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2014年8月 4日 (月)

我々が存続してこれた礎

3・11の大地震はアメリカによる人工地震であるという著書や、人工地震であることの根拠なるものがウエーブ上で広く拡散している。

これらの論点は、アポロが月面に到着した映像は、スタジオで作られた架空の映像であるとか、9.11の同時多発テロはアメリカの自演自作である等の都市伝説的な要素を含んではいるが、簡単に見過ごしていい問題ではないと思う。

某総理大臣を含め、日本の政治家が、震災後非常にアメリカ寄りというのか、アメリカに恐喝されているのではないかと思うくらい、今までの路線を急激に変えつつあることなどなど考えると、確かにきな臭い感じではある。

今日はちょっと僕のスピリチャル的と言うのか、超自然的感覚と言うのか、そんな見解を述べてみたい。

まずあの大震災のあった1ヶ月前から、僕は原因不明の体調不良に陥った。頭痛と胸の痛みで歩けないほどだったけれど、病院での精密検査の結果は、持病の痛風以外なにも見出されなかった。その体調不良も震災が生じると同時に完治した。

その後何度か頭痛や胸の痛みを経験したわけだけれども、その痛みがある程度の大きな地震の前にやって来ることがわかった。

しかしである。僕は過去において東日本大地震の前に、地震がやってくるからといって体調が崩れるなんてことは、記憶する限りまったくなかった。

また震災後、僕はアラハバキ神なるものに、完全に呼ばれている。誘導されていると言っても過言ではない。東日本大震災が、アメリカが起こした人工地震であるか、そうじゃないかは僕には確定出来ないが、東京電力が関東以北の神々が住む神聖な場所を土足で汚すような暴挙に出たことが、僕は今回の震災を防御できないでしまった要因の一つじゃないかと考えている。

象徴的なこの光景を見て欲しい。

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僕の住む近所の風景だ。山神が祀ってある里山に巨大な鉄塔が建っている。この鉄塔は建てる場所によっては1塔1億円を超えると言う。この鉄塔は建設中の青森の原子力発電所の電気を、関東に運ぶための鉄塔だ。何万本建てたのだろうか。

数万ボルトの電流を流すための電線が、北上高地の山々を横断する。静謐な山奥の風景が台無しにされた。そればかりじゃない。その鉄塔が建てられた山々では、いったいいくつの磐座や山神の聖地が蹂躙されてだろうか。

縄文の時代から崇められてきた聖地が、重機やキャタベラに踏みにじられ、文明の利便性のために、多くのレイラインが崩壊した。

僕はアラハバキの神々に、人間の犯した愚行に早く気づけと、警告を発してもらった気がする。今回の地震は、アメリカが起こした地震でもなく、神様の天罰でもなく、文明化した社会の中で、祖先が伝えてきた大切なものを軽視し失ってきた、この文明社会の責任だと思っている。

アメリカによる人工地震を主張する方々が多くの証拠を突きつけているが、あれだけの証拠が事実ならば、なぜ誰も阻止できなかったのだろうか。

北上高地や阿武隈高地の霊峰やその周辺を、蹂躙している鉄塔を是非この夏、目にして欲しい。文明の奢りがわかるはずだ。

この無謀な計画を実施した東京電力ばかりではなく、鉄塔の土地を提供した東北・関東の数万人の地権者や、公共地を提供したお役人や、その組織すべてに責任がある。もちろんそれを許してしまった僕らもだ。

これらの鉄塔がほぼ完成し電線が張られたタイミングであの大地震がやって来て、福島第一原子力発電所が崩壊した。偶然だろうか。

津波によってあまりにも多くの方々が犠牲なってしまった。哀しみは癒えない。僕が講師に行っている修紅短期大学には、津波で被災した三陸の学生が多く在籍している。教え子の中には、気仙沼で自宅を流され、毎日仮設住宅から短大に通って来ている学生もいる。

講義の中で、被災に関して触れることがためらわれる瞬間が、僕の中ではまだまだある。海岸線は例年ならば、海水浴客でいっぱいの季節だ。しかし、その気分に慣れないのは当然で、夏の海は閑散としている。

僕らはあまりにも常識というものに囚われてしまい、逆に目に見えない存在の依存者になってしまった。不登校になれば、心療内科の薬を頼りにし、不幸が続けば宗教関係の門をたたく。

僕は20代の頃、家庭教師の仕事をメインにしていたことがある。当時不登校やひきこもりという言葉がそれほどマスコミに登場することがない時代だったが、それでも学校に行かない生徒の相談を受け、家庭教師に出向くことが多かった。

そういう家におじゃますると、家が立派でも、先祖代々の庭のお宮が、草ぼうぼうで隠れそうになっていたり、座敷の仏壇がほこりまみれだったりということが多かった。

僕らが存続してきた礎は、お金や権力なんかじゃない。食料をいただいてきた大地と水と、そして人間の絆だ。信頼と言ってもいいだろう。その供給源はどこだったのか考えてみるといい。おのずと答えは見つかるはずだ。

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