人間は不思議な存在を否定する不思議な存在だ
何かを理解しようとするならば、見たままを咀嚼することが必要だと僕は考えている。
例えばこの古代エジプトの絵を見て欲しい。
人間じゃないものが描かれている。これを何かの神様の姿や比喩と見る前に、単純にこのような存在が居たと理解することが物事を単純にする。
当時このような知的な存在が居て、ピラミッドや治水施設の建造を指示したと考えられないのは、人間の常識という壁があまりにも頑固だからだ。
日本の縄文時代の土偶を見て欲しい。
これをもし縄文時代の人々が想像だけで作ったとしたら、僕はその方が不思議でたまならない。このような存在がいて、模したとするほうが様々な物事の糸が解れていく。
メソポタミヤ文明のシュメール人が残したこの絵画の鳥人も、単なる想像の産物だろうか。
地球には人間の能力を超えた存在物が居たとは知識人は考えない。でも宗教は広がり、神様なる存在物の崇拝がずっとなされてきた。
人間は不思議な存在を否定する不思議な存在だ。
生きることに必死だった古代人が、娯楽や酔狂でこんな絵を描いただろうか。
中学1年の時、僕は教科書や資料集の上のような写真を見て、たくましい創造力を働かせ、宇宙を彷徨っていた(・・・笑い)。
だからテストは点数がさっぱりだったんだな~。残念・・・・・。
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