自称プレアデス星人の塾教師
新年度の学校が始まり、ぴかぴかの1年生が闊歩している姿は初々しい。真新しい制服姿が春の風に清々しく輝いていた。
このわくわく日記も、明日の記事で3500稿目になる。2007年5月にスタートしたブログも、丸7年が過ぎようとしている。ブログという媒体を通じて、多くの方々に僕の個人的な志向なり思いを書いてきた。
塾教師を30年間やってきたわけだが、敎育を取り巻く環境は年ごとに厳しさを増し、子どもたちが夢を持つことが困難な時代になってしまった。
僕の塾教師としてのこれまでの人生は、果てしない荒野をさまよう一匹狼のような30年だった。無力さに何度となく襲われて、道標が見えなくなったことも多かったが、子どもたちが不安や焦燥感にさいなまれる姿に、何か役立つことはないかと模索し続けてきた年月だったように思われる。
30年も塾教師をやってきていまさら言うのも何だけれど、自分の人生のチョイスが果たして自分の意に則して来たものかどうかは自信がない。
この生まれた田舎町を出ることばかりを考えていた高校時代、僕にとって東京は言ってみれば青春の呪縛からの逃避であり、自分の生命をリセットする楽園のような新天地に思えていた。
その楽園で僕が感じたものは、表面的な華やぎのなかでうごめいている人間の苦悩する姿だった。都会に暮らそうが田舎に暮らそうが、実はその人が抱える魂の慟哭は、その環境に合わせて新たな哀しみと希望の切なさが構築されて行くのであって、決して逃れることが出来ない叫びを心のなかに響かせていることを、僕は感じたのである。
敎育は学校でやるもの。その当然な日常性が瓦解してしまった日本という社会の中で、突然姿を現して来たものは、個人的な志向を満足させる、自己本位の利己的敎育である。お金を出せば良い教育が受けられる。そしてその先には安定した生活があるという幻想に、公の敎育が軽視され、塾が乱立して行った。
塾をやるのには何も資格はいらない。学歴も必要ない。子どもに教える能力があって、入りたい学校に合格させられれば、それで飯の種になる仕事だ。学校の教員になるよりも100倍も簡単だ。
しかし、開塾する塾の9割が5年もしないで消えていくのがこの社会の現実だ。子どもたちは塾に、学校的指導など求めていない。もし塾教師が学校教員の真似をしたくて塾教師になってしまうと、そこに待ち構えているのは失望と諦観だ。
僕がラッキーだったのは。大学時代教師を目指さなかったことだ。もちろん教員採用試験などというものも受けたことがない。つまり教員になれなかったから塾教師になったという精神的スパイラルを抱えることがなく、塾教師になったことで、僕は教えることを根本的に楽しむことが出来た。
大学でならった心理学も、敎育理論もくそくらえと感じで、困っている生徒に寄り添うとか、相手の思いを考えるとか、そんなことは一切無視して楽しく教えることだけに専念した。いや引き出しの少なかった僕は、それしか出来なかったと言ってもいいだろう。
そしてそのことを30年間僕は続けてきた。人間の苦悩は楽しくないから生まれるのであって、楽しければ苦悩は軽減される。難しい心理学も、行動学も、苦しみを開放する学問とはなりえないのではないかと言うのが、僕は長年子どもたちに指導してきて得た結論だ。
楽しく教えるには、自分にストレスをためてはいけない。僕が曲を作って訳の分からない歌を歌うのも、50も半ばになろうというのに、中学生をあいてに必死に卓球をやるのも、木花開耶姫命や瀬織津姫の神様を愛し神社に行ったり山登りをするのも、人生を楽しむためだ。そしてそのエネルギーを子どもたちに分け与えたいからだ。
自称プレアデス人の塾教師(‥‥笑い)は今後も、子どもたちの笑いを取りながら楽しい指導をやって行きたい。
ということで3499稿目の大験セミナーわくわく日記を終えたいと思います。
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