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2014年7月 1日 (火)

障害の話をしよう

毎年毎年多くの生徒・学生らが社会に旅立っていく。実は会社組織に入った3割の学生が、3年以内に離職する。数にすれば20万人が毎年入った会社を辞めていく。

離職した若者たちは、ほとんどが専門職の若者たちではない。表現は悪いが誰でも出来る仕事なのだ。第3次産業の肥大化に伴って、営業や販売業績をあげるトークやプレゼンテーション能力が要求される仕事が増加している。

工場勤務が敬遠され、ホワイトカラーの業種を多くの若者は求めていく。学生ならば時給800円のバイトでもなんとかなるだろう。しかしそれだけで生活しようとなると、現在の日本社会では、文化的な生活は厳しい。

敎育というものは昔から個人の個性を尊重してきたと思われがちである。実はその真逆だ。素直で逆らわず、面倒がかからない生徒が理想とされてきた。へたに個性などというものを発揮するもならば、間違いなく学校では浮いた存在になる。

そもそも勉強が出来る出来ないの根拠ぐらい曖昧なものはない。いくらテストが良くても教師に逆らい続ければ結果はアウトだ。もちろん学校に出てくることが最低条件になる。

生活をして生きていくことは大変だ。生きていくだけならまだしも、人間は様々な社会との関わりのなかで生きていかなければならない。言葉・感情・そして思想や価値観など、すべてを時に抑制し時に主張して行かなければならない。

それらのことに対応できるように敎育というものがあるのかも知れないが、あまりにも利己的になったこの社会は、その敎育までもが利己的存在を助長してしてしまい、点数主義、偏差値主義の結果でのみ生徒の能力をはかることで、人間力の敎育というものを忘却してしまった。

きっと会社や企業に就職した若者たちは、理想と現実のギャップにショックを受けるはずだ。当然のことだろう。学校で学んだことが役に立つことはなく、人間関係の構築や、自分自身の会社でのスタンスは、自分で創造していかなければならないのだから。

教科書の何処かのページに解説が書いてあればいいのだろうけれど、残念ながらそう言ったチャートは自分の経験の中で見つけていくしかない。

すこし障害の話をしよう。実は生まれてくる子どもたちの3パーセンから4パーセントが何らかの知的・感情障害を持って生まれてくるという。100万人の子どもがいれば、3万人が何らかの知的障害を抱えていることになる。

そしてそのうち障害者手帳などの交付を受け、何らかの国の支援を受けているのは0・3パーセンという数字が出ている。恐ろしく少ない数字だ。ほとんどの子どもたちはボーダーの外に障害をおいやられ、必死の努力を強いられている。間違いなく会社の離職者の中に、3パーセントの若者たちの多くが含まれているのではないだろうか。

おそらくIQが70以下の子どもたちにとって、学校の授業は退屈極まりない空間だろうと思う。それでも頑張れ、努力をしろと叱咤激励される。この現実に僕はなぜか哀しみを覚える。人間の能力は平等なんかじゃなにのに、まるでそのことを意図的に無視することで、能力ある人間が、凡人を支配しやすい社会にしているような気がする。

僕は軽度の障害は個性だと思っている。しかしそれを拒絶する、もしくは避ける健常者は多い。僕が営んでる塾でもそうだ。僕は基本的に暴力行為やまわりに迷惑をかける異常行動がないかぎり、軽度の障害者児童は受け入れている。しかし、そういった子どもがいるというだけで、退塾していく子どもがいることも事実だ。

ましてや給料を払う企業や会社にとっては、建前と本音の矛盾が、能力の劣る若者を疎外し、離職に追いやられることは目に見えている。

もう一度言わせてもらいたい。人間の能力は不平等だ。出来る生徒と出来ない生徒の差がはっきりしているにも関わらず、同じ土俵に子ども立たせ、能力のある人間が利益を得るシステムを構築している。おかしくはないだろうか。

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コメント

誰しもが万能で誰しもがやる気に満ちあふれていることを前提にあるいは目標になっているのが学校かもしれないけれど、がんばってもできない人・がんばることができない人が学校にも学級にもいるのだということも学校は教えていかないと「がんばれない人」「できない人」イコール「甘えている人」「ダメな人」というレッテル貼りにつながるような気がします。子供時代の劣等感をバネにして成功している人もいますがあきらめだけの人生を歩んでいる人の方が多いと思います。幸福論は難しいのですが不幸な人が多すぎる気がします。

(かねごん)
Mr.Peki-chan様コメントを頂きありがとうございます。
学校という場所で自分の居場所を見いだせない子どもたちが多くいます。そのことを本当に理解してあげないと、救われない子どもたちが、自分を信頼出来ないですよね。

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