学校は伏魔殿である?
内申書に傷がつかぬ「出席停止処分」
今や、学校は伏魔殿である――。
万が一、わが子がいじめられている事実を知ったら、親は行動を起こす前に、まずはこの事実を頭に叩き込んだほうがいいだろう。現代の学校は、法の支配すら及ばない魔界になり果てている。
私は数年前、某都立高校のPTAから、悪質な暴力教師を解雇させることはできないかと相談を受けたことがある。話を聞いてみると、その教師の所業はすさまじいものだった。過去数年の間に、生徒11人に暴力を振るって骨折させたというのである。当たり前だが、学校の外なら間違いなく刑事事件である。
ところが、驚くべきことにこの11件の暴力事件は、一切、学校の外に漏れていない。なぜなら、暴力を振るわれたことを学校に訴え出た生徒のほうを、校長が次々と退学処分にしてしまったからである。生徒も父兄も口をつぐむしかなく、暴力教師はやりたい放題の日々を送っているという信じられない話であった。
なぜ、校長が問題教師を解雇しないのかといえば、労働組合が怖いからである。
現在、日教組の組織率は26.2%にまで低下している(2011年10月現在)が、それでも全国に約27万人もの組合員が存在している。また、日教組の関連団体も全国に数多くあり、すわ「教員解雇」となると、瞬時に支援組織が結成され、全国から支援団体が駆けつけて解雇撤回運動を展開する。教員が教員を守るパワーは圧倒的なのだ。(プレジデント)
暴力も体罰もNGという学校において、どうやって生徒を指導したら良いのだという嘆きを暴露する教師も多い。教師が体罰を加えられないことをいいことに、暴走する生徒もいる。
学校の先生受難の時代だと、溜息をつく教師は多い。不景気の世の中、安定しない家庭経済に悩む保護者の中には、お金に不自由しない先生に対して、ストレス発散のごとく噛みついてくるモンスターもいる。
塾教師歴30年、様々な角度から教育に対する不満や愚痴を聞いてきた。学校の先生に対しては、暴力云々のクレームよりは、授業中うるさい生徒を叱ることなく授業をする先生がいて、授業に集中できないというクレームが一番多い。
一方中学校や高校の現場の先生から聞こえてくる声は、学力差が激しく思うように授業が出来ないという悩みの声が聞こえてくる。
まだ悩んでいる先生はいいほうで、教えてもわかんねぇ~だろうから、授業を適当に流しましょうなんていう先生もいるようで、生徒から給料泥棒と罵られている先生もいる。残念なことだ。
上のような学校の校長は例外中の例外だろうけれど、保身だけを考えている校長がいることも事実だ。狭い世界で先生と呼ばれ続けて、世間の常識からかけ離れた感性を身につけてしまった人間ほど、厄介なものはない。なぜなら、自分が正しいととことん思っているわけで、裸の王様になってしまっている。困ったものだ。
暴力や体罰はあってはならない。学校でいじめはあってはならない。どう見てもどう考えても当たり前のこと。その当たり前のことが、学校では遵守できないでいる。
学校の先生が尊敬される人間であることが難しくなったからだと言う人がいる。世の中を見渡せばそれは残念ながら否定は出来ない。しかしそれ以上に問題なのは、人間の尊厳を、命を、本当に愛を持って育むことが出来ない大人が増えていることじゃないだろうか。
自分の子どもならやっていますよと言うかもしれない。他所の子どもはどうだろうか。仕事だから義務だから、お金を頂いているから、・・・・・云々。
人は人に生かされている存在だ。だったらやるべきことは見えてくる。そうじゃないだろうか。
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