本の神さま
僕の友人知人たちの存在は、僕が生きてきた道標だと思っている。
塾の同業者の先生方が友人の数では一番多い。そのほとんどがこのブログを通じてお付き合いさせて頂いている方々だ。僕のような零細個人塾を営む先生ではなく、塾生を数百名抱える企業的塾の先生が多く、本当に多くの事を学ばさせて頂いている。
次に多い友人たちは、卓球関係者だ。卓球協会の方々や各中学校のコーチや先生方だ。もちろん卓球部の保護者の方々も、僕にとってはかなり親密な同胞者たちである。
その次に数的に多いのがお世話になっている高校や短大の先生方、及び音楽関係者の友人たちである。プロ・アマに関係なく、クリエイティブな友人たちがいる。
そして最後に数は少ないが、一番濃い付き合いなのがスピリチャルな方々だ。日頃龍神様がどうの縄文の神様がなんちゃらと書きまくり、言いまっくっているものだから、神様好きの方々がまわりに集い、全く興味がない人が聞いたなら、『この人達おかしんじゃないの?』的な異質な存在のお付き合いをしている(笑い)。
そもそも前世の話や宇宙人の話は、子供の頃から好きだった。SF小説の読み過ぎからくる妄想癖によって、現実逃避の夢物語を信じてしまった変なおじさんである。
カミングアウトなんて言うと大げさだけれども、僕は俗に言う見える人ではないし、神様と会話ができるような俗人でもない(爆笑)。
ただ・・・・。人の相談にのっていたり、話を聞いているうちに、その人の感情や思考が僕に流れ込んでくる感覚はある。たいていの人間は誰しもそういったことがあるだろうと思うけれど、普通の人よりはその感覚が研ぎ澄まされているかも知れない。
そういった感覚が強くなったのは、長年の読書量にあるような気がしている。零細個人塾の暇人なものだから、暇さえあれば本を読んできた。じっさい今まで読んだ冊数を数えたことはないが、月に読む冊数を考えると、きっと6000冊から7000冊の本を読みまくってきたはずだ。
例えば小説家などというものは、常識を外れた妄想人間であり、大嘘つきである。ところがその大嘘つきが、小説の登場人物を利用して、自分の本音を吐露させることがある。その瞬間をキャッチすることが、実は僕の読書の楽しみの一つである。
その楽しみを重ねてくるうちに、人間の心理をキャッチする特技みたいなものを僕はひょっとしたら身につけたのかもしれない。そういう意味では実にいやなオヤジである。
よく宇宙人や神様とのチャンネリングをテーマとした本が、巷にあふれているけれど、作者の単なる創作か、精神を病んだ妄想人間の戯言(たわごと)かは、だいぶ判断できてきた気がする。
本の神様が僕の心の片隅にちょんと居座った感じだ。
・・・・・なにせ自分が宇宙人なものだから(爆笑)。
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