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2015年1月 2日 (金)

2015年の年頭にあたり

大験セミナーは、お陰様で今年開校25年を迎えます。

1991年の創立以来、延べ700名ほどの卒塾生を数えました。大学受験英語専門塾として一関に産声を上げた当セミナーも今年で四半世紀を迎えます。 

18年前より、高校生の英語指導はもちろんのこと、高校受験指導の個別指導塾として地域の皆様にはご利用して頂いております。 中学生の皆さんには、学びたい教科・単元を自由に学習できる塾として、好評を頂いてきました。

また6年前より一関一高附属中学校が開校し、一関市内の小学生の塾通いが加熱し始めました。当セミナーはその加熱の外側でちょっとだけ傍観を装っていたのですが、やはり時代の流れに逆らうことはできません。塾生の小学生率がぐんと上がりました。

日本経済は、かつてのような右肩上がりの成長が止まり、若者の3人に1人が、非正規雇用の労働者です。年収が100万ちょっとの若者が増加しています。お金がなくて当たり前という生活を強いられる日々を送る若者がいる一方、ITベンチャー企業で巨額の富を得ている若者もいます。

その差は何でしょうか。学歴でしょうか。資産力でしょうか。それとも運でしょうか。

僕は創造力の違いだと思っています。自分の人生が、周りの風で変わって行くと思うのではなく、自分が風を吹かせ、針路を切り開いて行くんだという意志力の差だと思います。

日本の教育のシステムは、中学3年くらいまでに、それぞれの能力を見限ってしまうようなシステムを構築してしまいました。つまり高校の選別です。

さらにそれは加速し、地方に於いてさえも、小学校での選別が忍び寄ってきました。

IQの高さや暗記力の優秀な子どもを選別すれば、受験に強い生徒を育成出来るという大人の思惑が、どんどん冷たい風を教育の場に流し込んでしまいました。関東地区の公立中学校の先生方の離職率がその情況を如実に示しています。

30年前、僕が勤めていた東京の進学塾でさえ、塾は勉強するところ、学校は気分転換をするところと言い切る子どもたちがいました。

塾は学校の勉強のサポートをする場です。塾がメインになってはいけないのです。そのことを勘違いしている塾教師が昨今は多くいます。

学校の先生と塾の先生でどっちが優秀だとか、どっちが教え方がうまいとかいう比較はナンセンスです。僕らはサービス業です。僕らは学校の先生ではありません。

公立の学校の先生は生徒募集の営業などやる必要がありません。当然のことです。犯罪を犯さないかぎり、クビになることもありません。しかし、学校生活に於いて、ひとりひとりの生徒への気配りと生活指導は全責任を負っています。責任の度合いが違います。

教科指導は当然のこと、生活に問題があれば即家庭訪問をし、解決を見なければ、学年会や職員会議が招集されます。もちろん保護者への対応も臨機応変に要求されます。

僕らは受験に子ども達を合格させることが至上命令です。そのことに生活がかかっていると言っても過言ではありません。逆にその苛酷さがゆえに、放漫さを生み、学校の教師批判になることがありますが、根本のスタンスが違うのです。

僕は、塾教師と学校の先生が敵対関係にある時代を長い間見てきました。しかし、今時代は変わなければならないと思います。

塾教育と学校の連携が必要な時代だと思います。なぜなら親御さんはなかなか学校の先生に本音を言わなくなりました。しかしそのことが、塾教育の優位さを示すものではありません。

保護者の皆さんの中には、経済的に恵まれている学校の先生に対して、ある種のヒエラルキーを感じている方がいて、生活の大変な塾教師に対して同胞的感情を持ち、心の思いを吐露してくださるケースが多いと僕は感じています。

経済格差が生まれ、学校の先生の日常性が、昔より監視される時代になったと僕は思っています。そのことを感知している先生方のストレスも大変です。

そう言えば、僕らが塾を始めた頃は、塾は通産省の管轄でした。登校拒否が不登校と呼ばれるようになった頃、塾は文部省の管轄に入りました。それはあくまでも形式的にではありましたが、フリースクールなどと呼ばれる施設が誕生し、うまく国からお金をせしめ、弱者を食い物にする悪徳塾屋がはびこりだした時代でもあります。

10年ほど前から予備校や進学塾の先生が、学校という教育の場に講師として招かれるケースが増えてきています。実は僕もその1人なのですが、いろんな意味で教育は多面的になってきました。

しかしやはり主役は学校であるべきだと思います。多くの税金と人材が投入され、学校がダメだではいけないのです。

優秀な人材を生かせないのは、厳しい言い方をすれば、トップの責任です。文科省のトップダウン式の管理システムに、イエスマンだけをはびこらしてはいけません。

政治も経済も柔軟性が求められています。教育の世界だけが硬直したままでいいはずがありません。子どもたちを想わない先生はいないはずです。その想いが生徒やご父兄に届かないとしたら、それは大きな損失です。

塾が学校のサポート役として、謙虚にそして柔軟に連動しなければなりません。子どもたちの創造性は、順位やテストの点数による評価に疲弊しています。教育は転換期を迎えています。

経済格差が教育格差になっている現在、才能あるこどもたちの魂が泣いています。智慧ある方々の援助が必要です。お願いします。

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大験セミナーのHPはこちらです⇒http://daikenseminar.jimdo.com/

 

 

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