人生は不平等なのだ
誰もが欠点を持っている。自分で分かっていてもなかなか直せないものだ。
実は僕は短気が服を歩いているような人間だった。過去形で書いたのは、ようやく年をとってきて、少しは大人になってきたのかもしれない。ブチ切れることが少なくなった。
短気は損気だ。自分が正しいと信じていることでも、相手にとってそうじゃない時があるものだ。自分の不利益になることでも、周りの状況がそうならば、ある程度忍従するしかない。
譲れないものと少しは譲れるものの、自己判断が大人になると出来てくるものだが、それを時に諦観と呼ぶ。
僕は多くの敵を間違いなく作ってきた。教師であろうが、先輩であろうが、間違っているものは間違っているとずいぶん啖呵をきってきた。
言っておくが、僕は決して利口じゃないので、感情が先走ってしまい、暴走する。利己的で金持ちであることをひけらかす人間が僕は大嫌いだ。そう言った人間とは一切妥協もしないし、譲歩もしない。
世の中のために頑張ろうとおもったら、嫌味な金持ちになど決してならないし、なれない。僕はいろんな役員をたのまれて、寄附集めなどをすることがあるのだけれど、金持ちの家に限ってびた一文ださなかったりする。
僕はお金を稼ぐのが悪いと言っているのではない。金持ちになることが悪いと言っているのではない。稼いだお金をどう使おうがその人の勝手だわけだけれども、生活が大変な人の気持を忘れてはいけないし、貧乏人を馬鹿にしてはいけない。最低限人間としてのルールだろうと思う。
これは能力に関してもそうだ。勉強が苦手なものの気持ちを汲んであげなければならないし、勉強が出来ないものを見下してはいけない。
誰もが苦手なものはある。そのことを努力不足と言ってしまっては身も蓋もない。お金に苦労しない人生というのがあるように、勉强に苦労しない人生というのもあるだろう。逆にお金にも苦労し、勉強にもめちゃ苦しむひとだっている。
いつも言うように人生は不平等なのだ。不平等だからこそ、その個人の能力なり資質を補ってあげる関係性が必要なのだ。
受験シーズンを迎えると、ため息をつく子どもたちが増える。やらなければならない焦りと、やれない焦り。経験値のある大人が、しっかりとサポートしなければならない。
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教育先進国のかの国も大変なようですが、大学に進学したからといって教育ローン(本来、給付が奨学金と呼ぶべきもので、貸与は明らかに教育ローンですが、わが国では貸与でも奨学金と呼ぶ、世界的には詐欺にも等しい名称になっております(笑))を返済するのが厳しい現状では、大学進学を選ばないことももはや現実ではないでしょうか?
(かねごん)
コメントを頂きありがとうございます。
大学に入ることでしか得られない資格はありますが、知性と学問的戦略で生きていく方向はいっぱいあります。
僕が知っている小学校の校長先生は、通信教育で教諭の免許を取得し、校長になっています。
大学だけが選択肢じゃありませんね。
投稿: 大学に行かないことの選択 | 2014年6月22日 (日) 21時58分