違和感から脱却するのに32年間を要した
人それぞれには人それぞれのドラマがある。当たり前と言えば当たり前のことなのだが、その各人のドラマが栄光と挫折の歴史だ。
お金があって有頂天になっていると、突然の悲劇が訪れたり、世の中のために頑張っていれば、思わぬ喜びが訪れたりする。
ダメ出しの人生であっても、至福の人生であっても、間違いなく終焉が訪れるのだけれど、せめて人生の最後には、なにがしかの痕跡を残したいと思うのが人間の想いだろう。
家族、財産、思想、有形無形の痕跡が各人の歴史とともに残されていく。ひとりひとりの生き様に貴賎などない。偶然、必然を装った多くの出会いの中で、ひとは人となっていく。
震災後実に多くの出逢いがあった。100年間生きて、出会えるかどうかという人達と、ここ3年間で出会えた気がする。大げさに言えば、100年分、いや人生3回分ぐらいの出逢いをこの3年間で経験させて頂いた。
そういった意味では、この塾屋家業が僕の人生を加速させたと言えるだろう。震災後、塾生の数は半分に減ったけれど、魂の出逢いは100倍に増えた。これを喜びと言わずして何を喜びと言うだろうか。
自分が実践してきた塾敎育に対して、不安がないと言えば嘘になる。こんなのは敎育という名目を隠れ蓑にしたはったりや、人寄せのためのパーフォーマンスじゃないだろうかと自問自答することもある。
震災後、僕のなかで生じた変化がある。実は先生と呼ばれることに違和感を覚えなくなった。それは自信の表れれであるとか、世俗のしがらみに同調したわけではなく、僕自身が、先生としての存在を自分自身に義務付けてきたからである。
正面から先生家業と真っ向勝負しなければならない自分を感じたというのが、正直な心境である。
初めて先生と呼ばれ以来、違和感から脱却するのに32年を要したことになる。長い道のりだった。
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