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2014年8月26日 (火)

勉強しないと、俺みたいな人間になるぞと脅かしたら・・・

学校の宿題についての何度目かの記事になる。

学校の宿題がなければ今の中学生や高校生は勉強をしないんだろうか。宿題をやらなければならないのは、義務だという。まあ学校に勉強しに行っているのだから、教科の先生が宿題として出す課題は、必然的にやらなければならないのだろうと思う。

宿題のために削られる多くの時間。宿題が効率よく消化されていっている生徒と、単なるストレスに終ってしまっている生徒。

世の中に出れば、仕事上嫌なことがいっぱいある。学校の宿題はそういった将来に対する忍耐の訓練だという先生がいるが、僕はその考えには反対だ。

宿題をやっても成績が伸びないのは、宿題のレベルがその生徒にあってないからだ。難しすぎてやる気をなくし、ただ解答を写して、ミミズがはったような文字を書き連ねて提出する宿題に何の意味があるのだろうか。

莫大なプリントが毎日刷られ、これでもかと宿題が押し寄せる。宿題をやれば、いい高校やいい大学に入れるんだという洗脳教育に早く気づかないと、自主性を喪失した大人が大量生産される。

パソコンのソフトでの勉強もそうだし、サテライトのような予備校の授業もそう、一見合理的な学習手段のように思えるが、果たして本当にそうだろうか。泥臭く努力をするのではなく、かっこ良く合理的な勉強をすることが、スマートで現代的だというのなら、そこにこそ大きな落とし穴があるような気がする。

今の教師は、学校も塾も教えすぎる。そして挙句の果てに宿題の猛攻撃だ。子どもたちは、何をやらなければならないのかを考える隙間さえ与えられない。放任も愛なのだということを知るべきだ。本来の探究心であるとか、積極性であるとか、工夫する姿勢が阻害されている。

僕の通った私立高校の先生方は、その点ではとても優秀だった。なにせ3年間どの教科の先生もほとんど宿題などださなかったのだから。それどころか、「今日は気分が乗らないので自習」などと言って新聞を読んでいた教師もいた。強者(つわもの)である。

勉強は自分で工夫してこつこつやるもの。そういった時代錯誤の勉強方法だったので、僕は成績がかんばしくなかったのだろうと思う。夏休みなどに、予備校に通う良家の同級生が羨ましいと思ったわけではないけれど、なんと言うのか、学校の教師も含め、誰かに頼って勉強することが嫌いだった。

当時の母校は開校以来国立大学に誰も入ったことがなかったし、大学進学なんていうのは学年で5人もいなかった。間違いなくほとんどが就職だった。だからこそ僕は、闘士がわいた気がする。完全な天邪鬼(あまのじゃく)だ。

宿題がなかったお陰で、わけの分からない身勝手な勉強を終始一貫してやった。・・・・でこんな変なおやじになってしまった。

夏期講習中、暑さで集中しない生徒たちに。勉強しないと、俺みたいな変な人間になるぞと脅かしたら、背筋を伸ばして集中しだした(爆笑)。

もちろん僕の塾では、夏休みの宿題なんかない。勉強したい生徒は、かってにプリントをコピーして持っていく。僕はそれでいいと思っている。

今の若者達の恋愛観や結婚観を見ていると、さばさばしているというのか、見極めが早いというのか、僕らのような情念がからんだ泥臭さがない(笑い)。これも与えられ続けてきた勉強の置き土産のような気がしてならない。

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