価値観の喪失は、実社会からの逃避ではなく、避難だ
巨人大好き人間が、巨人大っ嫌い人間になったのはいつの頃だったろうか。読売新聞さえ読まなくなった僕の嫌悪感の感情の発端は何だったのか、その直接の要因は忘却してしまったが、強い者が権力を持った瞬間に、僕の嗜好はそっぽを向いてしまう。一種の病癖だろうと思う。
かと言って弱者が好きなわけではない。努力もしないでウジウジいている輩はこれまた大っ嫌いだ。
電力会社にしても大手ゼネコンにしてもそして金融界にしても、巨大な財力と資本で産業界を牛耳ってきた手腕と権力は、国家権力とリンクして、蜘蛛の糸のごとく隅々まで金儲けのセンサーを張り巡らしてきた。
僕らは、その蜘蛛の糸にまんまと引っかかり捕獲される虫のごとく利益を吸い取られてきた。享楽や利便性を餌にされて。
塾・予備校の業界にしてもそうだ。学歴社会の神話を構築し、現代社会で生き抜くための受験のノウハウを伝授してきた。いい学校に入れれば安定した経済社会が待っている。なんとダイレクトな思想であり、動機づけだったろうか。
今多くの若者が、意図的にレールから外れ、それぞれの道を歩み始めている。そのことを大人社会は、ドロップアウトと呼ぶ。
お金とある種の快楽に見向きをしなくなった若者たちの群衆を、常識ある大人社会は、今度は精神異常とみなし、病院へ連れて行く。
人間は飼いならされた愚人ではない。価値観の喪失は、実社会からの逃避ではなく、避難だ。
上昇気流に乗った人間たちが勝ち続ける光景の陰で、多くの退廃が生じている。負け組である人間の価値が蔑ろにされ、僕らの社会は大切な人間の優しさを失っている。
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