続・なんちゃってセラピスト
僕ら農民や庶民は、長期にわたり支配者から洗脳をうけてしまって、楽しむことが罪のような感覚を感情の中に持ってしまっている。
確かに働かなければ食べていけない世の中で、毎日ぶらぶら遊んでいるわけにはいかない。しかし忍耐や忍従の連続がいいわけでもない。
今生この顔で、この名前で、この時代に生まれてきた人生は一度きりの人生だ。せっかくこの時代に生まれて来たのに、心から人生を楽しむことなしで、素晴らしい人生だったとは言えないだろう。
多くの人達はお金のために頑張っていると言う。家族のために嫌なことも耐え忍んで歯を食いしばって頑張っているのだと言う。そこに人生の美学のようなものさえも見出している方もいる。
物質の豊かさを中心にすえた文明の発展の中で、持たない物と持つ者の差は確かに歴然としている。しかし、住んでいる家、所有しているものが富の象徴だとすれば、その象徴はあまりにも儚い。
幸福や不幸と言うものは実体がない。実体がないゆえに我々は、物質の豊かさや社会的な地位にその価値を見出そうとする。
本屋さんに行って見ればわかるが、幸せになるための様々な本が毎日店頭に並ぶ。その本を読めばまるで幸せという物体がやって来るかのようなタイトルに惹かれ、1000円となにがしかのお金を払って、多くの人が買っていく。
学歴もそうだ。自分は高校までしか行かなかったので、息子や娘には大学に行って欲しいと願う親御さんがいる。一方、自分は中卒で十分世の中を渡って来たので、学歴なんていらないという人もいる。
幸福になるための本当の本が存在しないように、幸福になるための学歴などと言うものも、実は存在しない。自分が幸せだと思えた時点が、幸せなのだ。
どんなに本を読んでも、どんなに勉強しても、強いて言えば、どんなにお金を手にしても、幸福感が継続することはない。誰かとの比較が生じた瞬間に、幸福感は減退する。
ずっと続く哀しみがないように、ずっと続く幸福感なんてものはない。今現在、不幸だと思っている人がいるならば、自分が幸福じゃない理由を思いつくまま紙に書いて観るといい。例えば、お金がない。仕事がない。家がない。彼氏彼女がいない。・・・みたいに。
◯◯が無いから幸せじゃないと思っていることに気づくはずだ。つまりあまりにも存在物に頼った生き方というものに価値を置きすぎての不幸せ感というのが蔓延している。
好きなことは継続できる。好きなことをやっていると必ず人は集ってくる。そして一緒に幸せもやって来るもんだと、僕は信じている。
最初からお金にこだわるんじゃなくて、まず好きなことをやってみたらどうだろうか。輝いている人に、幸福の女神は近づいて来ると思うよ。
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