最近のトラックバック

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »

2014年9月

2014年9月30日 (火)

風景

昨年度、一関地方は大雪に見まわれ雪かきが大変だった。

20140902_170029_2


庭先にカマキリの卵を見つけた。地面から15センチほどのところに産み付けられていた。ひょっとすると今年は雪が少ないかもしれない。

今日で9月も終わる。明日から神無月だ。出雲大社に全国の神様が行ってしまわれる前に、今朝は御嶽山神社に参拝し、国常立命に御嶽山の沈静化と亡くなられた御霊のやすらけきことを祈願させて頂いてきた。

20140902_125726

この御嶽山神社を過ぎ、汁足(しったれ)の方向に坂道を登ると、なだらかな丘陵地帯に出る。僕はそこから展望できる花泉の風景が好きだ。

Photo

田んぼと山だけの町だけれど、この町に半世紀以上住み続けてきた僕の歴史は、この風景と同じく谷あり山ありの人生だった。

霜が降りる頃になると、この辺りは鮮やかな紅葉の季節を迎える。季節がめぐるたびに僕は風景のドラマに感動したじろいでしまう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月29日 (月)

火曜日コースの皆さんに事務連絡です

僕の短大での授業が、後期から火曜日と水曜日になります。

火曜日の午後は3時40分に僕の講義が終りますので、塾に到着するのは4時近くになります。

火曜日のみ午後2時半スタートが無理になりましたので、ご了承下さい。

塾の定員についてですが、月曜日・木曜日は座席の余裕がなくなりました。今後回数を増やす塾生の皆さん、及び入会希望の方は、月曜日・木曜日以外でお願いします。

事務連絡でした。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

御嶽山噴火

Photo


我が家にやって来るお客様にお出しする珈琲は、佐惣珈琲豆店の珈琲である。我が家に宿泊して頂く支援の先生やアーチストの皆さんは、僕が珈琲豆を手で回すゴリゴリという音で目を覚ます。

佐惣珈琲豆店の御夫妻とは、四半世紀のお付き合いになる。お子さんたちは偶然にも僕と同じ大学に学び、言ってみれば僕の後輩ということになる。

僕は神様オタクで、神社仏閣・神羅万象の不思議大好き人間だ。そして佐惣珈琲豆店のご主人や奥様も、僕に負けず劣らずスピリチャル人間で、珈琲豆を買いに行くたびに、その手の話で盛り上がる。

そのような御夫妻なので、全国から様々の分野に特出した不思議人間が、引きつけられ御夫妻のもとに訪れる。

今年、古代からの磐座の神であるアラハバキ神の探訪を僕を中心に決行したのだけれど、そのメンバーのほとんどが、佐惣珈琲豆店に魅了された女神たちであった。

佐惣珈琲豆店の板蔵のたたずまいも神秘的だが、自宅にはご先祖が祀ってきた烏天狗の神様が鎮座している。特に震災後、お店は支援者の基点ともなり、様々なパワーを発揮してきた。

神社の話なのだが、佐惣珈琲豆店のご家族も、我が家も花泉の御嶽山神社と縁が深い。

先週の木曜日に僕が来店した時に、奥様といつものスピリチャルな話題で盛りあがったのだが、御嶽山神社の話題が急に二人の間で湧き上がった。奥様が「火の神様が今発動したのよね」などという話になった。

2日後塾の仕事が終わって帰宅すると、「御嶽山が噴火して、大変なことになっているようだよ」と、次男が情報を伝えてきた。

佐惣珈琲豆店での会話が蘇ってきた。今回の御嶽山の噴火は全く予期せぬ惨事だった。安否が不明な方々の安全を切に願うとともに、亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げたい。

東日本大震災から3年半が過ぎた。地震により列島の歪みが、活火山の噴火を誘引すると言われてきたが、いよいよその徴候が現実として現れてきたのだろうか。

近隣の活火山の観測データーには、神経をとがらせて行かなければならないと思う。紅葉美しい山の季節ではある。登山者に対する情報開示を怠らないようにしてもらいたい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月28日 (日)

オイリュトミーワークショップ

Photo

昨日今日と、 国際アントロポゾフィー医学ゼミナール、アウディオペーデ音楽療法基礎講座講師の石川公子先生が我が家にいらっしゃって、花泉花夢パル、そして我が家の座敷を会場にして、オイリュトミーのワークショップを開催して頂いた。

シュタイナー教育の真髄といってもいいオイリュトミー。ワークショップを受講するたびに、多くの気づきと学びを体感することができ、身体の疲れも吹き飛んだ感じである。

遠く多賀城市からもワークショップに参加して頂いたお母さんもおられ、秋晴れの一日、すてきな癒しのワークショップをみなさんと共有でき、楽しい一日でした。

お母さんがオイリュトミー療法を受ける間、子どもたちは庭先の池でめだかとり。我が家の周辺は稲刈りが終り、あっと言う間に秋色の気配が深まってきた。

Photo_2


隣家で飼われているちゃぼまでが闖入してきて、子どもたちは大騒ぎ。

実はこのちゃぼ、時に早朝3時頃雄叫びをあげ、僕の睡眠を悩ます曲者であるのだが、この悪びれないふてぶてしさに、ある種の羨望を感じるかねごんであった。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月27日 (土)

空と君のあいだに

昨日の夕暮れ、軽トラックのカーラジオからこの曲が流れてきた。絢香さんが中嶋みゆきの名曲『空と君のあいだに』をカバーしたものだ。

突然涙が溢れてきて止まらなかった。カーラジオから流れてきた曲に泣くなんて、ありえない僕なのだけれど、どうしてしまったんだろう。

空と君のあいだには・・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

人間の魂の尊厳を何処かで裏切っている

見た目や学校の成績でこどもを評価してはいけない。だいたい学校の主要教科は、人生で生きて行くための知識を網羅していない。受験をメインにした選別のための知識だ。

僕の塾には、学校に通うことが困難な繊細な生徒、普通クラスに入れない魂の純粋な生徒が数名来ている。一方旧帝大の難関大学を目指す生徒も通塾している。

もちろんテストの点数という規範で生徒たちを見れば、その差は歴然なのだが、彼等の持つ言葉の輝き、魂の優劣に於いて僕はいかなる相違も見出すことは出来ない。

かつて勤めていた塾の同僚が、「努力という言葉は大嫌いだ」と僕に語った。この世に生まれてきたものは、生きるための糧を得なければならない。しかし家族の幸福を願うことや愛する人の幸せを祈ることに努力はいらない。

必死に頑張って努力しなければ人生に挫折してしまうという刷り込むは、人間の魂の尊厳を何処かで裏切っている。

身体や規範行動に障害があっても、魂に障害などない。I love ♡障害者、などというステッカーを車に貼りつけているこの日本という社会は、深層的な差別からなかなか脱却できないでいる。残念だ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月26日 (金)

衣食住足りて、こどもは安心して未来を構築できる

昔のことだけれど、中学生や高校生の女の子が街なかをジャージ姿で歩くのは、パジャマ姿で歩いているようなもので、はしたないのでやめなさいという先生の意見を聞いたことがある。

中学校によっては、ほとんどの生徒がジャージ姿で下校する学校が増えている。確かにスカートの制服より歩きやすいだろうし、とっさの時は安全な服装ではある。

家の経済状況は子どもの服装に現れる。僕はブランド名には疎いのだけれど、裕福なお宅のお子さんは確かに高そうな服を着てくる。我が家の子供達のようにユニクロオンリーのような服装ではない。

兄弟から譲り受けたボロボロのジャージを着ている中学生をよく見かける。それを厭わず着ている子どもの気持ちを思うと、なぜか切ない。

私服はお金がかかる。故に外出時のジャージというのは合理的だ。休日にジャージ姿の中高生を町で見かけるとほっとする。

中学時代、経済的に窮地に追いやられていた我が家では洋服を買う余裕などなく、いつも学校ジャージで町を闊歩していた。

「ジャージ姿でよく町中を歩けるな」と同級生に揶揄されたものだ。アメリカのヒッピー文化が生んだスマイルバッチがはやり、カチカチクラーカーが流行っていた頃の話である。

20140902_12572620140902_170029

関西のとある小学校では、給食費が払えない家庭が急増し、市内の給食を無料にした自冶体がある。僕はいいことだと思う。

わけの分からない天下り役人を排除し、毎年年度末恒例の道路掘り起こし作業をやらなければ、給食費の国家予算は捻出できるはずだ。肥満の子どもたちが問題になる一方、カロリー摂取がままならない子どもたちもいる。

服装にしても食べ物にしても、お金を必要とする日常のことだ。その日常性が危ぶまれているこの国の状況は誰がみても末期症状だ。そのことに無頓着な政治家や教育者があまりにも多すぎる。

衣食住足りて、こどもは安心して未来を構築できる。そのことの支援が本当に必要だ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月25日 (木)

価値観の喪失は、実社会からの逃避ではなく、避難だ

巨人大好き人間が、巨人大っ嫌い人間になったのはいつの頃だったろうか。読売新聞さえ読まなくなった僕の嫌悪感の感情の発端は何だったのか、その直接の要因は忘却してしまったが、強い者が権力を持った瞬間に、僕の嗜好はそっぽを向いてしまう。一種の病癖だろうと思う。

かと言って弱者が好きなわけではない。努力もしないでウジウジいている輩はこれまた大っ嫌いだ。

電力会社にしても大手ゼネコンにしてもそして金融界にしても、巨大な財力と資本で産業界を牛耳ってきた手腕と権力は、国家権力とリンクして、蜘蛛の糸のごとく隅々まで金儲けのセンサーを張り巡らしてきた。

僕らは、その蜘蛛の糸にまんまと引っかかり捕獲される虫のごとく利益を吸い取られてきた。享楽や利便性を餌にされて。

塾・予備校の業界にしてもそうだ。学歴社会の神話を構築し、現代社会で生き抜くための受験のノウハウを伝授してきた。いい学校に入れれば安定した経済社会が待っている。なんとダイレクトな思想であり、動機づけだったろうか。

今多くの若者が、意図的にレールから外れ、それぞれの道を歩み始めている。そのことを大人社会は、ドロップアウトと呼ぶ。

Photo

お金とある種の快楽に見向きをしなくなった若者たちの群衆を、常識ある大人社会は、今度は精神異常とみなし、病院へ連れて行く。

人間は飼いならされた愚人ではない。価値観の喪失は、実社会からの逃避ではなく、避難だ。

上昇気流に乗った人間たちが勝ち続ける光景の陰で、多くの退廃が生じている。負け組である人間の価値が蔑ろにされ、僕らの社会は大切な人間の優しさを失っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月24日 (水)

ほどほどの勧め

塾に入るきっかけは人それぞれだろうと思う。学校の授業についていけないとか、レベルの高い指導を受けたいとか、様々な理由や動機で塾を利用する。

僕の塾は17年前に、一斉授業から集団個別指導に切り替えた。理由は部活動の夜間練習等で、通塾の時間が統一出来ないからだ。最近はそれでも尚、部活の大会や遠征・合宿等が多く、通塾できない高校生や中学生が増えている。

つまり塾より部活を優先するのが、僕の住んでいる町の一般常識ということなのだろうと思う。

頭を鍛えることと同様に身体を鍛えることは確かに大切だ。しかしである、やはり最終的にはどっちが人生に於いて生きる地盤を作っていくかと言えば、間違いなく頭脳だと思う。

確かに身体能力を駆使して生きていく方法はある。しかしその職業的割合は少ない。学歴や資格がものを言う社会で、伝統産業やある種の匠の技で食べていく世界はあるけれど、それさえも、多種多様の学習能力は要求される。

たとえばパソコンが使えなければ、今はアウトだ。高校生で英語どころかローマ字が書けない読めない生徒が多いと聞くが、放置していて良い状況ではない。

親のIQや、学習能力がこどもに遺伝するという巷の話は多いけれど、なにも学年でトップを取れとか、超難関校に入れという話ではない。自分の持っている潜在能力を普通に発揮して欲しいということなのである。

部活動なんてやらなくていいというのも、また極端な思想だ。先輩後輩の礼儀作法や、目標に向って団体行動をする意義というものは大きい。至極当然のことなのだけれども、偏ってはいけないということだ。

ほどほどという言葉が、嫌いだという方もいるけれども、僕はほどほどがいいと思っている。勉強も部活もほどほどでいいと思っている。

余裕が大切だ。仕事だってそうだ。命を縮めてまでやることではない。スローライフでいいのではないだろうか。

我々のやっている塾だってそうだ。誰かを蹴落とすために勉強をするわけでは決してない。余裕を持って楽しくやればいい。

自分ができることをやらないのは、消極的かも知れないが、自分が出来ないことを無理してやることはないのだ。自分の能力がどこで役立つのか、そのことを知る機会を得ることが大切なことだと思う。そのためには人間関係をなおざりにすることは出来ない。袖振り合うも多生の縁、まずは出かけてみることだ。

学校も部活も塾も習い事も、普通に頑張ってみればいい。おっと忘れていた恋愛も。

せっかくこの世に生まれて来たのだから、いろんな経験をしてみればいい。そして嫌だったらやらなければいい。好きだったら頑張ればいい。自分が成長する課程に於いて、自分が生きる選択肢は自分が持っている。

強制され続けることは辛い。自分で自分の道を選ぶことが大切だ。それも悩む必要はない。ほどほどに頑張っていれば、道は必ずあなたを見つけ出してくれる。ほどほどに・・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

道は続いて行く

Photo
自宅で家内が開講している『風と虹』の幼児・児童教室。シュタイナー教育を取り入れた親子教室は、岩手県では初めての試みで、きっと周りの人達は、なんかの宗教じゃないかと思っているに違いない(笑い)。

その自宅教室の庭の小道作りもようやく完成に至った。周りからあやしい教室だと思われているので、道に敷き詰めた模様もとことんあやしくした(笑い)。古代文字のホツマツタエの文字をデザインしたり、五芒星の模様を取り入れたり、遊びごころ満載だ。

今回の作業は夏期講習が終了した8月末から始まり、ほぼ完成まで1ヶ月を要した。コンクリートの庭の掘削作業が一番大変だっが、道に敷き詰める小石を拾いに行った北上川での石拾いはとても楽しく、女房と二人童心に帰って石探しに夢中になった。

20140902_125726


何度か大雨が降り、北上川が増水したものだから、石拾いに行くたびに、面白い発見があって、不思議探検隊の気分を味わうことが出来た。また河原をあちこち歩いたものだから、いい運動にもなった。

Photo_2

十字が刻まれたこの石も、今回の石拾いで見つけたものである。庭の小道作りも終り、来週からは僕の短大での授業が始まる。もちろん本業の塾での受験指導も佳境に入る。

子どもたちの未来には、希望の道が続いている。僕たちはその道を照らすことはあっても、つまずかせては絶対にならない。

There is  a  will,  There  is  a  way !

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月23日 (火)

かねごんからのスピリチャルな提案

周りを見渡すとよくあるケースだが、屋敷や施設などの北側や見えない箇所は、資材置き場になったり、粗大ごみの集積場みたいな場所になってしまい、負のエネルギーがよどみがちになる。

そうならないためには、日頃の掃除や管理が大切なわけだが、忙しさに紛れて、ひと目につかない箇所は手が行き届かない場合が多い。我が家もかつてはそうだった。

しかし煩雑に生い茂っていた北側の雑木林を伐採し、物置小屋を撤去し、江戸時代から鎮座していたであろう石宮の土台を新しくし、石宮の周辺の草刈りをまめにするようになった。間違いなく屋敷の空気感が変わった。

20140824_142447


石宮に朝日が差すようになり、すがすがしい参拝を毎日させてもらっている。石宮には地元の産土神様の御札を祀り、塩とお水をお供えしている。

全くお金がかかることではなく、毎日2,3分ほどの感謝の時間を持つだけで、気持ちが日々すがすがしくリセットされる。

屋敷の北側や見えない箇所に、意図的に明神様や石宮を置くことで、掃除や管理の習慣を作ってみてはどうだろうか。

玄関やトイレの掃除状態で、その家の家計状態や健康状態が分かるという人がいるが、僕はその家の裏側を見ると、その家の家族の運勢が分かる。ちょっと大げさだが、それほど見えない箇所の掃除というものは大切だと思っている。

人もそうだ。表の感情よりも、裏側に抱えている感情や精神状態の静謐さが大切だ。

今年も推薦やAO入試の校内選抜の季節がやってきた。秋の行楽もいいけれど、自宅の掃除もいかがだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月22日 (月)

奇跡のコラボレーション

20140824_142447_2


うさぎのような小石は今日北上川から拾ってきたもの。石に丸い穴が開いていたので、そこに小さな小さな小石を詰めたらかわいいオブジェができあがった。

土台の瑪瑙石は、リサイクルショップで見つけたもの。奇跡のコラボレーションだ。それにしても石って不思議ですね。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月21日 (日)

彼のギターは孤独な少年の音がする

20140902_175807


久しぶりに早起きをして、家の周りを散歩した。田んぼと山ばかりの自宅周辺の風景だけれど、半世紀以上慣れ親しんできたこの風景、飽きることはない。

50年以上変わり映えのしない光景ではあるが、季節や天候や気温によって、様々な風が流れ、雲が流れ、光があふれ、時代が過ぎて行く。

暦を見上げれば、早くもお彼岸の季節。ギラギラした太陽の輝きはもう懐かしく、朝はストーブが欲しいくらい寒くなった。

秋の陸奥の風景には、エスタス・トネのギターの音色がよく似合う。

彼のギターは孤独な少年の音がする。僕は好きだな。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月20日 (土)

中総体新人戦

今日は一関地区中総体新人戦。卓球男子団体は萩荘中学校が久しぶりの優勝。我が花泉男子は3位に食い込み、2年ぶりの県大会出場を決めた。

20140824_142447


今年度中総体で全国大会出場を果たした大東中学校男子卓球部が、部員不足で団体を組めないなどの状況もあり、本命なき戦国時代の様相を呈する大会であった。そんな中、指導してきた子どもたちを県大会に導くことができ、正直ほっとしている。

県大会出場枠をかけた決定戦の相手は、Aブッロクを1位で勝ち上がってきた一関一高附属中学。応援の熱気もすごく、異様な雰囲気のなかの戦いだった。

私ごとだが、決定戦が始まったのは4時過ぎ。5時スタート予定の塾の時間には到底間に合いそうもなく、我が家内にしばらく塾を預けることにして、汗だくになり采配を振るった。

勝った瞬間、余韻に浸る余裕もなく、汗臭いジャージのまま軽トラックで塾に急行。すでに明日の実力テストに向けて中3生が勉強をしていた。

汗臭いジャージのまま仕事を始めた僕に女房が吠えそうだったが、そこは無視してレッツラゴー。

次回からはしっかり着替えます。申しわけありませんでした

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月19日 (金)

さてと

散歩するのがやっとやっとの体調だったものだから、卓球のベンチコーチができるかどうか心配だった。ようやく頭痛やしびれが落ちついて、なんとか行けそうだ。

正直この歳になって、しびれや頭痛に連日襲われると、不安になってくる。脳梗塞やくも膜下出血の予兆じゃないだろうかと、勝手に疑心暗鬼に陥り、ますます血圧が上がり体調は下降する。

だったら病院へ行けということなのだが、病院の検査ほど嫌なものはない。一度入院などと言われた日には、帰還することが出来ないようでこわい。全くの小心者である。

小心者だから神社仏閣が好きで、神様オタクなのかもしれない。

近隣でも50代の方が、急に体調を崩し、亡くなられるケースが増えている。何かと無理をしてしまう世代なわけで、本当に体調の管理は大切だと実感している。

酒・煙草・夜更かし・暴飲暴食、慎まなければならない世代だ。好きなものを食いたいだけ食い、飲みたいものを飲みたいだけ飲む生活は、間違いなく寿命を縮める要因だ。

長生きが全てではないが、僕のおやじもそうだったが、50代であっちに行ってしまうのは早すぎる。

久しぶりの身体不調に、いろんなことを考えさせられた。おっと真夜中を過ぎた。いかん、いかん。

おやすみなさい。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

刈生沢の滝

今日の午前中、秋空のもと自宅から車で5分ほどのところにある、刈生沢(かりゅうざわ)の滝に散歩に行ってきた。萩の花が可憐に咲き誇り、清々しい渓流のなか、遊歩道の20分ほどの散歩は気持ちが良かった。

Photo

刈生沢の滝はバンガローやキャンプ場が整備されていて、これから秋の行楽には芋の会等で楽しめる場所ではないだろうか。

そのキャンプ場には、見上げるような巨岩・不動岩が鎮座している。いにしえより、不動明王が祀られており、今日は久しぶりに参拝させて頂いた。

一関市立金沢小学校は、毎年新宿の市ヶ谷小学校と30年近くにわたり交流を続けているのだけれど、夏には市ヶ谷小学校4・5年生の児童達が、このお不動さんのしたの渓流で、放流されたイワナとりに歓声をあげる。

刈生沢の滝においでの際には、ぜひ磐座に鎮座する不動明王像に縁を持たれてはいかがだろうか。きっと何かいいことがありますよ。

今日はかねごんの地元のパワースポットのご紹介でした。

【事務連絡】

明日は中総体新人戦のため、卓球会場に出向きます。夕方5時以降教室を開きます。ご了承下さい。振り替えの指導は、9月23日秋分の日にして頂くと助かります。23日は午後2時30分より通常指導を行います。宜しくお願いいたします。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

一杯1782円のコーヒー

20140824_142447_2

スターバックスが一杯1782円のコーヒーを販売した。一袋250グラムで1万800円。僕が愛飲しているコーヒー豆は、一袋200グラムで1000円程度。ほぼ10倍の価格だ。

この高額なコーヒーに使われる豆は、エチオピアの『ゲイシャ種』という希少な豆らしいのだが、コーヒー好きとしては、興味津々ではある。

セブン-イレブンの挽きたて100円のコーヒーだってめちゃ美味しい。1682円の違いって何だろう。世の中の動向にはなかなかついていけないかねごんである。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月18日 (木)

つぶやき

もしあなたが地球上で最後に残った人類だとして、おなかすいた~とつぶやいたとする。そのつぶやきは誰に向って口にしたつぶやきだろうか。

投稿画像

聞く人は誰もいないんだから、日本語でも英語でもヒンズー語でも何でもいいわけだけれども、おなかすいた~という言語は何のための発話だろうか。

僕が考えるには、それが人間の霊性を考える大きなポイントのような気がする。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月17日 (水)

歩き初め

昨日庭の小道が出来上がり、そして今日風と虹の教室の子どもたちが、歩き初めをした。

20140902_125726


今日は遠く大船渡からも親子さんがおいでになった。

ところで息子や家内らと拾ってきた北上川の小石。この庭の小道に敷き詰めなかったなら、間違いなく太平洋に流れていたことだろう。

そのことを思うと、小さな小石ひとつにさえも、深い縁を感じるかねごんである。ましてや自宅教室や僕の塾に来てくれる子どもたちとの縁は、深淵で、そして本当にかけがえのないものだと感じている。

頭痛もだいぶ軽くなってきた。今度の土曜日は新人戦だ。卓球のコーチを頼まれているのも何かの縁だろうと思う。頑張るか・・・・

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

ちょっと弱気なブログだけれど・・・・

先週の金曜日から、体調の起伏が激しい。頭痛・肩こり、そして軽いめまいが起こる。昨夜は急に寒気がして震えが止まらなかった。思わず駒形神社の神様に体調の回復を願った。毛布に布団を重ね床の中で震えていたのだが、祈願すると30分ほどで震えがおさまった。

気圧の変動が激しいのに加え、気温が真夏から晩秋のような温度にめまぐるしく変動する。僕の身体のサーモスタットが思うように機能しないのかもしれない。

頭痛・肩こりの原因は、血圧の変動に影響されているのだろうか。血圧が高い気もするが、それ以上に寝不足が大きな原因だろうと思う。

どうも年のせいか熟睡出来ない。眠りが浅いのだろうか、頻繁に夢を見る。そしてわずかな物音にも目が覚めてしまう。

老眼が進み、目の疲労感がマックスだ。仕事柄本を読む時間が多いのだけれど、眼鏡なしでは、全く教科書が読めなくなった。視力がもともといいだけに、老眼は煩わしい。

こんなに体調が不調だと、また地震かななどと思うのだけれど、単なる僕の不摂生だろうと思う。50も過ぎて、いいおっさんなのだから、無理をしないようにと思うのだけれど、次から次へとやるべきことが堆積してく。

仕事の量を減らしたい気もするが、それでは飯の種がなくなるし、生活が成り立たない。常に最前線を激走しなければならない僕の仕事も、客観的に見れば、しんどい仕事だ。まあしかし、誰に強制されてなった仕事でもない。自分が選択した人生だ。最後まで走り続けようか。

ちょっと落ち込んだ時、このジャクソン・ブラウンの孤独なランナーを聴くと、なんか元気が出る。高校の時の悲しみを癒やしたくれたこの歌に、40年近く経った今でも救われている僕だ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月16日 (火)

実況中継

女房・・そこのカーブちょっと幅が狭いんじゃないの。

僕 ・・・こんな感じでいいでしょうか。

女房・・そこの石の色、ちょっと色が薄いわよね。

僕・・・向こうと取り替えてと。これでいいかな。

現場監督の指示が続いていく

20140902_125726
ガムテープでモルタルの塗面の位置を確認して行く作業が終わると、今度はコンクリーとに置いていく川石の模様を確認する作業に入る。モルタルはあっと言う間に乾燥していくので、敷石の埋め込みは、本当に一瞬の勝負だ。

20140824_142447

雨に何度か頓挫した庭のリホームだったが、本日ようやく一区切りの工事が終った。使用したモルタルは200キログラム。工事に費やした時間は、延べ20時間ぐらいかかったろうか。

震災後、台所の床や壁の張替えをやって以来の、僕の日曜大工にあらず、日曜土木作業だった。

自分を褒めてあげよう。ごくろうさん!

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月15日 (月)

秋が忍び寄ってきた

9月も半ばになり朝晩は急に寒くなってきた。僕も今日はジャンパーを着込んでいる。

20140902_125726


今朝は霧が深く、家の周りは雲の中に入ってしまったようだ。我が家の田圃も稲穂が頭を垂れてきた。昨日平泉の達谷窟毘沙門堂に参ってきたのだが、すでに稲刈りが始まった田圃があった。

一雨ごとに秋が深まって行く。塾の仕事をやっていると不思議なもので、教科書が進んで行く単元で季節を感じる。

中学3年生の数学が二次関数に入った。この単元が始まると、毎年秋がやって来たことを実感する。そして今週の土曜日から中総体の新人戦が始まる。まさしく一気に秋が加速する。

例年ならば、受験学年の生徒が全体の3分の1ほどを占める僕の塾なのだけれど、今年度は、受験学年の塾生の数が、他の学年とほとんど変わらない。指導に余裕があると言えば言えるのだけれども、塾生に尋ねると、塾に通う同級生の数が、今年の受験学年は少ないのだそうだ。

無理をしてまで、上のクラスの高校を狙うという友だちが減ったらしい。そして高校入試の倍率が低迷しているのも、市内受験生の通塾率が下がっている要因かもしれない。

私立大学の受け皿が広くなって、AO入試や推薦入試の合格が、一昔前と比べると、非常に楽になった。少子化に伴って、中堅以下の私立大学の難易度が低下している。

英語の入試問題を見るとそのことが如実に現れている。一見長文の英文が難しく作成されているが、設問そのものは中学校レベルの問題がさり気なく散りばめられていて、受験生の解答意欲を上手に煽っている。大学側も学生獲得に必死だ。

むむむ・・・。客観的に傍観している場合じゃないな。塾も頑張らなければ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月14日 (日)

こんな雲が

今日の夕暮れ、国道4号線からこんな雲を見た。

20140902_125726


ミッキーマウスに似た雲。今日は、同業者の友人のお父さんの告別式だった。

じん~とくる弔辞、そして喪主の挨拶だった。芸術をこよなく愛し、そしてウイットに富んだお父さんだったので、こんな雲を見せてくれたのかも知れない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月13日 (土)

僕の職業はなんだっけ?????

Photo


連日作業している庭の小道作りも、いよいよ架橋に入ってきた。それにしても玄関から蛇行する小道は、いったいどこまで続いていくのだろうか。妻のみぞ知るである(笑い)。

コンクリートに埋め込んでいく敷石のデザインで、女房と喧嘩をしながらの小道作り、風と虹の教室に通ってくる子どもたちが、ケンケンパーをしたりして遊んでくれる光景を思いながら、日々がんばるかねごんであった。

ところで、僕の職業はなんだっけ?????

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月12日 (金)

心が癒やされる歌だ

ギター一本で、バラードを歌わせたらポールウェラーの右に出るものはいないだろう。

同世代の彼の音楽を聴くと、同じ時代を生きてきたメロディーと風を感じる。年を重ねるごとにポールウェラーの歌声は、輝きを増している。

いや、心が癒やされる歌だ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

『なんで私生まれて来たんだろう』

時代はどんどん流れていく。かつては当たり前だと思っていたことが、当たり前でなくなり、否定されていたことが肯定され、過去の評価と今の評価が錯綜し、時代はどんどん進んで行く。

僕の家内が、シュタイナー敎育を取り入れた幼児・児童教室を主宰しているものだから、かねごんさんの塾も、シュタイナー敎育を取り入れているんですかとよく尋ねられる。

人智学関連の本は結構読んできたが、基本的には受験指導とシュタイナー敎育は直接連結しないものだと僕は思っている。人間の魂のあり方や、霊性を中心に考える敎育姿勢という点に関しては、僕の心の中のどこかに、シュタイナー敎育はいつも介入しているのだが、そのことが塾指導でどう関与しているのかは、自分でも定かではない。

そもそも敎育というものは、家庭環境や親の敎育がコアとなる。生まれてから幼稚園に入るまでが、本当に大切な時期だ。その時期の親の精神状態が子どもの成長とリンクして行く。

いい学校に入れることを教育の目標にする親御さんは多いようだが、魂の成長を考える親御さんや教育者は四半世紀前は皆無だった。魂の教育などという言葉を口にしたならば、宗教にはまっている変な人間だと思われて、爪はじきにされる状況が、教育界にはあった。

今はどうだろうか。既存の学校教育が進んできた道は、子どもたちに多くの希望を与え、向学心を育ててきただろうか。

いじめや、不登校・引きこもりという社会現象とも言える負の状況が増加する教育現場の中で、足りないものはいったい何だろうか。

子どもたちの病理を心理学用語や、種々の言語で説明することはたやすい。しかし、病名や症状の解説言語がいくら作成されても、子どもたちの抱える闇は救われない。

『なんで私生まれて来たんだろう』

そんなつぶやきに、先生と呼ばれる方々はどう答えるだろうか。大学等で学んできた児童心理学や発達心理学のなかに、その回答は存在するだろうか。

子どもは、親を環境を選んで生まれてくる。

このフレーズは、シュタイナー教育でよく耳にする言葉だ。今生、生まれ落ちて行く自分が、成長するためにはどんな環境や家庭がベストなのか、子どもたちのいや人間の魂は知っている。

僕らは肉体という服を脱ぎ捨てれば、死を迎える。しかしそれが僕らの終焉ではない。僕らは魂の旅人だ。だからこそ一瞬一瞬の生が、大切なものなのである。不幸な人生や儚い人生などない。

悲しみも喜びと同じくらい大切な経験だ。病気であることも、健康であることも、学びとして大切なことだ。学びじゃない人生はない。1日として無駄な日はない。

勉強も、スポーツもそして遊ぶことも大切なことだ。しかし、自分がなりたいもの、やりたいことを犠牲にしてやるべきものかどうかは、あなたが一番知っている。そのことに気づくために、僕らは学んでいる。それが教育の本質だと僕は思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月11日 (木)

庭の小道作りパート2

昨夜の雨は凄まじかった。昨日塗ったモルタル・コンクリートが、やはり雨のために少し流され、半分塗り直し。今日は夏休み中の息子の手を借りて、1メートル50センチほど工事が進展。

Photo


後2メートル50センチほどで玄関にたどり着く。嫁はチョークを持ちだしてきて、早々に線引などをやっている。きっと僕を叱咤激励しているのだと思う(笑い)。しかしレイアウトに使う小石が無くなった。また北上川に行って、綺麗な石を拾ってきたいのだけれど、昨夜の雨できっと水かさが増していることだろう。ちょっと庭の小道作りは休止である。

毎朝6時に、緊急用災害スピーカーから目覚まし音楽が鳴るのだが。今朝はもごもごと調子が悪かった。きっと昨夜の落雷のため故障したのだろうと思う。

実は震災後、我が家の近くにあるコミュニティセンターの庭にこのスピーカーが設置されたのだが、正直ちょっとつらいことがある。

毎晩1時過ぎに寝る僕にとって、朝6時の大音響の音楽はちょっと厳しい。6時30分に鳴ってもらうと、僕的には助かるのだけれど、こればかりはなんともしょうがないようだ。

稲刈りシーズンも近づいたし、もう雨はしばらく御免被りたいな・・・・。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月10日 (水)

近くに落雷

塾から帰ってきて夜ご飯を食べ終り、PCの前に座った瞬間に、近所に落雷があった。凄い音だった。息子や母が驚いて部屋から飛び出してきた。

我が家から見て田圃を挟んで南西側の家々の明かりが消えた。落雷による停電だろうと思う。猛烈な雨も降ってきた。

今日作った庭の小道であるモルタル・コンクリートにシートを被せた。何とか流されなければいいのだけれど、タイミングが悪かったような気がする。仕方がない。

今日は地震があったり、雷が落ちたりまたくもって大変な一日だ。例によって変なもやもや感がある。明日あたりまた揺れるかもしれない。気をつけよう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

小道作りが本格始動

昨日北上川の岸辺から拾ってきた小石を利用して、いよいよ、庭の小道作りが本格始動した。

20140902_125726


小石でルーン文字をあしらった模様をモルタルに埋め込む作業が勝負時なのだが、やはりここは美的センスにこだわる我が女房、石の位置に超うるさい。

要求もうるさいし、雨も降ってきたので、今日の作業はここまで。それではごきげんよう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 9日 (火)

ちょっとちょっと

久しぶりに放射能の話を書いたら、1000通を超える迷惑メールがやって来た。いつものことながら、ちょっとちょっとである。

僕のブログの記事数が今度の記事で3750になる。訪問して頂いた方の延べ人数が119万人を超えた。

震災後、過激な記事を書きすぎたのだろうか、ウイルスの多面攻撃を受け、買ったばかりのウインドウズ7が撃破され、ウインドウズ8を即刻買うはめになった。セキュリーティーを強化したのはいいのだけれど、その分経費もかかり、ちょっとちょっとである。

いい加減ブログをやめようかとも思ったりしたのだけれど、ブログをやめたら、空いた時間にまた酒を飲みそうなので、健康管理のために続けている(苦笑い)。

僕のブログを読まれている方の25パーセントが岩手県の方で、東京からのアクセスも同じく25パーセントぐらいになっている。あとは全ての県が1パーセントぐらいであるから、岩手と東京の方々がメインということなのだろうと思う。

それにしても暇と勢いに任せて、言いたいことを言ってきた。迷惑メールには確かに困るのだけれども、読者の方から心のこもったお手紙もちょくちょく頂く。ブログを書く支えになっていると言っても過言ではない。この場を借りて感謝申し上げたい。

ところで、休耕田の草を刈ったり、家の修理をやったり、卓球のコーチをやったり、家内の主宰する教室のアシスタントをやったり、なかなか休みが取れない僕だけれど、来月に行われる卓球のNittaku杯に出場しようかなと考えている。

4年ほど入賞から遠ざかっている。久しぶりに試合に出て、中学生や高校生をいじめてあげようかなと思っている(笑い)。そのためにも70キロを超えている体重を60キロ台まで落とす必要がありそうだ。紅葉狩りの山登りもしたいし、少しトレーニングをして、身体を絞り込もうかと思う。

年齢と共に弱ってくるのは、足腰である。まじになって鍛えなければならない状況だ。急斜面の草刈りが、厳しい状況になってきている。本当にちょっとちょっとだ!

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

錦織圭選手に1億円を贈呈

カジュアル衣料品店「ユニクロ」が、スポンサー契約を結ぶテニスの錦織圭選手に1億円を贈呈することが9日、分かった。うち5千万円は柳井正会長兼社長が個人で負担する。同社広報は「錦織選手の多大な功績に対して贈る」と説明した。

 全米オープンでは、錦織選手と同様にユニクロのウエアを着用した車いすの部の国枝慎吾選手が優勝した。柳井氏は「両選手とも歴史に残る偉業を達成してくれました。サポートができることを心から誇りに思います」とのコメントを出した。(共同通信)

20140902_175807_2


確かに記者会見でもユニクロのウエアーを着ている。1億円か・・・・僕もどっかの会社のロゴが入った卓球ウエアーを着てあげるので、1000円でいいからお金をくれないかな。そしたら中古の本が10冊買える!

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

川の小石を拾いに

20140902_125726


今日の午前中に、家内と息子と3人で、バケツを抱えて北上川の河川敷に出かけて行った。何をしに行ったのかというと、庭の敷石に使う平らな小石を川から恵んでもらいに行った。

ボロボロになった自宅教室の庭に、曲がりのついた小道を作ろうという家内の希望を叶えるべく、素直な夫と息子が(笑い)汗を流しながら、かわいい石を拾い集めた。

20140902_175807


工事は着手したばかりで、庭には、小道と言うにははまだまだほど遠い状況の敷石が埋め込まれたままになっているのだけれど、子どもたちが楽しく歩ける庭を近日中に完成させたいと思っている。

風と虹の教室に通う、お子さんお母さん方、楽しみにしていて下さい。かねごん爺が、かわいい小道を作りますよ!

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2兆ベクレルの放射能物質が海洋に流失

 

東京電力福島第1原発から放射性物質が海に流出している問題で、今年5月までの10カ月間に第1原発の港湾内に出たストロンチウム90とセシウム137が計約2兆ベクレルに上る可能性が高いことが7日、東電の資料などで分かった。
 二つの放射性物質だけで、第1原発の事故前の放出管理目標値の10倍を超える。事故に伴う深刻な海洋汚染が続いていることが浮き彫りとなった。
 第1原発では、汚染された地下水が海に流出しているほか、高濃度汚染水がたまった建屋のトレンチ(ケーブルなどの地下管路)から直接港湾内に漏れている可能性も指摘されている。
 東電の資料によると、昨年8月から今年5月にかけ、港湾内の1~4号機取水口北側で測定したストロンチウム90とセシウム137の平均濃度を基に試算した1日当たりの流出量は、約48億ベクレルと約20億ベクレル。10カ月間の総流出量はそれぞれ約1兆4600億ベクレルと約6100億ベクレルの計算になる。
 合わせると2兆ベクレルを超えるが、汚染水には他の放射性物質も含まれており、港湾内の汚染はより深刻とみられる。(時事通信)

高濃度の放射線物質が、継続的に太平洋に流失している。日本海流の黒潮と、千島海流の親潮が合流し、潮目となる東北の太平洋沿岸の潮流は、南洋のさかなと北洋のさかなが合流する、有数の漁場である。そしてそこに東京電力福島第一原発がある。

津波で大打撃を被った三陸の漁港は、水揚げ量ではだいぶ復活した。震災から3年半が経過し、さかなは安全であると認識し、普通に食べている人と、ノルエーや韓国などでとれたさかなしか食べないという人と、さかなは危ないから食べないという人に、完全に分かれている。

ちなみに我が家では、セシウムやシトロンチウムなどの放射能物質は、海底に沈む傾向があるので、タコやカレー・ヒラメおよび貝類は決して食卓にはあがらない。

スーパーで売られている魚介類の汚染度がどうなっているのか、情報を共有できない日本という国は、あまりにもお粗末だ。

僕らの世代は、メチル水銀で汚染されたさかなを食べたことによる水俣病の悲劇を知っている。

不評被害という言葉が、逆に情報操作に利用されているように思うのは、僕だけだろうか。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 8日 (月)

自宅教室での大きなイベントも無事に終了した

自宅教室での大きなイベントも無事に終了した。

イギリスからおいでくださったジョンリビングさんのライアーコンサート。そして昨日は福岡からシュタイナー医療を実践する内科医の安達先生、神奈川からは看護士の鶴田さんがおいで下さり、自宅教室の風と虹は、1日診療所となった。

シュタイナー関係者の皆様の心温まる支援に、本当に感謝でいっぱいです。

風と虹の教室のお母さん方には、宿泊するアーティストさんや先生方のために、一品料理を持ち寄ってくださり、本当にありがとうございました。僕もちゃっかり頂きました。とても美味しかったです。

Photo

僕の草刈り仕事も一段落。昨日は一日卓球の部活の指導もあり、今日は身体がギシギシいっている。ふと庭先を見ると、田圃の稲も稲刈時を迎えようとしている。

今週は市内の県立高校は定期テストに突入だ。塾も忙しい。

生かされていることに感謝をし、今日も一歩ずつ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 7日 (日)

従軍慰安婦問題

僕は右翼でも左翼でもないし、共産主義思想の持ち主でもないが、この従軍慰安婦問題と言うものに多面的な憤りを感じる。

もし日本が戦争に勝っていたならば、この問題は闇に葬られ、社会問題として浮かんでくることは微塵もなっかたかも知れない。従軍慰安婦問題は敗戦国として求められる謝罪であり補償問題なような錯覚を醸しだしているが、世論がすり替えられていないだろうか。

まず第一に、戦争という非道徳、非日常性のなかで、狂気に走った日本軍国主義の過去を、従軍慰安婦という問題で責任を追求してくる某国の立場も分かるが、もっと根本的な殺戮の責任を日本政府に要求すべきだ。これは靖国問題も同様の矛盾を抱えているが、戦争という失態が、どれほど経済的にも人道的にも国家にとって損失であるかを、日本は知りべきであるし、他国も認識すべきだ。

今現在進行している、内戦や殺戮を阻止するのが我々人類の課題であり、その抑止力として過去の戦争の反省があるべきなはずなのに、過去の戦争の狂気が、さらなる戦争の火種になってはいけない。

このままでは、間違いなく現代文明は終焉を迎える。隣国との信頼を構築出来ない文明国が世界平和の礎になることは到底出来ないだろう。同じく隣国の大国も、イデオロギーが未熟すぎる。

第二次世界大戦の悲劇を知らない世代が、政治の中枢を担っている。感情論や思想論で戦争を論じようとしても、それは土台の無い思想であり、中心軸が定まらない論議である。

女性の精神や肉体を弄んだ戦争の愚かさは、いつの時代も男性中心の支配思想のなかで起こる悲劇だ。戦争を実行しているのが男だという現実が、女性の人権を蹂躙してきた。しかしそれ以上に許されないのは、命の剥奪だということを忘れてはいけない。

今小説もドラマも映画も、俗に言う戦争感動ものが多い。僕は戦争の時代に突入したドラマは見たくない。それは過去の愚行を見たくないという気持ちよりは、生理的に嫌なのである。

子どもたちに戦争の悲劇や悲惨さを教えなければならい。そういう意図なのだろうが、歴史の近代史は戦争史だ。日清戦争・日露戦争・第一次世界大戦・日中戦争そして第二次世界大戦と戦争のオンパレードだ。

過去の歴史を学ぶことは大切だけれども、僕は過去の遺物の醸しだす負のエネルギーが、子どもたちに歪をもたらすことのマイナス面を危惧する。

そういった意味では、従軍慰安婦問題がメディアで拡散すればするほど、過去の道徳観の喪失が、現代社会に及ぼす影響は大きい。戦争責任と言うけれど、70年前の戦争の責任者はいない。

戦後、高度成長を遂げた日本の奢りと、過去の屈辱に耽溺する隣国の怨念は、どこまでも平行線をたどっていくのだろうか。慰安婦問題は、お金で解決することなのだろうか。人間の欲望をストレートに暴き出すならば、金銭欲と性欲が文明をひっぱてきた感がある。しかしそれはもう限界にきている。

僕ら人間は愚かである。愚かではあるが、その愚かさを修正できる知恵者でもある。愛を中心にした知恵者でなければ、僕らに明日はない。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 6日 (土)

石田衣良『約束』

先月から石田衣良の小説にハマっているが、今日もまた彼の小説を紹介したい。

2004年に出版された短篇集『約束』は、涙なくして読むことが出来ない作品だ。家族に突然降りかかる悲しみ、命のはかなさと命の愛しさが、読み手の感情をこれでもかと揺さぶって来る。

Photo_2

一緒にいて当たり前の家族の存在が、突然終ってしまう悲しみ。僕らは、その時何を思い、何を考えるだろうか。

人は誰もが死を迎える。それは予測が出来ないこと故に、残されたものが消化するにはとても複雑で多面的だ。

石田の作品は、他界した魂を主人公の救済の担い手に据え置くことで、喪失感の風穴を埋めていく。癒やしがある悲しみのドラマだ。

僕は魂の存在を否定しない。肉体の死が存在の終焉だとは思っていない。生きることにも死ぬことにも、すべてに意味がある。

生まれ来る命、去りゆく命、そのダイナミックな営みは、地球の営みであり、宇宙の意志だと思っている。僕らは輪廻転生の中で、失われた時代を修復し、新たなドラマの土台を築いて行く。

幸せな人生や、不幸せな人生が仮にあるとすれば、それは生き方の違いではなく、想いの違いだ。僕らはどう生きるかに重点を置きすぎて、自分の命の個性に意識がいっていないのではないだろうか。

失ったものは、戻っては来ないかもしれない。しかしその喪失さえも人生には意味がある。そう考えれば、決して無駄な人生などない。言葉が、視線が、そして存在が、宇宙を創造していく。僕はそう思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

最近気になる事

最近気になる事。

草刈り作業でスイッチが入ったのだろうか、花粉症の鼻水がと止まらない。

新人戦を前に部活が忙しいのだろうか。高校2年生が塾に来ない。便りのないのはいい便り、などとも言うので、きっと勉強もいい感じなのだろうと思う。

中学1年生が急に大きくなり、大人になってきた。成長期って凄いんだな~と思う。でも着るもののサイズが大きくなって、親御さんも大変だろうなと思う。

塾の通帳の残高が限りなく0の状態なので、毎日のように種々の請求書がやって来る。郵便局の振込はお金がかからないのに、コンビニは手数料を取られる。深夜営業の郵便局があれば便利なのにな。

カロリーゼロのビールや清涼飲料水が売られているが、だったら水を飲めって感じだね。

清涼飲料水と言えば、果実が入っていないのに、ピーチ味とかグレープ味とかういうのがあるけれど、人間の味覚というのは騙されやすいんだね。個人的にいうと僕は普通の美味しい水がいい。

10年ほど一切チラシ宣伝をしていない。ご父兄の紹介のみで、僕の塾は存続している。印刷屋さんとの関係がだいぶ疎遠になってしまった。そう言えば塾のチラシ、7年ほどリニューアルしていない。やっべ~。

市内の子どもの数が減少しているのに、塾の数が減るどころか増えている。なんだかよく分からいけど凄いことだと思う。うん。

昨日、『目の縁』という漢字を中学校の国語の先生が、『目のみどり』と授業中に読んだと、某中学校に通う中1の塾生が言っていた。誰にでも間違いはある。ちなみに『雑木林』という漢字を『ざつもくりん』と児童に教えた、市内の小学校の教諭がいたが、自信を持って教えられと、そうなのかなと思ってしまうから不思議だ。

僕も覚え違いがいっぱいある。作家の宮部みゆきの名前を、宇部みゆきと覚え違いをしていて、生徒の前で堂々と間違えていた。ドンマイだ。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 5日 (金)

草刈り2日目

昨日草刈りを始める前の写真がこれ。

10313048_288092088026798_4070129232


そして本日刈り終わった写真がこれ。

20140902_125726

書くことが何かあったような気がするけれど、疲れて忘れてしまった。これで休耕田のおよそ5分の2が終わった。

ちょっと昼寝をして、塾に出発。高校生の定期テストが近づいた。よし、がんばろう!

それでは。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 4日 (木)

今日から休耕田の草刈り作業だ

さて今日から休耕田の草刈り作業だ。今年3回目になる。

10313048_288092088026798_4070129232


草刈機の刃を新品に替えた。これから刈ろうとする休耕田を前にすると、正直気が滅入ってしまう。疲れるな~というのが本音だ。

近所では70、80になるお年寄りが、頑張って休耕田の草刈りをしている。50半ばになる僕など、彼等に言わせれば、まだまだヒヨッコだろう。滅入っている場合ではないな~。

今日は涼しくて助かった。明日も草刈り日和であることを祈りたい。

それではごきげんよう。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 3日 (水)

だから僕は塾教師になった

さて今日は禁断の本音を語ろうかと思う。

塾敎育は必要なのかという話だ。そもそも塾ってなんだろうと考えてみると、30年間塾教師をやってきた僕も、自問自答の明快な答えは浮かばない。

正直に言うと、家族を養うためにただひたすら頑張ってきた気がする。よく生徒のために云々という塾屋がいるが、月謝をもらっているから出てくるリップサービスで、何のことはない皆生活のために頑張っているのだ。

その月謝の話をしてみたい。「先生の塾は安すぎますよ」ご父兄や塾生からよく言われる。

実は月謝が安いのは、僕が指導に自信がないわけでも、偽善者ぶっているわけでもない。

お金がないから敎育が出来ないという世間の愚痴が嫌いなだけだ。お金持ちだけが教育費にお金をかけられるという社会的状況が僕は許せない。

正確に言うと面白くない!

お金には本当に大変な思いをしてきた。僕が小学3年生の時に、父が交通事故に遭ったのが不運の始まりだった。加害者は未成年者で、車に任意保険もかけていなかった。命こそ助かったが長い入院生活を余儀なくされた。

入院費や補償のお金を支払ってもらえず、我が家は困窮した。僕が中学を終わるまで生活保護を支給してもらい、なんとか生活をしのいだ。

何度かブログでも書いてきたが、勉強が嫌いだった僕は、高校は私学に行った。そんな家計状況だったがゆえに、授業料は奨学金とバイト代で3年間支払った。大学も同様だった。

東京に出たかった。音楽をやりたいがために、その口実として、大学に滑り込んだ。そして卒業後、音楽に未練を残していた僕は腰掛けのつもりで塾講師になった。そしてハマった。

僕が勤めた進学塾の先生は、実に魅力あふれる人達だった。子どもたちが実に生き生きとして輝いていた。こんな学びの場だったら、僕も勉強が楽しかっただろうと心底思った。

失礼千万を覚悟で言わせて頂くが、中学校の先生方の授業は退屈を絵に描いたようなものだった。特に英語がつまらなかった。苦虫を噛み潰したような顔をして教科書を読ませて訳させる授業が面白いはずがない。

生まれてはじめて他人の授業に感動した。それは中学の授業でもなく、高校の授業でもなく、大学の授業でもでなく、塾の授業だった。

だから僕は塾教師になった。

そして僕は、貧しい家庭というものを経験してきたので、少々家計が苦しくても通わさせられる塾を頑張ってやっている。それだけのことだ。

塾は必要かというと、実は必要じゃない。学校の先生が、個々人のやる気を引出してくれるなら、僕らの仕事は必要ない。学校というところは制約が多過ぎて、能力ある先生方のやる気を損ねてしまっている。残念だ。

塾は制約がない。その分、塾教師の個性や能力が、ダイレクトに評価される。おもしろいが、厳しい世界だと思う。正直疲れることも多いけれど、自分が選んでやって来た道だ。最後まで走りぬけるしかない。・・・・・と思っている。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 2日 (火)

感動のライアーコンサート

No_2


かねごん宅で開催されたジョン ・ビリングさんのコンサートは、自分で言うのもなんだけど、とってもよかった~。

美しく静謐(せいひつ)な、ライアーの音に癒やされました。CDと同じ曲が流れてきた~。ジョン・リビングさんの演奏が生で聴くことが出来て、感激そのものでした。

このコンサートの企画を実行して頂いた遠藤さんありがとうございます。京都から遠路はるばるお越し頂いて、ジョン・リビングさんとジョイントをして頂いた松葉さんありがとうございます。車でナビゲートして頂いた佐藤さん、本当にご苦労様でした。感謝申し上げます。

夜になって一緒に金成温泉に行き、僕はジョンさんと夜の露天風呂で、星空を見上げながらちょっと音楽談義。もちろん英語で(笑い)。

今夜は我が家に皆さん宿泊して頂いたのですけれど、寝る前にライアーの練習曲を奏でて頂き、しっとりまた感動したのであります。

本日都合がつかず来れなかった方も多かったようです。本日演奏した曲の一つをユーチューブでお聞き下さい。

音楽って本当にいいですね。

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

先ずは会場設定

今日は夕方5時からジョン・ビリングさんのライアーコンサートが行われる。午前中いっぱいかけて、掃除やら会場セッテングを行なった。

229d38a675838afdadc3a7d27a368e7d7b7


演奏者と観客の皆様をお迎えするだけだ。皆さんが素晴らしいひと時を過ごせますように。

Photo

ジョンビリングさんのライヤーコンサートのごあんない⇒震災特別支援コンサート

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

2014年9月 1日 (月)

鬼嫁のミッションパート2

今月は自宅教室で様々なイベントがある。築40年近くなる我が家の老朽化もさることながら、庭のコンクリート舗装も同じく40年が経ちボロボロ状態だ。

8月の夏期講習会が終ってからというもの、そのボロボロの庭を修復すべき、我が鬼嫁は、僕に日々土木作業を命じてきた。玄関前の敷石加工作業の次は、玄関前の水道の流し場の修復を命じてきた。

No


写真の中の手前の半円の敷石加工は、先日ブログで紹介したが、10日前に僕が工事をしたものだ。そして昨日『風と虹』の親子さんが帰ったあと、ホームセンターに行き、敷石とコンクリー板を買ってきて、流し前の工事を行なった。

コンクリートのねり方も、コンクリートハケの使い方もちょっと調子がついてきた。塾講師をやめて、庭のリホーム業に転職しようかなどと思ったりもするが、やっぱりこれだけは、趣味の領域にとどめておいた方がよさそうだ。

さて庭のリホームはこれくらいにして、また来週は、40アールの休耕田の草刈り作業だ。おっと忘れてた(苦笑い)。今月の10日過ぎから高校の定期テストが始まる。今日からテスト対策の指導が始まる。本業をおろそかにしていられない・・・・。

 

*明日は自宅教室でライヤーコンサートがありますゆえ、大験セミーナーの塾は     お休みします。

ジョンビリングさんのライヤーコンサートのごあんない⇒震災特別支援コンサート

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

ジャズ・ピアノで一番うまいピアノマンは誰と聞かれたら

9月になった。これからの季節はジャズが心にしみる。特にサックスやピアノのメロウな音が、秋が深まるにつれて彩りを増していく。

ジャズのピアノ弾きで好きなピアノマンはいっぱいいる。ここに名前を列記したら、名前だけで今日のブログ記事は埋まってしまうだろう。

僕が今ままで聴いてきたジャズ・ピアノで一番うまいピアノマンは誰と聞かれたら、間違いなくオスカー・ピーターソンだ。彼はクラシックを奏でてもすばらしい。

オスカー・ピーターソンのピアノは、ある種知的で、そしてリズムそのものだ。僕は落ち込んだときはサックスのジャズを聴くことが多いのだが、やすらぎたい時はジャズピアノの音を希求する。

昼寝をしたい時など教室でピアノ・ソロを聴いていると3分もしないうちに眠りに落ちてしまう(笑い)。

オスカー・ピーターソンの代表作と言えば『酒と薔薇の日々』であるが、作曲や編曲の名手でもあった。

2007年12月23日のクリスマス前夜に、82歳の生涯を終えた。彼のピアノは本当に美しくてそして力強い。

ジョンビリングさんのライヤーコンサートのごあんない⇒震災特別支援コンサート

にほんブログ村 教育ブログ 塾・予備校教育へ

« 2014年8月 | トップページ | 2014年10月 »