塾に入るきっかけは人それぞれだろうと思う。学校の授業についていけないとか、レベルの高い指導を受けたいとか、様々な理由や動機で塾を利用する。
僕の塾は17年前に、一斉授業から集団個別指導に切り替えた。理由は部活動の夜間練習等で、通塾の時間が統一出来ないからだ。最近はそれでも尚、部活の大会や遠征・合宿等が多く、通塾できない高校生や中学生が増えている。
つまり塾より部活を優先するのが、僕の住んでいる町の一般常識ということなのだろうと思う。
頭を鍛えることと同様に身体を鍛えることは確かに大切だ。しかしである、やはり最終的にはどっちが人生に於いて生きる地盤を作っていくかと言えば、間違いなく頭脳だと思う。
確かに身体能力を駆使して生きていく方法はある。しかしその職業的割合は少ない。学歴や資格がものを言う社会で、伝統産業やある種の匠の技で食べていく世界はあるけれど、それさえも、多種多様の学習能力は要求される。
たとえばパソコンが使えなければ、今はアウトだ。高校生で英語どころかローマ字が書けない読めない生徒が多いと聞くが、放置していて良い状況ではない。
親のIQや、学習能力がこどもに遺伝するという巷の話は多いけれど、なにも学年でトップを取れとか、超難関校に入れという話ではない。自分の持っている潜在能力を普通に発揮して欲しいということなのである。
部活動なんてやらなくていいというのも、また極端な思想だ。先輩後輩の礼儀作法や、目標に向って団体行動をする意義というものは大きい。至極当然のことなのだけれども、偏ってはいけないということだ。
ほどほどという言葉が、嫌いだという方もいるけれども、僕はほどほどがいいと思っている。勉強も部活もほどほどでいいと思っている。
余裕が大切だ。仕事だってそうだ。命を縮めてまでやることではない。スローライフでいいのではないだろうか。
我々のやっている塾だってそうだ。誰かを蹴落とすために勉強をするわけでは決してない。余裕を持って楽しくやればいい。
自分ができることをやらないのは、消極的かも知れないが、自分が出来ないことを無理してやることはないのだ。自分の能力がどこで役立つのか、そのことを知る機会を得ることが大切なことだと思う。そのためには人間関係をなおざりにすることは出来ない。袖振り合うも多生の縁、まずは出かけてみることだ。
学校も部活も塾も習い事も、普通に頑張ってみればいい。おっと忘れていた恋愛も。
せっかくこの世に生まれて来たのだから、いろんな経験をしてみればいい。そして嫌だったらやらなければいい。好きだったら頑張ればいい。自分が成長する課程に於いて、自分が生きる選択肢は自分が持っている。
強制され続けることは辛い。自分で自分の道を選ぶことが大切だ。それも悩む必要はない。ほどほどに頑張っていれば、道は必ずあなたを見つけ出してくれる。ほどほどに・・・・・。

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