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2014年11月 3日 (月)

死について

メイナードさんは同月26日の夫ダン・ディアスさん(43)の誕生日を自分の母親らとともに祝った後に、「最期をベッドで好きな曲を聴きながら穏やかに迎えたい」としている。尊厳死のため自己投与する薬も用意済みだという。 だが、一方で先週、ディアスさんらとグランドキャニオン国立公園を訪れた際に、「気分がまだよく、笑うこともできる」と感じたという。「今が(死に)ふさわしいときではない」と話したが、「いずれそのときは来る」とも述べ、心の葛藤をうかがわせた。 昨年結婚したメイナードさんはカリフォルニア州サンフランシスコで生活していたが、今年1月に脳腫瘍と診断され、開頭手術を受けた。だが病状は悪化し、「余命は半年程度」との医師の宣告もあり、1997年に全米で初めて尊厳死を合法化する法律が施行されたオレゴン州に転居した。 尊厳死は、ワシントン、モンタナ、バーモント、ニューメキシコの4州でも合法化されている。メイナードさんの告白で、国内では尊厳死を認めるか否かの議論も活発化している。 

人間は死を選択できる存在が故に、安楽死や尊厳死の問題が生じる。アメリカオレゴン州で安楽死を遂げたメイナードさんに対して、様々なコメントが世界から寄せられている。こうやってブログを書いている僕もその1人ということになるだが、安楽死は法律に養護された自殺だと僕は思う。

医師に余命を告げられたら、最期の日が来るまで生きようぜ。肉体の痛みはモルヒネで、心の痛みは家族の愛情におんぶにだっこで甘えればいい。家族も愛する人もいないという人は、思い出での中で愛を呼び起こせばいい。

病気じゃなくても、人生に行き詰まって死を考える人は多い。一度も死を考えなかったという大人はいないんじゃないだろうか。かく言う僕も、若い頃うつ状態に陥ってあっちの世界を考えたことはある。

人生はドラマだ。いい事も悪いことも予告なくやって来る。大丈夫人間は間違いなく肉体の死を迎える存在だ。なにも焦って早く行く必要はない。

1分でも1秒でも生きて、自分の存在を知らしめればいい。深刻に考えていることが、実は死で償うほどのことではないことがほとんどだ。ていうか死ぬことなんか何もない。何度でも言うけれど、死ななくてもタイミングよく人生の終焉はやって来る。そのためにはとにかく生きることだ。

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