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2014年9月12日 (金)

『なんで私生まれて来たんだろう』

時代はどんどん流れていく。かつては当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなり、否定されていたことが肯定され、過去の評価と今の評価が錯綜し、時代はどんどん進んで行く。

僕の家内が、シュタイナー敎育を取り入れた幼児・児童教室を主宰しているものだから、かねごんさんの塾も、シュタイナー敎育を取り入れているんですかとよく尋ねられる。

人智学関連の本は結構読んできたが、基本的には受験指導とシュタイナー敎育は直接連結しないものだと僕は思っている。人間の魂のあり方や、霊性を中心に考える敎育姿勢という点に関しては、僕の心の中のどこかに、シュタイナー敎育はいつも介入しているのだが、そのことが塾指導でどう関与しているのかは、自分でも定かではない。

そもそも敎育というものは、家庭環境や親の敎育がコアとなる。生まれてから幼稚園に入るまでが、本当に大切な時期だ。その時期の親の精神状態が子どもの成長とリンクして行く。

いい学校に入れることを教育の目標にする親御さんは多いようだが、魂の成長を考える親御さんや教育者は四半世紀前は皆無だった。魂の教育などという言葉を口にしたならば、宗教にはまっている変な人間だと思われて、爪はじきにされる状況が、教育界にはあった。

今はどうだろうか。既存の学校教育が進んできた道は、子どもたちに多くの希望を与え、向学心を育ててきただろうか。

いじめや、不登校・引きこもりという社会現象とも言える負の状況が増加する教育現場の中で、足りないものはいったい何だろうか。

子どもたちの病理を心理学用語や、種々の言語で説明することはたやすい。しかし、病名や症状の解説言語がいくら作成されても、子どもたちの抱える闇は救われない。

『なんで私生まれて来たんだろう』

そんなつぶやきに、先生と呼ばれる方々はどう答えるだろうか。大学等で学んできた児童心理学や発達心理学のなかに、その回答は存在するだろうか。

子どもは、親を環境を選んで生まれてくる。

このフレーズは、シュタイナー教育でよく耳にする言葉だ。今生、生まれ落ちて行く自分が、成長するためにはどんな環境や家庭がベストなのか、子どもたちのいや人間の魂は知っている。

僕らは肉体という服を脱ぎ捨てれば、死を迎える。しかしそれが僕らの終焉ではない。僕らは魂の旅人だ。だからこそ一瞬一瞬の生が、大切なものなのである。不幸な人生や儚い人生などない。

悲しみも喜びと同じくらい大切な経験だ。病気であることも、健康であることも、学びとして大切なことだ。学びじゃない人生はない。1日として無駄な日はない。

勉強も、スポーツもそして遊ぶことも大切なことだ。しかし、自分がなりたいもの、やりたいことを犠牲にしてやるべきものかどうかは、あなたが一番知っている。そのことに気づくために、僕らは学んでいる。それが教育の本質だと僕は思っている。

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