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2014年11月12日 (水)

吉本興業にいたらひょっとすると花開いた人生だったかもしれない

学校に子どもが行かないという時に、親ごさんはどのようなスタンスをとるだろうか。

しょうがないな~と、初めから傍観する親御さんはいないはず。疑うのはいじめ。次に学校での人間関係(教師間も含めて)。

僕の経験。振られたショックで学校をサボった。教師の馬鹿さかげんにあきれて学校を無視。

と言っても2.3日で復帰をしたのは、部活がやりたかったから。家庭にいろんな事があって、生活保護を受けていた小・中学校時代、我が家は暗かった。僕は精神力がなかったので、勉強はやらず、運動神経だけは特出していたので、部活だけが自分を表現する唯一の手段だった。いやストレス発散だった。

中学校時代を振り返ると、部活をやっていた体育館の風景と、部屋でネックが反った安いギターを弾いていた光景しか蘇ってこない。ドンマイだ。

でも、部活が原因で学校に行けないという相談を受けたりすると、自分はラッキーだったなと思う。ヤクザ風の僕に喧嘩をふっかけてくる先輩は居なかったし、部活の中身をあれこれと言ってくる顧問の先生はいなかったし、僕のようなうざいコーチも居なかった。

今の学校が楽しくないということが、学校に足が向かない生徒にはとってはある意味致命的なのだろうと思う。

「学校つまんない!」このことに尽きる。

僕が修紅高校にお世話になって、非常勤講師で英語を教えていた時に、クラスの半数以上が中学時代不登校か保健室登校というクラスがあった。でも学校が楽しかったのか、居心地が良かったのか、ほとんどの生徒が休むこと無く学校に通って来た。先生方の気配りと努力の成果だと思う。

他の教科の時間、具合が悪いと言って保健室に行っていた生徒が、英語の時間はちゃっかり舞戻って来ることがしょっちゅうあった。

自分で言うのもおこがましいが、僕の授業は楽しいらしい。吉本興業にいたらひょっとすると花開いた人生だったかもしれない(爆笑)。しもネタ混じりの人生訓話は、今だから言うけれど、教科指導の準備より念入りにやっていた(笑い)。

自慢するわけではないけれど、年間読み漁る300冊近い本の中に、僕の話のネタは無尽蔵に眠っている。もちろんしもネタも・・・・・。

学校は確かに勉強の場だけれど、その学びの場が、子どもたちの成長を促すどころか、一部の生徒の精神を蝕む原因になっていることは、実にやるせない。

学校に通うことの出来ない生徒のための、通信制の中学校等を検討する時期に来ているのではないだろうか。

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