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2014年10月26日 (日)

しょせん幻想に過ぎない

昨日、今日で一関市内の中学校の文化祭も終わった。

中学3年生は、受験に向けて追い込みの季節に突入する。受験勉強で一番難しいのが、精神管理だ。簡単に言ってしまえばやる気をいかに構築するかということなわけだけれど、受験勉強のもっとも大切なところである。

見栄やプライドも、受験勉強のモチベーションになりうるけれど、メッキはすぐに剥がれるもので、やはり大地にしっかりと足を踏みしめた目標が必要だ。

部活を第一優先で高校を決める生徒がいる。彼女が行くので僕もという生徒がいる。また親にここに入れと言われて、受ける生徒もいる。

志望理由の中で、この高校しか入れないからそこへ行くというのもある。受験志望の状況は多種多様だ。

高校に入ってから後悔しない選択肢であればいいのだけれど、それがなかなか難しい。レベルを落としたがゆえに、周りの学力の低さにがっかりしてやる気をなくすもの。背伸びをし過ぎたために授業についていけなくて、投げやりになるもの。入学後の新緑の季節に、愚痴が聞こえてくる。

まあでも僕が思うに、自分が入った高校は偶然じゃないということだ。目には見えない大きな人生の流れのなかで、翻弄されたように思える時代が、実は大きな学びの時期だったりする。

どこの学校でもいいだろうと思う。そこで全力投球すればいいことであって、学校のレベル云々という価値観は、しょせん幻想に過ぎない。

僕らのような初老期を迎えたむさ苦しいジジイになると、どこの学校をでたとか、成績がどうだったとか全く関係ない。ここまで生きてきた軌跡が全ての評価になる。

逆にいい年をして、高校名や大学名にこだわり続けるジジイをたまに見かけるが、僕に言わせればドンマイだ。ケツを洗って出なおして来な、という感じである。

物質的な価値観にがんじがらめになる人生もいただけないが、精神世界に浸りすぎて、現実という世界から逃避してしまうのもいただけない。

人生に於いて勉強は確かに必要なことだが、勉強そのものが目標になってしまっている人がいる。人のため社会のために、どう貢献するかを忘却した勉強は、単なるマスターベーションであって、ごくろうさんというところだろう。

自分がやっている勉強が役に立たないと思うなら、きっとその通りだろうと思う。役に立つことを早急に探すべきだ。

もし受験勉強をやっていて、『自分は何をやっているんだろうと』疑問に思ったら、その思いをぶつけてみることだ。家族でもいい。友人でもいい。僕のようなハゲ親父でもいい。時代を生きてきた人間は、きっと答えを持っている。

やけになってはいけない。しらけてもいけない。なぜならそれが一番目標を持てない状況に追い込んで行くからだ。

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