人間の魂の尊厳を何処かで裏切っている
見た目や学校の成績でこどもを評価してはいけない。だいたい学校の主要教科は、人生で生きて行くための知識を網羅していない。受験をメインにした選別のための知識だ。
僕の塾には、学校に通うことが困難な繊細な生徒、普通クラスに入れない魂の純粋な生徒が数名来ている。一方旧帝大の難関大学を目指す生徒も通塾している。
もちろんテストの点数という規範で生徒たちを見れば、その差は歴然なのだが、彼等の持つ言葉の輝き、魂の優劣に於いて僕はいかなる相違も見出すことは出来ない。
かつて勤めていた塾の同僚が、「努力という言葉は大嫌いだ」と僕に語った。この世に生まれてきたものは、生きるための糧を得なければならない。しかし家族の幸福を願うことや愛する人の幸せを祈ることに努力はいらない。
必死に頑張って努力しなければ人生に挫折してしまうという刷り込むは、人間の魂の尊厳を何処かで裏切っている。
身体や規範行動に障害があっても、魂に障害などない。I love ♡障害者、などというステッカーを車に貼りつけているこの日本という社会は、深層的な差別からなかなか脱却できないでいる。残念だ。
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