らしさからの脱却
突然ですが、かつてスター誕生という歌番組があって、その番組がきっかけでデビューした3人の中学生がいました。中3トリオというキャッチフレーズで売り出されたのが、山口百恵・森昌子そして桜田淳子でした。
僕が好きだったのは、山口百恵ではなく、森昌子でもなく、桜田淳子でした。宗教に走ってしまった彼女でしたが、中学生時代の彼女は輝いていましたね。
山口百恵や森昌子は歌は上手いと思ったのですが、ちょっと大人び過ぎていて、当時の僕はちょっと敬遠気味でしたね。なぜ急に今日はこんな話題かというと、らしさという話をしたいと思ったからです。
デビュー当時の桜田淳子は、中3トリオの中では一番中学生らしくてほっとするところがありましたね。当時の大人たちは山口百恵派が圧倒的だった気がしますが、なんか歪んだ対象で見ていたんじゃないでしょうか(笑い)。
~らしさというのは、長所でもありますが、視点を変えてみるとある種の短所でもあります。らしさというのは、その職業や行動規範に於いては一種の安心感を相手に与えるものですが、らしさというのは時に馴れ合いというのか、型にはまった窮屈感も醸し出します。
学生らしさ、教師らしさ、人妻らしさ(笑い)などという表現がありますが、そのらしさを打ち破った先に、人間そのものの個性が大成していく世界があるような気がします。中には爆発し過ぎて着地点を失ってしまう人もいたりするわけで、匙加減というものはやはりありますね。
~らしさということで、自分の話をちょっとします。40代の頃までは、僕はほとんど職業を見破られることはありませんでした。少なくとも先生と呼ばれる仕事をしている人間などとは、僕と初対面の人は想像すらできなかったのではないでしょうか。
ところがです。50の声を聞いたあたりから、職業を言い当てられるようになってしまいました。高校の講師をやるようになって、先生らしさみたいなものを身につけてしまった自分がいたんでしょうね。
ひげ面の単なるハゲたオヤジですが、それでも『らしさ』が漂ってしまっていたんでしょうね。先生と呼ばれる頻度によって、良くも悪くも先生らしさを身につけてしまうんですかね。
最近はらしさを超越しなければならないと思い、農作業にいそしんでいる僕ですが、らしさからの脱却は難しんでしょうかね。
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