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2014年4月 9日 (水)

本質的な疑問

学生は、本当は敎育を求めているのではなく、社会で生きて行く技術や展望が欲しいのだと僕は思っている。

中学生や高校生がよく言うことだけれど「こんなの勉強したって社会で使わなじゃないですか」というフレーズ、僕ら大人は無視していないだろうか。

基本的に小学校の国語力と算数力があれば、社会で生きていける。しかし高校や大学をでなければ就職が大変なので、耐え難きを耐え、忍び難きを偲んでいるのだ。

こつこつと努力すれば、必ず陽の目が見えるよなんて大人は言うけれど、その言葉を鵜呑みに出来ないことぐらいは、今どきの生徒たちは知っている。妥協と諦観が人生だとは言いたくないが、頑張った分の褒美を常に期待していると、痛い目に会った時の衝撃は大きい。

世の中で、頑張って頑張って、会社を失ったり、リストラされた人たちがいる。頑張れば報われるなんて、世の中の支配者階級が言うセリフで、市民階級は頑張っても報われないことのほうが多いのだ。

不登校や引きこもりが社会問題になっているが、今の社会を見れば当然の成り行きだろう。小さい頃から、頑張れば報われると敎育されて育つ子どもたち。しかし現実はそうじゃない。

幻想の夢世界を大人はひけらかし過ぎるのだ。人生は辛くて大変だから、忍耐と努力が必要だよ。普通に生きて行くことが大変なんだよ。そんなふうに子どもに言ってしまうと、子どもたちから希望や夢を奪ってしまうと、多くの親や大人は考えている。しかしそのほうが子どもたちは落胆しない。

これほどまでに世の中の悲劇や哀しみが報じられる時代の中で、架空のお伽話を信じるほど子どもたちは幼くはないのだ。経済や物質面で快楽を貪れる時代は終焉した。

学歴や財力が無くても、生きていける精神の豊かさがあれば、人生は有意義なものになる。価値観の転換を促す敎育がなければ、もはやこの多重構造の格差社会は確実に崩壊する。

若者のうち4人に1人が定職につけず、年金も健康保険税も払えない青年が激増している。家族年収が300万以下の家庭が20パーセント以上を占める一方、ボーナスだけで300万円を超える公務員や一流企業の社員がいる。

フリーターをやっている若者は頑張らなかったのだろうか。決してそんなことはない。手取り12万円の収入で、7万円のアパートに入っていれば、彼ら彼女らにできることは限られてくる。

結婚も出来ない。食費さえもまともに捻出出来ない若者がいっぱいだ。豊かな暮らしをしている人には、豊かじゃない人の気持がわからない。優秀な人間には、優秀じゃない人間の気持ちがわからない。この想像力の欠如が、日本社会のアキレス腱だ。

日本には差別がないと言うけれど、とんでもない間違いだ。差別だらけだ。年収の有無に関わらず国民年金は徴収されるし、利益を生まなくても土地を持っていれば固定資産税が課税される。義務教育である中学を終えても仕事がない。

大学に行くお金がないならば、頑張って国立大に入れと言うけれども、それを主張する多くの方々が、敎育現場を知らない。理想だけを訳知り顔で言う大人に、子どもたちはうんざりしている。

頑張りたくても頑張れない人間の人権を本当に真剣に考えてあげないと、この国の経済は破綻する。普通に働き口があって、結婚が出来て、子ども達が大きくなる頃には家が建てられて、そして老後は生活費を心配しなくていい普通の生活、そのあたり前が、今崩壊している。

なのに誰もそれを疑問に思わない。努力が足りないからだと思っているのだとしたら、もうそんな洗脳から足を洗わなければならない。

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