瀬織津姫から荒覇吐神へ
僕は神様大好き人間であるが、決して特筆すべき人間ではない。スプーンが曲がることもないし、宇宙人に拉致されたこともないし(笑い)、神様の御神託が聞こえることももちろんない。
ただ龍神がすきで、好きな神社に行くとやたらと77の数字に出くわすという偶然性こそあれ、いたって普通の初老のハゲ親父である。
30代の半ばから山に取り憑かれた。俗にいう霊峰と呼ばれる山に、日曜日ともなるとリュックサックを背負って登って行く山男だった。
駒形山・早池峰山・五葉山・そして地元の束稲山や須川岳・室根山などなど。
山の神である木花開耶姫命(コノハナノサクヤビメ)、そして縄文の神と言われている瀬織津姫を祀った山や神社に魅了され、僕の神様フィールドは、書物だけに限らず、どんどんエスカレートして行った感がある。
東日本大震災が起きて、僕は磐座である荒覇吐(アラハバキ)の神様に導かれ始めた。常日頃軽トラックで、岩手県南を走り回っている僕だが、偶然に迷い込んだ道の奥に荒覇吐神を見つけたり、たまたま歯医者さんの待合室で開いた雑誌に、荒覇吐の特集記事があったりと、僕の身辺には荒覇吐の磐座が、日常的に出現し始めた。
例えば僕の町の隣町には、震災後世界遺産に登録された平泉中尊寺がある。平泉は、東北に繁栄した古代都市だ。この町を丁度取り囲むように、ピラミッド型の山がある。衣川の月山、そして一関の烏兎ヶ森、束稲の駒形山だ。
これらの山の山頂付近には偶然にも古代から信仰されてきた磐座(荒覇吐)が祀られおり、この三つの磐座を地図上で結ぶと、底辺30度の完璧な二等辺三角形が現れる。俗に言うレイラインだ。
僕は縄文の神である磐座を、原始的な信仰の残像として見ているわけではない。現代の我々の文明はわずか2000年余りで、石器時代から宇宙時代にまで飛躍してきた。なのに、縄文時代が1万年も、教科書的な縄文時代であったとは到底考えられない。
4000年前、高度なテクノロジーを有していた古代文明としての縄文時代が、巨大な隕石の衝突で、壊滅したのではないかという仮説を僕はずっと抱いていた。と言うのも、4000年ほどの前の縄文時代の堆積層から、巨大な津波の痕跡が伺えるのだ。太平洋岸からの津波が、北上高地を横切って、北上盆地に津波が押し寄せたのではないかという仮説を唱える研究者もいる。
ピラミッド型の山頂の磐座に、電磁波の電波を放射すると、ある種の電波をキャッチするのだそうだ。その電波の周波数が、人間の脳波と同じ波形を持つらしい。これはあくまでも僕の空想なのだが、古代文明に於いて、磐座が何らかのテクノロジーの先端科学として利用されていたのではないかと思っている。
そしてカタストロフィで壊滅した文明が、原始時代に戻ってしまった時に、彼らの深層の中に記憶された磐座のテクノロジーが神格化され、巨石信仰を生んだのではないだろうか。
全く僕の妄想での範疇の話に、大切な時間を付きあわせてしまって申し訳ない。ただ、実際に多くの霊峰に登り、多くの磐座を眺めて来た僕が感じたエネルギーというのか波動と言うものが尋常でなかったことは確かだ。
携帯で写した磐座だけが、PCに転送できないことがしばしば生じた。話せば長くなるが、磐座探訪に関して言えば、軌跡のような偶然が何度も起きた。
今全国で、瀬織津姫に興味を持つ方が増えている。もちろん荒覇吐もしかりである。争い事がなく、悠久の平和を保った縄文の波動を必要とする人々の想いが、この時代に隆起しているのではないだろうか。
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