花はその場所で花を咲かせようとする
人生綱渡り、そんな生活を過ごして来た方もおられるかもしれない。田舎に根を張った暮らしが長くなると、見栄をはるとか、夢を追うとか、そんなことはどうでも良くて、とにかく一日一日をなんとか生きていくことに全速力であることが、普通の日々になって行く。
年をとって確信したことがある。それは、自分の人生は間違いなく自分が作ってきたものだということだ。どこに住もうがどんな仕事をしようが、自分をクリエイトすることは偶然の産物ではない。
中学3年生は、志望校の決定を前にしていろいろ心揺らいでいるものも多い。実はどこの学校に入っても、人それぞれに必要なタイミングの神様がしっかり寄り添っているのだ。
友人や恋人、そして伴侶によって人生が左右されると言われるけれど、それは自分が必然的に選んでいる道であって、自分の環境や情況を家族や社会のせいにしてはいけない。
お金が無いから、学歴がないから人生は立ち行かないという人がいるけれど、そういう人は、お金があっても学歴があっても同じような愚痴をずっと言い続けて行くはずだ。
環境で人間が変わるのではなく、自分が選択した環境に自信がないから自分が意図したものと変わってしまうのだ。
野や山に咲く花を見てみると、木々や植物はその場所で一生懸命花を咲かそうとする。夏に日陰の森であれば、葉が落ちる秋以降に花を咲かせる草花がある。花はその場所で花を咲かせようとする。
田舎の若者たちは、学校を終えると仕事を求めて都会に出て行く。かつての僕もそうだった。都会には多くの夢と成功が待っているような、そんな感情を沸き立たせてくれる魅力がある。
人間が多いほど、ドラマの数は多い。しかし都会に居ても、田舎にいても、人との接点はそれほど変わらない。ひょっとすると田舎の方が、人間関係が濃密かもしれない。
僕は岩手のど田舎で、毎日ブログをこうやって発信している。日本国内だけではなく、世界のいろんなところからブログに関してのご意見を頂く。何かを発信したいという想いが、時に音楽の形になったり、このような駄文の連なりになったりしているわけだけれど、こういった全てが、いわば僕という人間の性質であり、人生のような気がする。
学校や仕事で人生が決まるものではない。自分がいる場所が、自分を磨くところだと確信するならば、必ず人生のステージは上がっていく。だから自分がいる場所での努力を怠ってはいけない。
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