20年以上にわたって見る同じ夢がある
20年以上にわたって見る同じ夢がある。みしらない土地にいる僕は、自分がかつて営んでいた塾が、雑貨屋になっていたり、喫茶店になっていたり、空き家になっている場所を訪れて、感慨にふけっている夢だ。
その町の風景は、自分が住んでいる町のようでもあり、まったく違う町のようでもある。
夢の中の僕は、今自分が塾をやっていることを自覚しているのだが、かつて営んでいた塾の跡を懐かしむというよりは、なぜ僕はこんなに塾の場所を転々として替えているのだろうと、不思議に思っている。
20年間いつも夢に出てくる雑貨屋さんがあって、夢の中ではそこはかつて僕が初めて塾を開いた物件なのだけれど、塾だったという痕跡は微塵もない。いつも夕暮れがやって来て、薄ぼんやりとした街灯に照らし出される町並みは、異次元の世界であり、僕の思考や感情は出口のない迷路に封印されてしまったようにフリーズする。
上の写真は、25年前に塾を開いた時の、素のまんまの物件だ。車のガレージを改造した9坪の小さな小さな物件。自習室もなければ、トイレさえなく、大家さんの外トイレを借りていた。大学受験の英語専門塾としてスタートした僕の塾も、今は中学生の全教科を指導する個別指導がメインになった感がある。
受験雑誌からパクった宣伝フレーズを塾の外壁にベタベタ貼り付け、老朽化した建物をカモフラージュしたつもりなのだが、今見ると、カオス以外の何ものでもなく、センスのかけれも感じられない塾だ。
こんな塾に入ってくれた多くの高校生たちに本当に感謝したい。ありがとう。
昨夜もまた塾の物件の夢を見た。ひょっとしたらもう一人の僕が、違う世界で塾を営んでいるのかも知れない。その僕は、なぜか気まぐれで教室を何度も替えていて、その波動が、こっちの世界にいる僕の夢に現れるのだろうか。
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