心療内科に行けば、何がしかの病名を頂くかも知れない
話すのが仕事。
今日は4時間半、塾生や学生の前でずっとしゃべりっぱなし。話すことがこんなにあったのかというくらい、話し始めると止まらない。
ゆえに日常生活でも、話が止まらなくなり女房に叱られる。
自分でも言うものなんだが、きっと僕が話下手の内向的な性格だったなら、きっと小説家にでもなっていたかも知れない。思ったことをすぐに口にしてしまうので、思考が定着せず、創造性がない。ゆえにこんなブログを毎日飽きもせず書き続けることになる。困ったものだ。
小さい頃から本の虫だった。小学校の頃、多読賞で県から賞状をもらったことがある。中学の頃は部活と音楽にのめり込んで本を読まなかったが、高校に入って読書病が再発し、今に至る。
いくら本を読むことが大切だと言っても、僕のは間違いなく病気だ。ひどい年だと年間に読む冊数が300冊を超える。1日に1冊のペースだ。完全に中毒症である。
確かに速読のテクニックを使って読んではいるのだけれど、本を読まないと不安になってくる。心療内科に行けば、何がしかの病名を頂くかも知れない。例えば『活字中毒症』とか『本依存症』など。
単純に計算すると、高校時代から6000冊ぐらいの本は読んだことになる。しかしそのほとんどは忘却され、脳随の縁にさえも記憶は残っていない。残念だ。膨大な時間を無駄にしたことになる。
図書館から本を借りてきて、それがかつて読んだ本だったなんてことがしょっちゅうだ。50半ば前にして、痴呆症的症状が現れたのだろうか。あぶない、あぶない。
僕は本の論評などというものは読まない。手当たり次第に読んでいく。強いて言えばタイトルと表紙のデザインが、本を手に取るポイントだ。良いタイトルとセンスの良い表紙の本にハズレがないというのが僕の持論だ。
本を読む時間をキープしたいがために、今の仕事を選んだような輩なので、自分の境遇は自己責任なのだけれど、もう少しお金を稼ぐことができるような実用書を読んでくればよかったと反省している。
ちなみに熊谷達也氏の著作を読み終えた僕は、ヤクザ世界を描いたヒキタクニオの小説を読み続けている。消しやと呼ばれる、闇世界の暗躍に、強烈な魅力を感じる僕は、やはり変だ。ひょっとすると僕の心のなかには、消し去りたい人間がいるのかも知れない。
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