・・。

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ブログの本来の目的を遂行しようとするとアウト!

ブログ村の全国塾ランキングで、このわくわく日記が、今週1年ぶりにベスト10に入っていた。実はブログランキングの貼り付けを何度かやめようと思ったのだけれど、どんな記事に対して読者の方がクリックして頂いているのかを知ることによって、どんなブログ記事が支持される傾向にあるのかを認識できる利点を捨てるのももったいないと思い、貼り付けを継続している。

その結果、支持される傾向ランキングがわかった。

≪その1≫まず短い文章は支持されない。駄文でも長い文章の記事はポイントが高いようだ。

≪その2≫写真を張り付けた記事は支持されない。中身を文章で表現してこそ支持されるようだ。

≪その3≫痛い話は支持される。しくじった話や、やっちまったイタイ話はなぜかポイントが高い。

≪その4≫塾の宣伝文は支持されない(笑い)。このブログの本来の目的を遂行しようとするとアウト!

≪その5≫差別や不条理に対する批判記事は支持される傾向にある。個人名や組織名を近頃は書けなくなってしまったことがイタイ・・・・・・

震災後過激なブログとして、多くの方々に身上的心配をしていただきましたが、最近は皆様から頂く情報を書けない状況が増えています。勇気がないなあ~と言われてしまえばそれまでなのですが、やむにやまれぬ状況をお察し頂ければ幸いです。

パソコンがウイルス攻撃されるぐらいならウイルスバスターで凌ぐこともできますが、さすがの自称宇宙人と言えども、霞を食べて生きて行くわけにはいかず、あまりあちこちに敵を作ると、このブログどころか、生業そのものが危機的状況に陥りかねません(もうすでに陥っている感がありますが≪笑≫)。

復興支援政策に対する政府の見せかけのパフォーマンス。原子力を取り巻く魑魅魍魎の暗躍。常識という名の仮面をかぶった権力者たちの妄言。書きたいことは山ほどあるのですが、残念ながら踏み込めず地団太を踏むことが多々あります。

ご存知の方も多いかと思いますが、このブログも何度か炎上の危機に遭遇しました。徹夜作業で、ランダムに送られてくる途方もない迷惑メールやコメントを、ブロックし続けたこともあります。

怪しげな手紙を受け取ったことも多々あります。しかしそれ以上に励ましのメールやコメント、そして手紙や、支援物資までも頂きました。

なんか普通の塾ブログになってしまった感がある僕のブログですが、それでも月に何度かは、メタファー的暗喩を駆使して、危ない橋を渡っているつもりです(笑い)。

気長に書き続けていきたいと思っています。今後もよろしくお願い致します。

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2015年2月21日 (土)

浅田次郎の作品は身体を覚醒させる薬だ

  • 日輪の遺産(1993年8月30日、青樹社)のち講談社文庫、徳間文庫
  • 地下鉄に乗って(1994年3月31日、徳間書店)のち文庫、講談社文庫
  • 鉄道員(短編集:1997年4月28日、集英社)のち文庫
  • 活動寫眞の女(1997年7月25日、双葉社)のち文庫、集英社文庫
  • 月のしずく(短編集:1997年10月30日、文藝春秋)のち文庫
  • 見知らぬ妻へ(短編集:1998年5月30日、光文社)のち文庫
  • 霞町物語(短編集:1998年8月20日、講談社)のち文庫
  • 天国までの百マイル(1998年11月16日、朝日新聞社)のち文庫
  • 壬生義士伝(2000年4月1日、文藝春秋)のち文庫
  • 薔薇盗人(短編集:2000年8月25日、新潮社)のち文庫
  • 姫椿(短編集:2001年1月30日、文藝春秋)のち文庫
  • 王妃の館(2001年、集英社)のち文庫
  • オー・マイ・ガアッ!(2001年、毎日新聞社)のち集英社文庫
  • 霧笛荘夜話(2004年、角川書店)のち文庫
  • 憑神(2005年、新潮社)のち文庫
  • お腹召しませ(2006年、中央公論新社)のち文庫
  • あやしうらめしあなかなし (2006年、双葉社)のち文庫
  • 月下の恋人 (2006年、光文社)のち文庫
  • 月島慕情(2007年、文藝春秋)のち文庫
  • つばさよつばさ(2007年、小学館)のち文庫
  • 夕映え天使(2008年12月、新潮社) のち新潮文庫
  • ハッピー・リタイアメント(2009年、幻冬舎)のち幻冬舎文庫
  • 終わらざる夏(2010年、集英社)のち集英社文庫
  • 一刀斎夢録(2011年、文藝春秋)
  • 降霊会の夜(2012年、朝日新聞出版)のち朝日文庫
  • 赤猫異聞(2012年8月、新潮社)
  • 一路(2013年、中央公論新社)
  • 上記の著作は僕が今までに読んだ浅田次郎の著作だ。Wikipediaからの転載だ。浅田次郎さんの作品には本当に泣かされた。

    彼の凄さは文章のリズムの完成度にある。自慢することでもないけれど、本は本当にいっぱい読んできた。古今東西、素晴らしい作家はいっぱいいるけれど、浅田次郎さんほど文章が歌を歌っている物書きはいない、・・・と僕は思っている。

    体調が悪い時など、浅田次郎さんの作品を読むと、調子が出てくる。身体がリズミカルな文体で覚醒する。

    彼の作品はすべていいけれど、その中でも一番好きなのは、『壬生義士伝』と『天国までの百マイル』だ。読み終わると、生きててよかったと思う作品だな。

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    あと2週間ちょっとで高校入試だ

    毎日少しずつ日が長くなってきて、池の氷も溶けはじめ、木々でさえずる鳥たちの姿にも、寒さに戸惑う様子が消え、ようやく春の気配を感じるようになってきた。

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    田んぼの水路に氷結した氷の塊も、厳冬期の半分ほどになった。もうすぐフキノトウも芽を出すだろう。

    塾に通ってくる子どもたちの中には、早くもくしゃみや鼻水に襲われ、春の到来を否応なしにも感じている生徒も多い。今年は花粉の飛翔が多いらしい。耳鼻科にも行かなければ。

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    塾の教室からは、毎日磐井川の土手に沈む夕日がを眺めることができる。土手は雪が消え、中学生や高校生が沈む夕日の中を元気に走りまわっている。

    あと2週間ちょっとで高校入試だ。いよいよだね。

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    2015年2月20日 (金)

    大切なものは何ですか

    大切なものは何ですか。

    家族ですか。お金ですか。命ですか。

    僕は自分の想いが大切です。

    女房を愛しているし、息子たちを愛しています。もちろん年老いた母も愛しています。そんな自分の想いが大切です。

    僕は偽善者じゃないので、教え子たちを愛していますなんて言いません。教え子たちは、僕のビジネスパートナーであり、支えるべき対象です。だから毎日一生懸命支えています。勉強を教えることを通じて。

    僕は自分が死んでいくことは怖くないのですが、家族や友人が死んでいくことは耐えられません。愛するペットもです。ずいぶん身勝手な人間です。

    神様がいてもいなくても人生は過ぎていきます。神様を信じるから金持ちになったり幸福になったりするのではないと思います。きっと自分の人生を誰かに認めてもらいたいんでしょうね。

    世の中で自分が必要とされていることを実感する瞬間がいっぱいある人が幸せな人間じゃないでしょうか。そのために勉強をしたり仕事を頑張るんじゃないでしょうか。

    通帳に増えて行く預金高をみて満足することもあると思うけれど、豪邸を建てても、豪勢な車を買っても、しょせん半年もすれば愉悦などというものはマヒしてしまうもの。所有欲がエスカレートするだけで、幸福感は希薄なままで人生の中を推移していく気がする。

    多くの人が生活が苦しいと言う。生活費がかかり過ぎる。給料が上がらない。ボーナスが出ない。教育費がかかるほとんどがお金に起因する苦しみのようだ。

    大切なものは何ですか。

    健康ではないですか。3度のご飯を食べていませんか。寝る場所がありますよね。休日もありますよね。

    大切なものは何ですか。

    病気ですか。食べるものがないですか。寝る場所が無いですか。家族はどうしてますか

    僕は、僕が僕自身であること、あなたがあなた自身であることが大切なことだと思います。誰かと比較する自分ではなく、誰かに遠慮する自分ではなく、誰かのために存在する自分でありたいと想っています。そんな想いを大切にしたいです。

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    2015年2月19日 (木)

    奨学金返還に『防衛省で就業体験』

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    昨年秋の新聞記事がTwitterに紹介されていたが、水面下で恐ろしい政策が着々と進行しているようだ。

    お金がなくて返還できない若者は徴兵制に応じろということを、堂々と宣言したもので、学問をする若者たちの人権を著しく損ねるものだ。

    震災以後被災者の救済措置として、いくつかの特別奨学金が高校生や大学生に支給されてはいるが、全国的に経済格差が広がり、大学や短大への進学率が低迷している。

    僕は高校と大学と育英奨学金を7年間借りることができたが、あのお金がなかったら、高校も大学も行けなかった。返済するのに42歳までかかったが、無利子の奨学金には本当に感謝をしている。しかし今は、返済金に多額の利息が付く。単なる教育ローンになってしまっている。

    子どもが生まれれば、子育てにどれだけお金がかかるかは、はじき出されるものだ。時に教育費は莫大なお金がかかる。それに合わせて教育資金を積み立てる義務が親にはあるわけだが、現状は難しい。

    突然の給料カット、リストラ、そして経済的理由による離婚も増加している。そんな中で子どもを大学まで出すお金を工面することが困難な家庭が多い。

    大学を出なければ就けない職業が増えている。若者の就学の機会を経済状況が奪ってしまっている現状は、国家の大きな損失だ。

    しかしそのことと、経済的徴兵制をリンクさせてはいけないはずだ。学問の自由や働く権利が間違いなく蹂躙される。

    安倍内閣が独走する政治の手腕が、次から次へと軍国主義に傾いていることに、僕は寒気を覚える。

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    大験セミナーHP春期勉強会のご案内

    2015年2月18日 (水)

    「先生の授業はつまらない」と生徒に言われたら

    最近気づいたことがある。僕は孤独が好きなのではなく、孤独に耐えらえる人間なんだということをだ。そしてもう一つ気づいたこと、それは自分がかなり変人であるということだ。学生時代の夏休み、ずっと引きこもって本を読んでいてもまったく問題なかった。間違いなく変わった人間だった。過去形で書いたが、今もそうだ(笑い)。

    週末になると必ず部下を引き連れて飲み屋さんやカラオケに繰り出す仕事人がいらっしゃるが、実は僕が最も苦手とするタイプで、そういった世界がいやで一人黙々と自営業にいそしんでいる。

    せっかくの日曜日なのに、接待ゴルフに出かけ、上司をよいしょする状況などというのは耐えられない。自分の思ったように人生を生きて行くことを目標にしたというのが、僕の職業観であって、唯一の僕の我儘だった。

    大学を終えて東京の私塾に勤めたのは、腰掛のつもりだった。就職活動らしきものはやることはやったが、生意気にもクリエイティブな音楽関連の仕事を目指していた。ヤマハやカワイを受けようと思ったが、会社訪問の時点でお払い箱だった。

    大学では教職もとらなかったし、バイトと文学と音楽に耽溺する、ノンポリの日和見的な学生だった。

    腰掛のつもりの塾の仕事に就いてビックリした。先生方の授業が素晴らしいのだ。中学や高校時代の先生方の教え方はなんだったのかと思うくらい、素晴らしいわかりやすい授業だった。彼らのような授業をやろうと僕なりに頑張った。一生の仕事にしてもいいかなと思った。

    塾教師として僕が決めていることがある。授業は面白くて刺激的じゃなければいけないということだ。「先生の授業はつまらない」と生徒に言われたら、この仕事を引退する時だと思っている。

    来年度は開塾25周年。カリキュラムの大転換をしようと、現在新しい塾のチラシを作成中である。春期勉強会は例年通り開催する。明日から春期勉強会のご案内を塾生に配布する。

    よろしくお願いします o(_ _)oペコッ

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    こんなしんどい商売はやってられない

    世の中には当然のことだけれども、様々な仕事がある。そしてその仕事をやるにはそれぞれの資格なり免許が必要だ。

    お医者さんには医師免許が必要だし、保育園の先生は保育士免許が必要だ。ところが塾教師にはなんら資格も必要ではない。大学や高校を出ていなくったってOKなのだ。もちろん教員免許もいらない。

    大手の予備校や塾の採用基準のなかには、大学卒業以上の学歴とか、教員免許を有することが望ましいなどの記述が見受けられるが、教えられることができるかどうかが問題であって、資格などは二の次三の次だ。

    塾生を合格に導く指導力と教養と学力そして体力とはったり力が要求される。言葉は悪いがヤクザな仕事である。

    僕が塾を始めた頃(25年前)は、塾を始めるにあたって必要な公の手続きは、税務署に個人事業主の届をするだけでOKだった。きっと今でもそうだろうと思う。当時の管轄は確か通産省だったか運輸省だった。今では形式的に文科省の管轄になっているようだが、塾という職種は今でもサービス業に分類される。

    教室を開けばだれでも明日から塾経営者である。机と椅子そして黒板かホワイトボードがあれば開業OKだ。ハード面ではこれほど簡単な職種はない。仕入れの在庫に悩むこともないし、売掛買掛などの複雑な帳簿も必要ない。

    実に簡単に開業できるできる仕事がゆえに、毎年多くの塾が誕生する。しかし厳しさはその後である。近隣で開塾した塾を見ていると、開講した塾の3分の2が5年以内に消えていく。残るのはわずか3分の1だ。

    合格させればいいだけではない。なにせ僕の町では、少子化が進み、高校に落ちる生徒がほとんどいない。私立大学にしてもしかりである。塾の外に『全員合格!』などとのぼりばたを掲げても、それがどうしたのという感じなのだ。

    パソコンをフルに活用して、最先端のIT指導をする塾があれば、僕の塾のようにパソコンすら塾に置かず、完全な寺子屋式の塾もある。何を選択するかは指導者の自由であるし、生徒や親御さんの選択肢の自由でもある。

    一関で、僕の塾は4番目ぐらいに古い塾である。ただ25年間同じ場所で塾を続けているのは、僕の塾ぐらいだろうと思う。自慢でもなんでもないけれど、僕は猫型の経営者なのかもしれない。

    僕が一関一高の前で塾を開いて以来、一高の近くに3件の塾ができたが、その3件とも移動したかもしくは辞めていった。後で知ったことだけれど、それらの塾の経営者はすべて一高のOBだったらしい。一高のOBじゃない僕が、居座り続けていることが不思議な気がしないでもないが、塾教師には出身学校も学歴もさほど関係ないことの証明じゃないだろうかと、勝手に自分を鼓舞している。そんなふうに開き直らない限り、こんなしんどい商売はやってられない。それが本音だ。

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    綱吉の気持ちがわかる気がするな・・・

    作家で評論家でもある岬龍一郎氏は近著『日本人のDNAを創った20人』(育鵬社)で、こう語っている。

    「この“生類憐みの令”が発布された理由にはその時代背景も考慮する必要がある。当時はまだ戦国の気風が色濃く残っていた時代で、加えて病人や牛馬などを山野に捨てたり、旅先の宿で旅人が病気になると病人を追い出したり、見捨てたりするといったことが普通に行われていたのである」

    綱吉が吉兆を占ってもらった道士から、動物の殺生を戒められて、生類憐みの令を発した等の話が伝わっているが、真相は姥捨て山などの悪しき慣例を庶民にやめさせようとしたのが、法令の狙いだったのではないかとの、岬龍一郎氏の指摘である。

    生類憐みの令は6代将軍・家宣の代に撤廃されたのだが、この後も幕府は老人や捨て子の禁止といった人間に対する法令はそのまま継続したという。

    徳川綱吉と言えば、身長が124センチの低身長で、身体のコンプレックスなどが動物愛護という極端な政策に走った原因だという説もあるようだが、綱吉が低身長だったという説は、篠田達明さんという方が「徳川将軍家15代のカルテ」(新潮新書)で述べている説であって、史実は定かではない。

    徳川家では亡くなった将軍のご位牌を身長にあわせて作ったという説から、徳川綱吉低身長説が生まれたようだ。

    ところで僕が住んでいる一関では、『はかだち』という方言がある。農家の人たちが仕事に出かけることを意味する言葉なのだが、『墓を出て仕事に行くか』というニュアンスの言葉である。

    気になって様々な方言の古書を調べてみると、どうも姥捨て山に捨てられた老人が、捨て山の小屋から、倅の田んぼに隠れて仕事に行くことの、隠語だったらしい。泣けてくる話である。

    僕の地域では、老人ホームの空きがなくて50人待ち、100人待ちが当たり前だそうだ。老人介護は確かに大変だけれど、老人ホームに自ら好んで行く人はいないのではないだろうか。なんとなく綱吉の気持ちがわかるような気がするな。

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    2015年2月17日 (火)

    男女交際

    友人がぽつりと言った。

    「あのころ発情していたからな」

    人は思春期を迎えると発情する。生理学的にも肉体的にも。

    そっちの方向にフェロモンがバリバリ拡散されれば、理性はどこへやら。悲しき性(さが)の奴隷に呪縛され、精神は漂泊する(笑い)。

    時に学問を放棄し、仕事さえ放棄する暴挙に慢心してしまう若者が出てくるのは世の常だ。男が女を求め、女が男を求めることは、まったくもって自然なことなのだが、そのことに対するストレスと向き合うことなく、欲望のまま行動することは日常のバランスを欠いてしまう。

    じつは中学生や高校生にとっては受験や就職活動より重大な問題であるにも関わらず、世の中ではないがしろにされる傾向が強い。はっきりと言ってしまえば、だれもが通ってきた苦悩にも関わらず、自称良識ある大人たちは蓋をしてしまう。

    かつての同級生や今の高校生もそうだが、彼女や彼氏がいる高校生たちは、学校の授業が終わった後のランデブーに思考が呪縛され、もはや理性のかけらもない(笑い)。

    まあ確かに受験勉強やクラブに汗を流すよりも、ずっと刺激的で楽しいことが待っていれば、そっちの道に驀進いていくのは当然だろう。・・・・でもそういった生徒たちに学校の先生方はどんなアドバイスや生徒指導をするんだろうか。

    僕はある意味良識ある教師でないので、直球勝負の言葉を投げかける。

    「結婚したらいやでも、頑張らなければならないし、やりたいだけやれるんだから、今から頑張りすぎると飽きちゃうぞ。まあ今しかできないことがあるからさ、そっちにエネルギーをちょっと持っていったら」

    こんな感じ。生徒は目をぱちくりしている。

    性衝動に対するアドバイスは、オブラートで包んだおとぎ話では、現代っ子は聞く耳を持たない。

    日本の民法では親の同意が必要と言えども、女子は16歳、男子は18歳になれば実質的には結婚が認められている。高校生が付き合うことを否定する根拠は実は法律的には何もない(当たり前の話だけれど)。未成年者という言葉や、校則という言葉が持ち出されるが、婚活に悩む成人男子や女性を見るにつけ、学校サイドの交際禁止処置は時代遅れなのではないだろうか。

    今若い親御さんの中には、高校時代に結婚相手を早く見つけなさいという親御さんがいたりする

    携帯電話が普及して、一見男女交際が華々しいかと思えばそうでもないらしい。先月の記事でもふれたけれど、成人式を迎える若者たちの8割が、恋愛のお付き合いの経験がないのだという。これでは、我々の時代と何ら変わりがないことになる。

    多くの過激な情報や刺激に過敏すぎて、逆に現代っ子は恋愛に消極的なのかも知れない。あのころ発情していたからなと言った友人は50歳を過ぎて離婚した。僕に言わせれば、今でも十分発情していると思うのだけれど、僕は『そうだよな』と言葉を発しただけで、沈黙していた。ユウジン心である(笑)。

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    2015年2月16日 (月)

    塾の辞め方 パート2

    今月に入ってブログの検索ワードで一番多いのは『塾の辞め方』だ。2週間ほどで200人ほどが、この検索ワードで僕のブログに入ってきた。

    僕も四半世紀塾を営んできたので、様々な塾の側面を見てきたわけだけれど、やはり塾を途中で退会していく生徒の本音を知りたいというのが、塾経営の中で一番心を割く事案である。

    震災以後は、その塾の辞め方も大胆になってきた(笑い)。震災前は絶対にない辞め方が震災後増加した。それは、突然来なくなってそれでおしまいという辞め方だ。

    4年前のカタストロフィに於いて、某国のような略奪などは表立って生じなかったけれど、詐欺的なNPO法人を立ち上げたり、復興資金を闇で流用するなどの事案はかなり耳にした。

    外国から、被災者の謙虚さや道徳心を称賛された今回の東日本大震災だったけれど、残念ながらこの震災の復興の中で、心が疲弊し、投げやりになってしまった人々が多くいることも現実である。

    塾の辞め方の話に戻ろう。僕の意見というか考え方だけれど、塾を退出するのはいつでもいいだろうと思う。『今月いっぱいでやめさせていただきます』という言葉で十分だろうと思う。成績が伸びないのは、ひょっとすると塾の指導が本人に合わなかったのだろうし、塾の先生との相性もあったのかもしれない。

    反省は塾側がすることであり、ご丁寧に退出の本音を言う必要もないだろうと思う。

    塾と言うところは不思議なところで、はまると猛烈に成績が上がって行くけれど、いくら塾が頑張っても、その頑張りが家庭学習に結びつかないとまったく効力が発揮しない。

    塾で勉強しているからやらなくていい』なんて言うつわものが時に存在するわけだけれど、月謝がどぶに捨てられて行くようなものである。塾教師は魔法使いでもないし、奇跡を起こすパフォーマーでもない。確かに入試でどこが大切か、生徒のどこが弱いかなど、把握はしているのだけれど、そのことを生徒本人がアクションに起こさないと、塾のマジックは効力を発揮しない。

    塾の存在を漢方薬的に見ていただく方が少なくなったように思う。即効性のある抗生物質的な指導を要求されている。漢方薬は必要ないと言われれば、僕の塾はたたむしかないのだろうと思う。

    少子化が進み、塾は増えて行く。辞めても他の塾がいっぱいある。選択肢は多い。しかし青い鳥症候群になってはいけない。

    本来勉強は学校で学び、自分で努力するものだ。塾がメインじゃない。

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    朝方不思議な夢を見た

    朝方不思議な夢を見た。高校の修学旅行の夢だった。

    僕は高校時代、家庭の事情で修学旅行は行かなかった。行きたいのを我慢したわけでもなく、心から行かなくてもいいと思って行かなかった。

    修学旅行のバスは海岸線を通り、山の神社に向かった。修学旅行に随行していただいた3人のおばさんと別れた後、僕は一人神社に向かった。

    夢の中で神社の名前を確認しようとしたのだけれど、○○穴神社というところまでしか認識できなかった。穴の字がつく神様なのか神社なのか、そんな感じだ。

    階段を上って行くと、急に階段が滑り台に変身して僕は、なかなか楽しそうに滑っている。ふと階段の下に目をやるとお猿さんのお面をかぶった人がいる。いや神様だろうか。

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    こんな感じのお面だったろうか。

    そこで目覚まし時計が鳴り目が覚めた。インターネットで穴の字がつく神社を調べたら、室生龍穴神社(むろうりゅうけつじんじゃ)がヒットした。京都貴船神社の御祭神である。貴船神社と言えば、宮城県の金成の有壁にも貴船神社があって、毎年参拝しているのだが、竜神様がいらしゃる神社だ。

    何かのお告げだろうか。

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    2015年2月15日 (日)

    史上最低の公立高校入試倍率に塾業界は

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    上の倍率の表は、昨日『岩手日日新聞』の新聞紙上に発表されたものだ。あえて高校名は伏せたが、一関市及びその周辺の公立高校の倍率が記されたものだ。一番右端をご覧頂ければわかるように、ほとんどの高校が定員割れだ。

    少子化の現状は予想されてきたことだけれど、東日本大震災以後その加速化は急激に進み、岩手県県南の県立高校はほぼ全入の時代に突入した。たとえ第一志望の県立高校を落ちたとしても二次募集で救われる形になる。私立高校受難の時代に突入している。そして我々塾業界も同様に、氷河期の時代を過ぎて絶滅の危機にひんしているのが現実だ。

    市内には公立・国立・私立を合わせ10の高校があるが、今回定員を超えている倍率の高校は、今日入試が行われている一関高専とそして総合学科がある一関二高だけである。

    県下でも特出している市内の進学高が定員割れをしている現行を分析するならば、いたって答えはシンプルだ。将来に於いて大学進学を遠慮する中学生が増えているのだ。

    僕の塾に於いてその答えは見いだせる。震災後、実力テストで学年の上位の生徒が、進学高を受験せず、工業高校を受験するケースが増えている。生徒に話を聞くと、大学に行くには経済的に苦しいので、工業高校で上位を維持して、学校推薦を行っている安定企業に就職したいという答が返ってくる。

    当然僕の塾を選んでくれた理由も押して図るべしである。

    僕の地元県立花泉高校では、OB会が援助して入学生の制服の費用を全額支援することを決めた。地元に高校を残したいという母校愛だ。僕は地元高校の出身者ではないけれど、その新聞記事をみてちょっとじ~んと来てしまった。

    子どもがどんどん減って行くのに、市内では毎年なにがしかの塾が開講し、毎年どこかの塾が廃業していく。本当に我々の業界は大変だなと思う。落ちる生徒がいなければ、おのずと塾の需要は減る。塾そのもののニーズを変えなければならない時だろうと思う。

    震災後、在籍数2割減の僕の塾はましなほうなのだと思う。今年も志望校にトップで合格可能な生徒が数名いる。定員割れだろうが、落ちる生徒がいなかろうが、学力は必要なのだ。今後時代を生き抜いていくために。

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    2015年2月14日 (土)

    人間の想念は半端じゃない

    40年前に父が自宅の裏に立っていた欅を伐採して、今住んでいる自宅の床柱に使用した。その時にきれっぱしとして捨てられていた板を、僕が20年前に掘り起こして、塾に飾った。それがこれである。

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    この板に書かれている稚拙な文字は僕が書いたものだが、我が塾の信念だ。いや僕の信念だ。

    There is a will, there is a way!

    意志あるところに道は通ずる。強く願うことは現実化する。

    人間の想念は半端じゃない。夢を実現できるかどうかは、その人間の意志力にかかってくる。自分を信じる力が、道をこじ開けて行くのだ。

    夢をあきらめないことが、夢を実現する最大の方法だ。残念ながらたいていの人は夢を見ることを途中でやめる。それが良識だとする世の中の風潮があるからだ。

    訳知り顔の人間は現実を見ろと言う。彼らの言う現実とはなんだろう。社会との妥協だろうか。それとも自己欺瞞だろうか。

    なんか寂しいね。

    僕にはまだ見続けている夢がある。負けへんど!

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    2015年2月13日 (金)

    ようやく震災前の人数に回復したと喜んだのもつかの間・・・・

    インフルエンザが猛威を振るっている。塾生も今年に入って4名ほどが罹患し、大変な思いをしたが、学年末の定期テストにはどうにか間に合ったようだ。

    ところでいよいよ今年も申告の時期がやって来る。お米の買取り価格が下落し農業収入は完全に赤字だし、塾のほうもここ20年間で一番厳しい経済状態だった。

    今年度4月にスタートした時は、ようやく震災前の人数に回復したと喜んだのもつかの間、2割の生徒が、部活のために休塾・退会していった。

    地元の中学校の部活を指導していて言うのもなんだが、今年ほど部活をうらめしく思ったことはない(苦笑い)。

    岩手国体が近づいているということもあって、中高生の部活には非常に熱心だ。種々の大会においても教育関係者及び大会関係者の叱咤激励は過去にないくらいヒートアップしている。

    それだけじゃない。2020年の東京オリンピックが決定以降、地元FMラジオからは、一関からオリンピック選手を!なんていうスローガンが聞こえてくる

    震災復興をスポーツで後押しをという感じなのだろうが、なんか違和感を覚えるのは僕だけだろうか。

    さて市内の高校は定期テストに入っている。一高生が塾に早くやって来る。このブログを書いたら出かけるか。

    今年の高校1年生はえらいな。部活が終わって遅くなってもしっかり塾にやって来る。2年生はほぼ全員が来なくなってしまった。残念!

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    『アリとキリギリス』と『ウサギとカメ』の話は、何度読んでも面白い

    寓話が好きだ。特に『アリとキリギリス』と『ウサギとカメ』の話は、何度読んでも面白い。

    僕は性格が悪いので、この手の寓話は裏読みというのか、皮肉った解釈を勝手にして、悦に入っている。

    アリは働き者なんじゃなくて、働かざるを得ない存在であることは誰でも知っている。キリギリスはたった数か月の短い命なのだから、アリのように冬の食料を確保する必要はない。比べることがナンセンスなのだ。僕はこのことを幼少期に知った。天才かもしれない(爆笑)。

    それからこれは寓話ではないけれど、『早起きは三文の特』 を英語で言うとThe early bird gets the worm. と言う。訳せば、早起きをした鳥は、虫をゲットできるということなのだが、早起きをした虫は鳥の餌食になるわけで、早起きは特でも何でももない。このことを高校生の時、大学入試の受験勉強をしていて気づいた。休みの日など、早起きなどするものかと思った。

    話を寓話に戻そう。『ウサギとカメ』は油断をしたウサギをに焦点をあわせたのか、歩みの遅いカメが勝った奇跡を吹聴したいのか、僕は幼少の頃から悩んでいた。

    才能ある人間でも油断をするとあほに負けるんだなあ~と後年理解したかねごん少年は、山里で飛びはねている野兎を見るたびに、秀才ぶってんじゃないよと毒づいていた。

    しかし中学生の頃になって、逆にカメのとろさがムカつくようになった。きっと思春期というやつだったんだろうと思う(笑い)。

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    こんなウサギなら僕はバリバリ恋しちゃうな。おっと忘れてた。うちの嫁さんウサギだった。わお~

    そういうことで、世界の寓話は実に面白い。

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    2015年2月12日 (木)

    思考するゆえに面倒くさい存在でもある

    我々人間は、思考する存在がゆえに優れている生き物のように思われるかもしれないが、思考するゆえに面倒くさい存在でもある。

    朝起きてから眠るまで、実に様々なことを考える。仕事のこと、昼飯のこと、お金のこと、家庭のこと、瞬時瞬時にありとあらゆる想念が駆け巡って行く。残念ながらそのほとんどが欲望に根ざした思考だ。

    この面倒くさい存在を、コントロールするすべはないのだろうかと、凡人の欲望にまみれた僕はそれこそ思考する。

    人間の幸福というものが取り沙汰されるたびに、幸せって何だろうと自問する。思考して幸せが舞い込んでくるならばいくらでも思考するのだけれど、思考力と幸福度は残念ながらリンクはしないようだ。

    考えれば考えるほど人間は幸福から遠ざかって行くように思うのは僕の気のせいだろうか。単純な思考回路で動いている人間のほうが楽しそうに見えることが多い。

    確かに悩んでも悩まなくても明日という日はやって来る。人生の様々な局面を想定して用心深く生きていくことが大切なことのように我々は教育されて育ってきたけれども、鬱的傾向が拡散している社会に於いて、もっとざっくばらんな軽薄な人生でもいいのではないだろうか。

    見栄やはったりだけでも困るけれど、苦悩する人生がいいわけでもない。イエスキリストも考え過ぎるとよくないと言っている。ケセラセラだ。

    Look at the birds: they do not plant seeds, gather a harvest and put it in barms; yet your father in heaven takes care of them! Aren't you worth much more than bireds?

    Can any of you live a bit longer by worrying about it ?

    空の鳥をよく見なさい。種もまかず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値があるのではないか。

    あなたがたのうちだれが、お思い悩んだからといって、寿命をわずかでも伸ばすことができよう。(聖書ルカ 16 13)

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    2015年2月11日 (水)

    『君がいる理由』

    僕らや君たちがいる理由は、ありのままの自分を生きて行くためじゃないだろうか。

    小さなこだわりや、日々の悲しみにうつむいていないで、明日を生きて行く勇気を持とう。つまらない存在なんてない。

    必要だから僕らは生かされているんだ。信じる姿が輝きになる。無理なんかしなくていい。そのままの自分を生きていけばいい。

    思いだそうよ。人生は素敵だよ。人生はいけてるよ。

     

    この世界に降りたった君は、誓ったはずだ。強く生きて行くと。だから逃げないで欲しい。君らしく生きて行けばいいさ。

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    そして肝心なのは親の態度だ

    人間の実力はどこで判断されるのか。世間の評価は仕事ができるかどうかだろうけれど、その判断基準は資格であったり学歴だったりする。

    学歴や資格に関係ない仕事も多い。スポーツの世界、芸術や音楽の世界、と思ったりするわけだけれども指導者となるとやはりある程度の学歴は要求されるようだ。

    世の中の論評は学歴は必要だということに落ち着く。それも少しでもいい大学に入るべきだというのが世の常である。その世の中の風潮のおかげで僕らの仕事は成り立っている。

    いい大学に入るには、高校や中学校や小学校の基礎学力は必要だ。基礎学力なくしてセンター試験等の受験は勝負にならない。大学入試の問題を解くには、気が遠くなるような努力が必要だ。それは幼児期からすでにスタートする。

    ゆえにお受験を目指す若い親御さんが増加し、私立幼稚園・私立小学校・私立中学校の有名学校への受験が過熱する。地方に於いての附属中学校の入試もしかりである。

    そういった学校に入るには、訓練が必要だ。学校では教えてくれない問題への対応や、解放のテクニックが必要になる。塾通いや家庭教師のニーズが増える要因だ。

    お金が必要となる。たとえば、僕の塾は一関市内ではだいぶリーズナブルな塾だという評価を頂いているが、それでも年間最低80000円はかかる。それに交通費や送迎のガソリン代が加わる。通常の大手フランチャイズの塾は同じ指導時間で年間20万円はかかる。お金がなければ塾や家庭教師は利用できないのが現実だ。

    しかしこれは今始まったことではない。昔からそうなのだ。塾に行かなくたって、家庭教師を頼まなくたって、自分で勉強できる子どもは多い。もしくは親御さんがワンツーマンで教えるおご家庭もある。家庭の経済力とこどもの学歴がリンクすることは確かに現実としてあるが、そのことを認めたくない多くの日本人がいることも確かだ。

    だったらどうしたらいいのか。小学校の高学年から子どもに人生の意義を教え、競争社会の現実を教え、努力の先に希望のある生活があることを教えなければならない。大学に行かなくたって生きていけるなどとあいまいで、なれ合いの話をしてはいけない。

    うちはお金がないから、高校や大学に行きたかったら、返還無用の奨学金をもらえるような成績を残し、準備しろと言わなければならない。あいまいな態度ではいけない。

    そして肝心なのは親の態度だ。金がないと言って、酒におぼれパチンコで憂さを晴らしてはいけない。親も努力しなければならない。ガソリン代がもったいないならば、自転車で会社に通うくらいの根性が必要だ。

    わけのわからないテレビなど見ていないで、子どもの前で本を読む習慣を身に着けよう。NHKの英会話ラジオを聴くのもいい。家庭が変われば子どもが変わる、子どもが変われば、家庭全体の意識が変わる。そうするといい偶然が増えて行く。御先祖様もめい一杯天国から応援してくれるに違いない。僕はそう信じている。

    格差社会に負けてはいけない。子どものためにも。

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    2015年2月10日 (火)

    異空間の雰囲気

    9坪ほどの土地に立っている小さな小さな個人塾である。小さいがゆえにちょとこだわりがあって、個性的な絵や写真が教室内に飾られている。

    2階の指導教室から1階に降りる階段の雰囲気が、なかなかいい感じじゃないかとちょっと自画自賛している。

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    一応塾なのだけれど、異空間の雰囲気をちょっと目指している。時にジャズが流れている僕の塾は、やっぱりちょっと変わっているかな・・・・。

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    最近読んだ本

  • ヒキタクニオ著
  • 『焼印なき羊たち』 2011年
  • 『さようなら、私の嘘』 2010年
  • 『俺、リフレ』 2009年
  • 『My name is TAKETOO』 2008年
  • 『上を向いて歩こう』 2008年
  • 『負の紋章』 2008年
  • 『不器用な赤』 2007年
  • 『ゴーでいこうぜ』 2005年
  • 『角』 2005年
  • 『遠くて浅い海』 2005年
  • 『原宿団地物語』 2005年
  • 『桜小僧』 2005年
  • 『アムステルダムの日本晴れ』 2004年
  • 『青鳥』 2003年
  • 『消し屋A』 2003年
  • 『人殺しパラダイス』 2002年
  • 『ベリィ・タルト』 2002年
  • 凶気の桜』 2000年
  • 麻生 幾 著

  • 『宣戦布告』 (講談社【上・下】、1998年
  • 『戦慄――昭和・平成裏面史の光芒』 (新潮社、1999年)
  • 『瀕死のライオン』 (幻冬舎【上・下】、2006年 / 幻冬舎文庫【上・下】、2010年)
  • 『エスピオナージ』 (幻冬舎、2007年 / 幻冬舎文庫、2013年)
  • 『特命』 (幻冬舎、2008年)
  • 『ショットバー』 (幻冬舎、2009年)
  • 『奪還』 (講談社、2010年 / 講談社文庫、2013年)
  • 昨年12月末から今年1月一杯に読んだ本である。完全にヒキタ氏と麻生氏のハードボイルドの世界にはまった。ヒキタ氏の作品に登場する殺し屋の個性というのか異質さの超越と言ったらいいのか、ち密な負の構成に感嘆してしまう。一番のおすすめは『遠くて浅い海』である。

    一方麻生幾氏の作品は、国家権力の矛盾と、国際テロの裏工作を、国際法や法律の外で解決しようとするスパー主人公が登場するのだけれど、まったくもってエンターテイメントの極みである。『奪還』は汗まみれ、鼻水まみれになるわくわくものの作品である。

    実は両氏は僕と同い年の作家である。非常に読んでいて感情の共有を味わうことができる作家だ。

    やあ~小説って本当におもしろいですね。

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  • 長いトンネルからようやく脱出だろうか

    毎年この時期は、寒さと疲労のため体調が崩れやすいのだが、今年は絶好調だ。いい感じだ。

    昨日の午前中は今年初めての卓球の指導。今日も午前中同好会の卓球に参加して汗をかいてきた。

    塾での仕事の前に近くの温泉に入り汗を流した。飯屋に入った。中盛りを頼んだらこんなのが現れた。

    20140902_174516

    無理だろうと思ったが、結構すんなり食べることができた。う~んやっぱり調子がいい証拠だろうか。

    今夜は中学生に今年初めてのバレンタインチョコレートを頂いた。カレンダーを思わず眺めてしまった。やあこんなに早くチョコレートをもらったのは初めてだ。やっぱり今年は絶好調だ。

    先週駒形神社に合格祈願に行った時のおみくじが、べたほめの大吉。めちゃくちゃ絶好調のおみくじは生まれて初めて見る内容だった。

    長いトンネルからようやく脱出だろうか。わくわくするね!

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    2015年2月 9日 (月)

    4000回目のつぶやき

    ニュースを見ると殺したの殺されたのと壮絶な話題ばかり。心がほっこりするような話がない。

    感情で殺害をするのは、地球上の生き物の中で人間だけだと言われている。宗教の問題。領土の問題。そして民族的思想の相違。様々な相違が感情の起伏を生じさせ、殺戮を引き起こす。その最たるものが戦争だ。

    日常に起きる殺害の要因・動機は不満という感情がその始まりだと言われる。貧困が大きな原因だ。

    お金がない苦悩は、生きる原動力になる反面、絶望を醸し出す。その分かれ道は何だろう。僕は芸術性だと思う

    音楽や絵画や文学を愛する力は貧困に打ち勝つ最大の武器だと思う。心の貧しさは現実を否定する。創造性の欠如を生み出す。

    人は何で生まれてきたのだろう。誰もが一度ならずとも思考するワードではないだろうか。ご飯を食べて、仕事をして、性を営み、そして年をとり死んでいく。人生の表層を文字で表せばそういうことなのだが、人間の本質はそんなものじゃない。

    一人一人が、自分の命という芸術を体現するために人間は生きている。僕はそう思う。その芸術を乖離するのは神への冒瀆であり、魂の自殺だ。

    人間はなぜ生まれてくるのか、この疑問に子どもたちの魂が、それぞれの解答を抱ける教育が必要だ。平気で友達を裏切り、平気で罵倒しいじめる精神は、魂の自殺行為だ。

    いい学校に入ることと、いい給料をもらうことに躍起になっている子どもたちや若者たちをあぶりだしていくような教育ではいけない。

    お金の奴隷になり、腐敗した政治に媚を売り、権力という麻薬におぼれてはいけない。

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    2015年2月 8日 (日)

    あの孤独感がたまらない・・・

    岩手大学に合格した一関二高のM君が塾にお土産を持ってきてくれた。

    20140902_174516


    とっても美味しいクッキーだった。ありがとう。

    近年は大学のキャラクターを盛り込んだお菓子やグッズが大学生協で売っている。それも妥協を許さない最高級の品質だ。

    かつては私立大学が、こういったキャラ開発に一生懸命だったが、今は国公立大学もあの手この手で商品グッツの消費意欲を促進してくる。

    何事も頑張りが大切なんだな。

    M君は4月から盛岡でアパート暮らしを始め若い頃の一人暮らしっていいよな。あの孤独感がたまらない・・・・。

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    2015年2月 7日 (土)

    まだまだ未熟者ですが・・・

    毎年誕生日がやって来ると、また年取っちゃったなとちょっと複雑な気持ちになるのだけれど、今日の誕生日はなんかいい感じ。

    ようやく年をとることの素敵さを実感できるおじさんになったような気がする。自分を飾る必要がないし、自分に対する我儘もなんとなく許してもらえるようなそんな気分だ。自然体というにはまだまだほど遠いけれど、いい意味でずるがしこくなったのかもしれない。

    いろんなことがあったような気がするが、人生はなかなか大変なぶん、楽しさもどさくさまぎれにあったように思う。無理をせずマイペースでとはいかないけれど、ほどほどの無理をして残りの人生後半戦を生きて行こうかと思う。

    54歳なんてまだまだ未熟だと思うが、とりあえず健康に注意をし、家族や周りに迷惑をかけない年寄りになっていきたいと思っている。

    FB経由で、多くの方々から誕生日おめでとうメッセージを頂いた。嬉しい気持ちが爆発しております。本当にありがとうございます。

    今夜は一人プリンタイ・ゼロのビールを飲み、ちょっとほろ酔い気分でPCに向かっている。猫が鰹節をくれとちょっとうるさい。

    明日からは中3の入試直前日曜ゼミがスタートする。さ飲み過ぎると仕事に差し支えるので、さあ寝るか。

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    孤独であることは悪くないね

    高校1年生の女子たちが聞いてきた。

    「広く浅く友達と付き合うのと、特定の濃密な友達がいるのとどっちがいんでしょうか?」

    「僕は孤独が好きで、高校時代は一人で本を読んでいるか、ギターを弾いているか、バイクを走らせているかだっから、経験値では答えられないな~」と僕。

    ふと考えたら今でもそうだ。精神的なつながりの友人たちはいるが、一緒に酒を飲んだり、ゴルフをやるとかカラオケにいくとか、一切ない。

    いつも一人だったから友達のことで悩んだことがない。彼女がいなかったことが、悩みと言えば悩みだったかも・・・。本の世界で疑似恋愛をしていたので、結構それで充実していたのかもしれない。やはり変人だ。

    そんなことをぶつぶつ言っていたら、生徒が釘を刺してきた。

    「先生は塾をやっているのに、人と付き合わないで、よく生徒と付き合えますね?」

    「おいおい、僕は生徒とは付き合ってないよ。援交になるだろう」

    みんな爆笑。

    こうだという友達付き合いのマニュアルはないと思う。しいて言えば、今の状況で自分が気持ちよく生きていられるなら、それでいいのではないだろうか。

    友達付き合いのわるいこの僕でも、ちゃっかり恋愛をして結婚ができて、30年近く続いているのだから、若者たちよそんなに悩むことはないんじゃないかと思うな。

    孤独であることは悪くないね。悲しみが共有できて、癒すこともできるしね。

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    2015年2月 6日 (金)

    ここまで偶然が続くとさすがにちょっと怖いかも・・・

    今日は実にいろんなことがあった。

    駒形の77の話を書いたら、水沢の駒形神社に急に行きたくなって、、軽トラックに乗って駒形神社に向かった。

    前沢あたりから僕のすぐ後ろを白のクラウンが追従してくる。よく見るとプレート番号が7778。

    きた!

    駒形神社そばの交差点で信号待ちをした瞬間、一番最初にやってきた車が、ダイハツの軽でプレート番号は7760。今年は元日の参拝から2度目の駒形参りだが、もちろん奇跡の77は継続中だ。

    駒形神社で合格祈願をし、新しい絵馬を購入。

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    教室の指導室に祀った。ところで途中、絵馬を飾る台を一関のコメリで買ったのだがその金額が・・・・。

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    777円。ここまで偶然が続くとさすがにちょっと怖いかも・・・。

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    転ばぬ先の杖

    僕の人生に訪れる777の符号は本当に不思議だ。

    僕の誕生日は7日。次男の誕生日も7日。長男は16日。家内も16日生まれ。星占術などでは16日生まれの霊数は、1+6=7となる。

    神社オタクの僕は、塾の神棚に多くのお札を祀っていて、一見脈絡のない他力本願のおやじのように思われるかもしれないが、僕なりの統一性を維持している。

    山神である木花咲耶姫と、水の神である瀬織律姫に縁のある神社のお札を祀らさせて頂いてる。

    その中心をなすのが、水沢の駒形神社、小牛田の山ノ神神社、そして北上高地の早池峰神社である。そしてこの神社に行くと必ず77の数字が僕の前に現れる。

    何度もこのブログで書いてきた77の奇跡だが、過去のブログを読まれていない方のために、再度ここに駒形神社の奇跡の話をしたい。

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    国道4号線から駒形神社に向かうと、左折すると県立水沢高校、右折すると駒形神社に向かう大きな交差点に差し掛かる。駒形神社に行くたびにその交差点で信号待ちをすると、プレート番号77の車が信号待ちをしているのだ。

    それに気づいたのは12年ほど前になるだろうか。77の偶然に気づいてから80回ほど駒形神社に参拝に行っているが、交差点で77の車に遭遇しなかったのは1回きりである。2011月の3月1日だ。つまり東日本大震災の直前である。

    ちなみにその年の節分祭に塩釜神社に参拝したおり、巨大なクジラが海で暴れている光景が脳裏に浮かんだ。何人かの知人に話をしたのだが、その1か月後に大地震が起こり、巨大津波が三陸を襲った。

    今日はなぜこんな話をするのかというと、最近出版されたチャネリングの書籍やウエーブ上で、今年の4月13日に東京に巨大地震が来るという噂が広がっていて、僕のところにもその手の本が紹介されてきている。

    神様や宇宙人からの警告という例のパターンである。予言は外れるという世の中の常識がある。書籍関係の予言は当たらない。発行部数を増やした後は、紙屑同然となり、古本屋さんの100円コーナーに堆積する。

    自称宇宙人である(笑い)僕の地震センサーは今のところ機能していない。ただ転ばぬ先の杖ということわざがあるように、災害時に持ち出せる必需品を用意しておくことは大事だろうと思う。

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    2015年2月 5日 (木)

    人生の扉

    同級会や同窓会というもにかれこれ20年ほどご無沙汰している。きっと同級生からは忘れられた存在になっているのだろうと思う。

    大学の同窓会や高校の同窓会に至っては1度も出席したことがない。まったく付き合いが悪い人間である。一応塾などというものを営んでいるのだから、営業を兼ねて顔を出せばと、もう一人の自分が囁くのだけれど、なぜか足が進まない。

    変人度が普通じゃないので、浮世とはかけ離れた指向性が支配している。苦手というのか嫌いなものを列記していったなら、原稿用紙5枚分ぐらいになるんじゃないだろうか

    宴会が好きじゃない。カラオケが苦手だ。高いところはNG。プールを見ただけで悪夢に苛まれるほど泳ぐことが嫌いだ。小さいころから人の名前が覚えられない。暗算ができない。譜面が読めない。悲しいほどダメ人間だ。

    先生と呼ばれることに冷汗が流れる。いろんな所へ行って先生と呼ばれる仕事をしているものだから、必然的にいろんな所で先生と呼ばれてしまう。困ったものだ。

    最近年齢というものを意識することが多くなった。30代後半に一度体力の低下を感じたが、それ以来体力的な減速にそれほど苦しめられてはいない。

    しかし年齢からくる感性の衰退はやっぱりあるのだろうと思う。中学生や高校生の感性にはまだ十分追従していく自信はあるのだけれど、小学生の指導は正直大変だ。完全に自分が小学生だった頃の経験値が役に立たなくなっている。

    それこそ同級生の動向には疎い僕なのだが、小学生の孫がいるものもいる。やばい!幼児教室に通ってくる幼稚園児におじいちゃんと呼ばれる僕は、間違いなくおじいちゃんなのかもしれない。

    大学時代にきゃぴきゃぴだった竹内まりやが、50を過ぎたあたりから、しっとりとした歌を歌っている。歌詞のフレーズが心にしみるぜ、という感じだ。

    他の方が同窓会で利用したであろう動画を拝借して張らせて頂いた。なんかじ~んと来るね。僕も同窓会今度機会があったら出ようかな・・・・・

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    心臓はまったくもってすごい臓器だ

    先日のブログで、僕らは自分自身に感謝すべきだという話を書いた。心臓一つにしても僕らは自分の意志で動かしているわけではない。

    そう心臓はまったくもってすごい臓器だ

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    肺から酸素をもらい心臓にやってきた動脈血が、心臓の左心室を出て、右心房に戻るまでどれだけの時間がかかるのご存じだろうか。(受験生のためにちょっとレクチャーを・・・・心臓から出ていく血管を動脈と呼び、心臓に戻ってくる血管を静脈と呼ぶ、ただしここで注意しなければならないのは、心臓から出ていくとか戻ってくるとかに関係なく、酸素を多く含む血液を動脈血、酸素を含まない血液を静脈血と呼ぶ。)

    わずか20秒である。

    心臓から送り出される血液は、1分間に約5リットル。1日に約7200リットル。重さにしてなんと7.5トンの血液を毎日全身に送り出しているのだ。それも80年も。

    感謝するよね。

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    2015年2月 4日 (水)

    4000回の思い込み

    あと記事を8稿アップすれば、このブログも4000稿になる。飽きやすい僕にしては、よくもまあ続けてこれたものだと思う。

    個人的な日常の貧乏話に終始して、肝心の教育の話などあまりしてこなかった感があるが、お付き合い頂いてきた皆様に心より感謝申し上げたい。

    基本的に怠け者の僕は、何かをまめに続けるという習慣がなかった。非常に感情に流されやすく、喜怒哀楽によってものごとを決定していくタイプの人間なので、どうにもこうにも自分自身が取扱いにくく、右往左往してきた。

    このブログを始めて1年後、僕は私立高校で英語を教えることになったのだが、適応性という観念に思考を蹂躙されてきた感がある。

    塾でも高校でもそして大学でもそうなのだが、苦手な学問を分かろうとしないで、先生のせいにする生徒が実に多い。僕たちのころに比べたら、今の学校の先生方の教え方はとてもうまい

    ひょっとするとビジュアルな刺激のなかで育ってきたせいか、人の話を咀嚼する能力に根本的な欠落があるのかもしれない。違った見方をすれば、既存の学習能力でない何かを身に着けている可能性があるのだが、自己の表現が現代の子どもたちは一般に苦手だ。

    そのことが、対人関係のもつれを多岐に生じさせ、集団的活動に於けるストレスを極度に生じさせているのではないだろうか。

    自分が出来ないということを認める勇気が必要なのに、自分を偽りの存在として容認しようとする。あくまでも仮の自分の姿を最後まで押し通す。ゆえに客観的に自分を認識することができず、他人の意見を取り入れ過ぎて、自分を見失ってしまっているのが、現代の若者たちではないだろうか。

    その傾向が、恋愛下手にも表れている気がする。このままでは多くの若者たちが結婚の機会を得ることができないのではないだろうか。もしくは結婚に至っても継続することが可能ではないような気がする。

    他者を認識する力は、幼少期の適度なストレスと挫折によって学習することができるはずなのに、その機会を家庭環境が奪ってしまっている。簡単に言ってしまえば、過保護でありすぎるとともに子どもに厳しすぎるのである。

    感情によって子育てをし過ぎる傾向がある。親は残念ながら未熟な存在だ。こどもにとって神様のような存在だけれどとても未熟だ。だから僕は親としての演技力が必要だと思っている。哲学的な親を演じて欲しいし、愛情あふれる親を演じて欲しい。

    生の感情で子育てをしてしまうと、子どもは委縮する。そして自分という生身の存在を守るために閉じこもってしまう。そして他者の観察をすることはあっても、自分の存在を観察することがなくなってしまう。

    利己的な人間が悪いわけではない。他人に適応しない個人主義的な生き方が社会のバランスを悪くする。僕はここ8年間で3000通近くのコメントやメールーをこのブログの記事に頂いた。

    きっと長い時間かけて思考したんだろうと思われる真摯な意見を頂いたこともある。暴力的な感情をあらわにした文章を送り付けてきた方もおられる。励ましや、批判、そして誹謗中傷的なコメントもあった。

    ことに原発や放射能汚染の記事を書くようになってからは、毎日多くの方々からご意見を頂いた。命にかかわる問題に対しては、人間の感情はエスカレートする。ゆえに僕の記事も感情的になった。

    多くのコメントやメールを読ませて頂いて、僕が感じたことは、その感情の土台や思考の方向性が非常に教育の現場と似ているなということだった。人は自分の正義を貫こうとする生き物だ。しかしその正義の発端を客観的に見定めることが苦手な生き物でもある。

    これは教師にもいえる。そして親御さんにも言える。自分の歩んできた人生の経験値にどうしても人間は頼ってしまう。もしそこに演技という客観的な舞台演出の余裕があればどうだろうか。

    社会への適応性・適応能力というものは、時に客観的な演技力を必要とするものだと僕は思う。

    4000回近く毎日日記を書いてきて、自問自答してきた僕がたどり着いた、僕の一つの気付きであり、僕の思い込みの想像である。

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    2015年2月 3日 (火)

    今日は節分

    今日は節分である。節分と言えば豆まき。豆は邪気の象徴である鬼を追い払うと言われている。邪気とは、災害、病、飢饉など、人間を襲うあらゆる不運を意味。豆を煎ることで“魔の目を射る”に通じるとされる。使用される煎った大豆は、「副豆」と呼ばれ、1年の厄よけを願い、自分の年齢よりも1つ多く豆を食べるといいとされている。

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    ここ岩手では、殻付きの落花生(ピーナッツ)を、豆まきの豆として使う。汚れなくていいし、日持ちがする。

    鬼は果たして豆ごとくで逃げてくれるだろうか。経済の鬼、政治の鬼、そして感情の鬼、様々な鬼が闊歩している。

    おっと忘れていた。己の中に巣食う鬼もいる。とにもかくにも今日は節分。これからどんどん日が長くなり、一歩一歩春が近づいてくる。

    豆を食べ過ぎて胃が痛くならないように注意しましょう!ごめんなさい自分のことでした・・・・

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    2015年2月 2日 (月)

    当たり前のことだが僕は死ぬ

    人が死ぬと、人生ってなんだろうと考えた。

    死ぬと言う言葉を他界するとか、召されるとか、鬼籍に入るとか、オブラートに包んだ表現をするけれど、やはり死ぬという言葉は死ぬなのだ。

    僕は死ぬことが怖い。どんな本を読んでもどんな話を聞いても死ぬのは怖い。だから死なないように生きている。

    でも当たり前のことだが僕は死ぬ。きっと20年ぐらいのスパンが寿命じゃないかと思っている。ひょっとするともっと早くやって来るかもしれない。

    どうしようか。どうしようもない。

    9割くらい前世や来世を信じている。つまり1割は信じていない。100パーセントの記憶がないし、確証がないからだ。でもそれが普通の人間じゃないだろうか。

    どうして死ぬのが怖いかというと、心配なのだ。僕がいなくなれば家の経済もさることながら、様々な問題が家族に生じると思っているからだ。家族を持つということはそういった責任を感じて生きるということじゃないだろうか。

    それは来世があるとか、魂が不滅だとかに関係なく、現実の肉体を持つ我々の悩みであり、悟りきれない部分だと思う。

    最近亡くなった友人たちの夢をちょくちょく見る。あっちの世界に行った友人たちは、どことなく寂しげでもあり、思索めいた感じでもある。

    僕は僕でしかない。やらねばならないことを日々精を出して生きるしかない。天国に行くにしても地獄に行くにしても、自分が納得した人生で終焉したい。

    昨日の試合で酷使した身体が悲鳴を上げている。そのためだろうか今日はこんなブログになってしまった。

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    年甲斐もなく

    昨日は中3最後の白ゆりテストだった。試験監督を家内に頼んだのだが、僕の体調が悪かったわけではない。

    実は地元公民館主催の卓球大会があり、我が刈生沢・払田チームは9連覇がかかっており、召集された。見事団体は破竹の9連覇。個人戦は決勝戦で力尽きた(笑い)。

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    個人戦は、1回戦から決勝戦まで、中学時代東北大会まで出場した10代から30代の若者を相手にしての戦い。息子より若いアスリートを前にして、たかが地区の大会なのだが、思わずスイッチが入り、無茶な戦いをしてしまった。

    ゆえに昨日の夜は足がつり、今日は身体がロボットのようだ。団体のダブルスそして個人戦と、9試合をこなした。今週54歳を迎えるというのに、年甲斐もなく僕は何をやっているのだろう・・・・。反省である。

    僕は体力はないし、卓球そのものがうまいわけではない。僕の使っているラケットがちょっと曲者なだけである。僕の使用しているラケットは中ペンと言って、両面にラバーがついているペンホルダーラケットだ。表はドライブ用の特厚のラバー、そして裏面は粒高ラバーと言って、特殊な変化をもたらすラバーを張り付けている。

    粒高ラバーを使っての3球目攻撃ができるのは、今の学生ではほとんどいない。シェイクハンドラーバーの粘着質なラバーが主流なので、僕のようなタイプはまずいない。ゆえに僕の打ち出す球質は、ほとんどの生徒には異質なものとなる。

    卓球関係者にしかわからないような話を書いてしまったけれど、簡単に言ってしまえば、僕の卓球はずるいのである。そんなずるい人間が中学校の卓球をコーチをしているわけで、確かに他所のチームから嫌われるのはしょうがないか・・・・・。ドンマイだ(笑い)。

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    2015年2月 1日 (日)

    何かが変化してきている

    PCの画面にパソコンのパフォーマンス能力が低下していますとか、このままだと故障しますとか、様々な誘導広告が入ってくる。

    そんな中、Windows8.1にインストールをしてくださいという表示が頻繁に現れ、作業が中断されるので、インストールしたら4時間近くパソコンが使えなくなってしまった。テスト問題作成等の緊急の仕事がなかったからいいようなもの、危ない危ない

    結論からいうと、セキリュリティは強化されたような気がするが、PCの操作はさらに複雑化した。今度Windows9が進化して販売されるらしいが、便利になっていくとともにメンテナンスも複雑化してくる気がする。

    作る側からすれば、不具合が出てきたら買い換えてということなのだろうが、僕のようにお金に余裕がない人は、おいそれとは買い換えるわけにはいかず、便利さと引き換えに、懐はどんどん寂しくなっていく世の中だ。

    ところで携帯電話を所持して2年になる。いまどき携帯を持たないおじさんもいないだろうということで、2年前俗に言うガラケイの電話を持った。

    相変わらずメールのやりとりはPCが中心で、ケータイの必要性はそれほど感じないのだけれど、写真が気軽にとれるのが利点だろうか。お気づきの方も多いと思うが、2年前からブログの記事に写真の貼り付けが増えた。画面のスペースを埋めるのに役立っている(笑い)。

    世の中の進化に、人間性の進展みたいなものが追従していけばいいのだけれど、ITを利用した犯罪が増加しているのが現実だ。小学生や中学生が普通にスマホを持つ時代になって、何かが変化してきている。

    その何かが、具体的に掌握できていれば問題がないのだけれど、実に不安この上ない状況が、水面下で進行している気がしてならない。年寄りの冷や水的、思い過ごしであることを祈りたい。

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