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2014年8月24日 (日)

集中力を培う訓練は読書がいい

合気道やある種の波動を扱う仕事や訓練を受けた人は分かるかと思うが、人間にはその肉体とは別に、その人の心というのか精神から醸しだされるエネルギーというのか、簡単に言ってしまえば、いわゆる気が放出されている。

僕はその気に普通の人より敏感なようだ。ある人はオーラと呼んだり、波動と呼んだり、エーテル体と呼んだりしているが、図で表すとこんな感じ。

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スポーツでも勉強でも、集中している人の醸し出す気は静謐(せいひつ)で、いい緊張感を周りに放射し、凛としている。

僕の勝手な持論だけれど、人間の頭の善し悪しは、この集中力,カタカナで言えばコンセントレーションの有無で決まる気がする。集中力がない人は、理解力が鈍い。それだけの違いなのだが、その連続の日々が大きな相違を生み出す。

集中力は呼吸に関係してくるし、視線に関連してくるし、愛そのものにも絶対関係してくると思っている。

集中力を培う訓練は読書がいい。もちろん書道や瞑想などもいいのだろうけれど、読書が一番気軽にできて楽しむことができる行為だ。

僕は手相が見れたり、名前の鑑定ができたり、過去生やオーラーが見える人間だと一部の人間から思われていて、ひっきりなしにその手のアポイントがやって来る。

僕に備わっているだろうと思われているそれらの能力のほとんどは、本から得た知識だ。つまり自他共に認める読書オタクの賜物である。残念ながら世間によく言うところの、見える人間ではない。

手相の本は学生時代に30冊は読んだ。名前に関しては、自分の子どもに名前をつけるために、どれだけ読んだだろうか、忘れた。

前世療法や怪しげな心理学関連の本は、大型の書棚が埋まるほど読んだ。あるときなどはオーラーが見えるための訓練書なる怪しげな本まで買ってきて読んだ。病気だ(笑い)。

以前のブログでも書いたが、大学を卒業して、塾教師を始めた頃は、給料の半分くらいが書籍代で飛んでいった。どうみても本依存症である。

良く女房から、「あなたのその自信はどこから来るの」と言われる。きっと学生時代に勉強もせず、音楽ばかりやってきた僕を見てきた彼女の偽らない疑問なのだろうと思うのだけれど、自分でいうのもなんだけれど、読書量だと思う。

残念ながらなのか幸いなのか、僕には東大出の知人や友人はいない。しかしその他の大学の知人友人ならばいる。僕のような中途半端な人間が、世間でいうところの1流出の人間と、塾業界でしのぎを削って生きてこれたのは、読書量のお陰だと思っている。

友人の岐阜の上野義行先生は、トイレには立派な神様がいるので、トイレ掃除はしっかりやらねばならないと日頃言っているが、同じように本の神様も間違いなくいる。

本を書いた人間のエネルギー、その本を出版した人間のエネルギー、そしてその本を埋めている文字のエネルギー、本を読む人間に影響を与えないはずがない。

これもかつての記事で書いたことだが、高3の時に生涯読書冊数一万冊を目標に掲げた。毎年300冊読んで、30年以上かかる冊数になる。今頃は読み終わっていなければならない年齢なのだけれど、諸所の都合により、その半分ぐらいしか読んでいない。

途中挫折しかけたけれど、あと20年生きるとすれば73歳。5000÷20で毎年250冊ほど読めばクリアーする数字だ。今年はそのペースを超える本を読んできたのでなんとかなんるんじゃないだろうかと思い始めている。

本を読むようになって、人の感情や感性がキャッチできるようになった気がする。つまりは相手の気のようなもののおぼろげな姿を、捉えられる瞬間が増えたような気がする。あくまでも自分勝手な思い込みなので、客観性などないのだけれど・・・。

「先生年を取ったのだから、もう本をそんなに読まなくていんじゃないの」と、塾生に言われる。

正直に言おう。僕は老後のために本を読んでいるのではない。もうターゲットは来生に向っているのだ。

ワッハッハ。

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