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2014年4月

2014年4月30日 (水)

この時期の小学5年生の算数が難しい

この時期の小学5年生の算数が難しい。

何が難しいかと言えば、数量の単位である。

1㎥が1000000立方cmだとか、1リットルが1000立方cmであるとか、1ミリリットルが何立方cmであるとか、そんな問題を前にして子どもたちは悪戦苦闘だ。

この問題は高校受験を控えた中学3年生もたじろぐ箇所で、きっとお子さんに尋ねられるお母さん方も、かなり苦労しているのではないだろうか。

教科書通りの教え方もあるだろうけれど、それぞれの個性的な教え方があってもいいだろうと思う。子どもたちが納得するかどうかが問題であって、単なる暗記はすぐに消去されてしまう。

今年も附属中学の受験勉強がいよいよ本格始動だ。

それにしても中3が来ない・・・・・。

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放射能のことを書けば風評被害だとのオンパレード

塾を営んでいる方なら経験済みなことだろうと思うけれど、受験が終わり新年度を迎えた塾は暇である。塾生が卒業して行って、新入会者がどっと入ってきたのは遠い昔のこと。今は中総体が終わるまで閑古鳥が鳴いている。

さて僕の塾も例外ではなく、暇である。今年度は多忙なのは月曜日と土曜日ぐらいで、あとの曜日はいつでもスタンバイOK状態だ(・・苦笑い)。

この時期に入会してもらえば、受験指導がじっくりできるのにな~と思うのだけれど、世の中は部活・部活・部活。今年は中学1年生だけがダントツに増えて、中3生は6名しかいない。ドンマイだ。

昔、受験生が40名もいて、卒塾して行ったら内部性がたった17名という年があった。5000円✕17名。85000円の売上では、生活が成り立たない。もちろん経費を差し引けば赤字である。生徒がいない5月6月は、山に行って山菜採りに精を出し、なんとか食料を確保した年があった。山菜さまさまであった。

ところがである、3.11の大震災で福島第一原子力発電所がメルトダウンし、放射能が僕が住む一関の山々に降り注いだ。いまでも山菜は高濃度の放射能に汚染されて食べれたものじゃない。今後数十年、里山の山菜ときのこ類は食べられないだろう。

お年寄り達が、山菜取りに山里に入っているけど、心筋梗塞や脳梗塞が2倍以上に増えている昨今、不用意な山菜等の摂取が原因じゃないとは言い切れないんじゃないだろうか。

喉元すぎればなんとかで、あんなに騒いでいた放射能問題が、メディアから消えた。決して放射能は消えていないのに。

放射能のことを書けば風評被害だとのオンパレード。毎日数万ベクレルの汚染水が増え続けている現状に、まるでどこかの国の事のように無反応になってしまった国民。これからが正念場なのに・・・・。

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2014年4月29日 (火)

今日を振り返る

今日4月29日の一日を振り返る。

朝7時50分起床。

パンを1個食べた後、ハウスの苗箱に水を撒く。

9時から離れの風呂場の窓枠の修理。先日壊れたこたつの材料を使ったのだが、硬くて釘が使えず、ホームセンタに行って両面テープを買ってきて修理。

10時半から田んぼに出て、肥料の散布。汗だくになる。

12時15分昼食。本日は日本そばを、家内と母と3人で食べた。

1時30分軽トラックで塾に向かう。

午後2時から15分間昼寝。

2時半から7時半迄教科指導。

夜7時半から、ゴールデンウイークで東京から帰ってきた教え子と、居酒屋へ。僕は烏龍茶で盛り上がる。

夜10時帰宅。

今日も充実した一日であった。

おやすみなさい。

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人間は不思議な存在を否定する不思議な存在だ

何かを理解しようとするならば、見たままを咀嚼することが必要だと僕は考えている。

例えばこの古代エジプトの絵を見て欲しい。

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人間じゃないものが描かれている。これを何かの神様の姿や比喩と見る前に、単純にこのような存在が居たと理解することが物事を単純にする。

当時このような知的な存在が居て、ピラミッドや治水施設の建造を指示したと考えられないのは、人間の常識という壁があまりにも頑固だからだ。

日本の縄文時代の土偶を見て欲しい。

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これをもし縄文時代の人々が想像だけで作ったとしたら、僕はその方が不思議でたまならない。このような存在がいて、模したとするほうが様々な物事の糸が解れていく。

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メソポタミヤ文明のシュメール人が残したこの絵画の鳥人も、単なる想像の産物だろうか。

地球には人間の能力を超えた存在物が居たとは知識人は考えない。でも宗教は広がり、神様なる存在物の崇拝がずっとなされてきた。

人間は不思議な存在を否定する不思議な存在だ。

生きることに必死だった古代人が、娯楽や酔狂でこんな絵を描いただろうか。

中学1年の時、僕は教科書や資料集の上のような写真を見て、たくましい創造力を働かせ、宇宙を彷徨っていた(・・・笑い)。

だからテストは点数がさっぱりだったんだな~。残念・・・・・。

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2014年4月28日 (月)

職業に関係なく子育ては一回きり

学校の先生が、クラス担任であるにもかかわらず入学式を欠席して、自分の子どもの入学式に出たことが巷で問題になっている。

自分の仕事より、息子や娘の晴れの入学式を見たいという気持ちなのだろう。理解できない心情ではない。かく言う僕も、講師で勤めていた高校の卒業式を、息子の卒業式に出るために欠席した。

ただし入学式の時は、自分の職場の入学式を優先して、息子の入学式には出なかった。ぶっちゃけ非常勤講師なのでそれほど拘束された義務ではないのだけれど、それでも息子の行事と学校の行事が重なった時は、仕事を優先してきた。

部活動もそうだ。長男は中学校、高校とバトミントン部に所属していたのだが、僕はその頃から卓球の指導に携わってきたので、他所様のお子さんの卓球の指導に忙しくて、中総体などの息子の試合を見に行ったことがない。

家庭のことを優先するということは、決して批判されるべきことではないだろうと思う。特に学校の先生方は職場結婚が多く、夫婦ともども教員という家庭が多い。ゆえに自分の子どもの卒業式や入学式に出席することは困難なようだ。

学校長が許可し、入学式後の段取りが副担の先生にゆだねられていたのならば、自分の子どものために入学式を欠席することに、それほどの違和感がないのだけれど、やはり公務の仕事より家庭を優先することに、世間は疑問視するのだろうと思う。

でもね、職業に関係なく子育ては一回きり。自分のこどもの入学式に出ていんじゃないかな。

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2014年4月27日 (日)

愛・あい・アイ・・・・

年収1000万円の人は、年収100万円の人の暮らしが想像できるだろうか。生活に困らない人は、生活保護家庭の人たちの暮らしが想像できるだろうか。

学校での勉強もそうだ。学年の上位にいる生徒は、いつも赤点ばかり取っている生徒の能力を想像できるだろうか。

このことは教師にも言える。理解力が乏しい子どもたちの気持ちを、先生方は想像出来るだろうか。

毎日朝から晩まで働いて、それでも生活費が賄えない人たちがいる。一生懸命勉強をしているのに、テストが芳しくない生徒がいる。

「頑張りたくても頑張れないんだよ」そんな言葉は単なる言い訳だろうか。どんな家庭に育とうと、どんな環境だろうと、人間頑張ればなんとかなるというのは詭弁だ。

社会格差が広がる中で、弱者は弱者であることさえも認められず、平等という名の偽善的オブラートの中で、希望を持つ気力さえなくしてしまって沈黙してしまっている。

結婚をしたくても経済力がなく、結婚をあきらめてしまっている多くの若者達。学歴社会という幻想の檻の中で、就活の機会が阻害され、諦観の中で殺伐とした日々を送っている若者たち。

大きくなったら野球選手になる。

病気の人を助ける看護師になる。

可愛らしいケーキ屋さんを作りたい。

子どもの頃、子どもたちは元気いっぱいに夢を語ってくれる。しかしその夢は、多くの場合実ることなく、片隅に追いやられてしまう。なぜだろう。

子どもの夢を後押ししたくても、親御さんの経済力がないからだろうか。努力が足りないからだろうか。運がないからだろうか。

現実という社会の海を渡りきる体力がないからだ。その体力は愛情によって培われる。庇護することが愛情ではない。守ることだけが愛ではない。今生きている人々の愛は、存在そのものを慈しみ、喜びや哀しみを共有する精神が不足している気がする。

誰かがしなければならない仕事。誰かが背負わなければならない責任。そして誰かが助けてやらなければならない誰か。その中に多くの人達の夢が希望が織り込まれている。

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春なのに

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シュタイナー子ども教室『風と虹』の教室となっている自宅教室の庭にも、春がやってきて水仙やらチューリップの花が満開だ。

昨日は塾の窓を全開にしても温度が30度。思わず扇風機を出した。冬から一気に夏がやってきたような天気である。

世間はゴールデンウイークに突入。12連休なんて言う夢の様な休日を過ごす方もいるようだが、僕には休みは全くない。5月1日から3日まで塾は休みにするけれど、短大での授業はあるし、卓球の指導もある。日曜日は田植え前の農作業が待っている。

忙しいうちが花だと言うけれど、あまり実益が伴わない忙しさばかりで、僕は一体何をやっているのだろうと、石川啄木じゃないけれど、じっと手を見るの心境だ。なんど手を見ても金銭ラインは現れていない。全くもってドンマイだ。

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2014年4月26日 (土)

ふたたびゴールデンウイークの休塾について

再びゴールデンウイークの休塾についてのお知らせです。

5月1日(木)~5月3日(土)は通常の塾はお休みとなります。振替はという質問が来ましたが、5週ある曜日ですので、振替はありません。

5月5日(月)・6日(火)は通常通りの塾があります。

尚、インフルエンザや修学旅行で塾に来れなかった塾生のために、4月29日(火)は開講します。午後2時30分から7時30分までの指導となります。

入塾に関してですが、月曜日は一杯になりました。入れません。ご了承下さい。

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中古品波動鑑定士

先週パソコンの台が崩壊してリサイクルショップで代わりの台を買ってきた。今度は昨日パソコンのプリンターが壊れた。さらに電気コタツの足が壊れこたつが崩壊した。

不思議なもので、いったん物が壊れ始めると連鎖が起こって、次々と物が壊れていく。同時にお金も飛んで行く。やれやれ・・・・。

ところでリサイクルショップや古本での買い物はしないと言う人がいる。さんざん見も知らない人が使ったものは使いたくないとうのが理由のようだ。

僕はその点宇宙人なので気にしない(・・笑い)。買う前に手にとって見たり、ちょっと触ってみれば、嫌な感じのするものは分かるものだ。骨董品や時代物の道具は、使った人の波動というのか愛着というものが伝わって来る。

大切に使われてきた家具や椅子などは、新品のものより気が落ち着いて僕は好きだ。逆にそばを通っただけでゾッとするものもある。

新品だからといって油断は出来ない。未使用で手放されたものには、倒産した会社の倉庫整理品などが多い。経営者の無念さが刷り込まれているものだってある。気をつけよう。

不景気なこの世の中、中古品波動鑑定士なんて商売も成り立ったりして・・・。

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2014年4月25日 (金)

駒形根神社

4月から講師に行っている修紅短期大学の近くに、駒形根神社があるのだが、本日授業の前に参拝に行ってきた。

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結構きつい階段だった。しかしである。これは僕の勝手な思い込みなのだが、境内への階段が美しい神社にはちゃんと神様が祀られていると僕は思っている。

どうだろう。清々しい階段ではないだろうか。

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縁を持つことが出来たことに、感謝の祈願をしてきた。

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2014年4月24日 (木)

英語指導の是非が巷で大騒ぎ

最近は英語指導の是非が巷で大騒ぎ。やれ英語オンリーの指導でなければ英会話力は育たないとか、英文法はやっても無駄だとか、英語辞書は役に立たないから買うなとか、よくぞ次から次へと言いたいことを並べ立てて来る。

外国人から英語を学ぶなとか、構文をやれば英語は飛躍的に理解するとか、英語は聞き流すだけでいいとか、本屋さんの外国語コーナーの新刊本の帯を眺めるだけでも頭がクラクラして来る。

僕も一応は、塾で30年間大学受験や高校受験の英語指導に携わってきた。そして今年からは短大でも英語を教えている。僕らの世代は、英文法を学んで英語力を培ってきた世代だ。英文法は役に立たないと言われて久しいが、僕は英文法は必要だと思っている。

例えば Tom asked  Nancy  to  come back  at once. という英文があるとしよう。意味は中学生でも十分わかるだろう。トムはナンシーにすぐに戻って来てくれと頼んだ。ぐらいの意味になる。

TO不定詞以下のto  come back  at onceの意味上の主語はNancyだ。このNancyという固有名詞を表面上の主語ではなく、TO不定詞の意味上の主語だと考えるのは、いわゆる学校英文法の考え方である。

つまり表面上の全体の主語Tomに対してNancyを内側の主語と捉える考え方を、現代言語学ではゼロ代名詞(ゼロアナフォラ)と言う。内側の文の主語であるNancyの形態素(言語学の用語で意味を持つ最小の単位)が表層を持たないで統語論上で存在すると考える。

Nancyは意味上の主語ではなく、統語論上の主語なのである。しかし主語ではあるが、表層を持たないもしくは形態素的実現がされていない主語であると分析される。これは現代言語学の統語論に於けるコントロールという概念で、askedの目的語であるNancyとTO不定詞の意味上の主語であるNancyは単に固有名詞が同じというだけではなく、まったく同じ存在物であるという制約が生まれるという分析になる。

主語がないということと、主語が存在するけれど、主語の性質の形態素がないという認識は、異なる認識なのである。

きっと僕の説明は僕の能力不足で、多くの方々に理解してもらえないかもしれないけれど、こういった構文上および文法的統語論が構築されないと、機械翻訳や人口知能システムの翻訳技術は作れないはずなのである。

言語論と会話力は一致しない学問かも知れない。一流大学の英語学の教授がまとまな英会話が出来ないという批判がある。しかし英語学は大切な学問だ。人間の行動学や脳科学における言語学の基礎になる学問だと僕は思っている。

英文法をやっても英語は話せない使えないという一般論は、僕は賛同できない。このブログで何度も述べてきたが、僕の中学校から高校1年までの英語力はひどかった。ほぼThis  is  a  penの世界のまんま高校生になってしまった感がある。

そんな僕を救ってくれたのが英文法であり英語構文の参考書だった。現代英語の最先端を行っている人たちから見れば、化石のような英語の勉強の仕方だろうと思う。

辞書を使って英文を読むなんて、時間の無駄だという英語指導者さえいる。◯◯メソットなどと銘打って、ボカスカ本を売上げて印税をしっかりゲットしている自称英語通も多い。

しかしあえて言わせてもらう。やはり英文法は英語力の基礎であり基本だ。外国に行く金がなくても、高額な英会話スクールに通うことが出来なくても英語は伸ばせる。英文法と英文の多読だ。インターネットで安い英語の本はいくらでも買える。

高校や中学校の英語が、英会話学校の様相を呈してきている。僕はそれはそれでいいことだろうと思う。しかし英文法を教えない英語指導は日本に於いてはまだまだ時期尚早ではないろうか。

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僕もプレアデス星団に帰ろうかな・・・。

来日したオバマ大統領と安倍首相が寿司を食べたらしいが、ネタはどこのものだろう。そしていくら位の値段なのだろう。

こんなうまい寿司は食べたことがないなんて言っていたけれど、僕が食べていた回転寿司の寿司とは、全然違うんだろうか。

そんなことを新聞を読みながら考えていたら、読者の方がメールをくれた。一関の狐禅寺に岩手県内の放射能汚染物質の最終処分場を作る話が出ているらしいとのこと。

どひゃ~!

僕の家から直線距離で6キロあまり。そろそろ僕もプレアデス星団に帰ろうかな・・・。

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2014年4月23日 (水)

琴座流星群

昨夜僕の住んでいる里山は、満点の星空だった。離れの風呂場から母屋に戻る途中、夜空を眺めたら星が流れた。

琴座流星群であることを後で知ったのだが、流れ星がとってもきれいだった。僕も家内もばっちり見ることが出来たので何か良いことがあるかも知れない。

あまりにも一瞬の輝きだったので、願いをかけることはままならなかったけれど、代わりにジャズのこの曲で願いをかけてみよう。

桜が満開の夜空に流れる流れ星。いいね~

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2014年4月22日 (火)

北上展勝地

震災以降桜の花見は一向に気が向かず、パスしてきた。しかし、本日4年ぶりで家内と花見に行ってきた。北上の展勝地は満開だった。

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桜をバックに女房を撮ってみた。ちょっと遠すぎたようだ。遠目で見ると、我が女房も桜に劣らず美しい(・・笑い)。

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15年ぶりの桜の展勝地。遊覧船に乗って、北上川から桜を満喫した。朝早く家を出たおかげで、渋滞に合わず、駐車場をゲット出来た。

それにしても気持ちのいい風だった・・・。

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正直がっかりである

某県立高校より、学校長名義で定期演奏会のパンフレットの広告依頼の手紙が塾に来た。

生徒が広告のお願いに伺うので、よろしくお願いしたいとの手紙だった。20年以上僕の塾は広告の協賛をして来た。

ところがである。封書の宛名も、中身の手紙の宛名も、字が違っていたのである。僕の塾の名前が間違っていたのでる。

僕はプライド云々で言っているのでなくて、お金が絡む事案のお便りで、協賛事業所の名前を間違われたら、誰もいい気分はしないだろうと思う。初めてだとかならまだケアレスミスということもあるだろうが、20年以上協賛してきて塾名が間違っているというのは、正直がっかりである。

思わず今年は協賛をやめようかなと思った。

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2014年4月21日 (月)

イギリスの学校で赤ペンを使用した採点が禁止に

 採点といえば赤ペンというイメージが強い。しかし、教師が赤ペンを使うことを禁止した学校があるという。

 イングランド南西部、コーンウォールにあるザ・マウンツ・ベイ・アカデミーは、赤は警告や攻撃、怒りなどを表す「否定的な色」だとして、教師が生徒の宿題を赤ペンで採点することを禁止。代わりに緑のペンを使うように教師たちに指示した上、生徒たちはそれに紫で返信するように促している。

 同校の校長は「対話形式になっているほうが生徒たちの学力向上に効果的です。この新しい色分けは、対話を支えるために考案されました。赤で書かれた文字は、相手に否定的なニュアンスを感じさせるので」「多くの小学校がすでに似たようなシステムを導入して驚くべき効果を上げています」とコメントしている。

 赤ペン禁止に関しては、コロラド大学の社会学者によって「赤い色のペンで採点すると生徒たちを威圧し、学習意欲を削いでしまう可能性がある」と発表もされている。日本でもこの学説が取り入れられたら、赤ペン先生が緑ペン先生になってしまうのだろうか。(クランクインより転載)

確かに赤ペンというのは注意や警告を発する色だろうと思う。ただ採点や添削を緑や青でやるとなると、採点する側の気持ちというのか、緊張感みたいなものが薄れる感じがしないでもない。

でも赤ペンを緑のペンに替えることで効果が出ているというのなら、考慮する必要はあるのではないかと思う。

僕のように赤と黒の区別に難がある色弱の人間にとっては、緑のほうが助かるけれども、日本社会で長く浸透してきた赤ペンの風習が、果たして敎育現場で変わるだろうか。

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2014年4月20日 (日)

懲戒免職、されど退職金は・・・

先週気になった記事があった。岩手県内の教諭が酒気帯び運転で懲戒免職になったのだが、退職金が出ないのはおかしいということで裁判になっているという新聞記事だった。

県教育は退職金の3割を支払うことにしたようだが、元教諭はそれを不服として1600万円ほどの退職金を要求しているのだという。

学校の先生は残業手当はないし、部活で休日返上の指導をしても手当が出るわけじゃないので、大変だという声を聞く。

ボーナスが出るからいいだろうと、多くの不況にあえぐサラリーマンは思うわけだけれど、それぞれの立場や言い分というものはある。

それにしても、酒を飲んで車を運転して懲戒免職になっても、退職金はしっかり要求するしたたかさは正直驚いた。普通の先生は泣く泣く職を辞し、沈黙するのが普通だが、大胆というのかある意味肝が座っているというのか、やるなという感じである。

長い教員生活に於ける自分の貢献度に、よほどの自信がある方なのだろうと思う。

しかし今回の彼の要求を裁判所や県側が認めてしまうと、けじめがつかないだろうという意見もあるわけで、どのような決着をみるのか、興味津々である。

自営業の僕は、公務員の方や一流企業の方々は、退職金が出ていいなと思うわけだけれど、でもその退職金を当て込んで、立派なお家を建てる方も多くいるわけで、なければないで、あればあったで人生悲喜こもごもの絵模様があるようで、お金が絡む諸事情は大変だ。

かく言う僕も大変だ・・・・。さて頑張るか。

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2014年4月19日 (土)

どうも寓話はすっきりしない

アリとキリギリスという寓話がある。働き者のアリさんを賞賛する物語だけれど、夏から秋にかけて歌を奏でて死んでいくキリギリスの生き方が好きだという方も多いのではないだろうか。

何が何でも将来のために働き続けるアリさんは確かに偉いけれど、そもそもワンシーズンで死んでいくキリギリスと、越冬して生きて行くアリを一緒にして比較することじたい無理があるわけで、どうもこの寓話はすっきりしない後味が残る。

思えば我々人間もそうだ。生まれる前から胎教をやり、小学校に入れば中学入試のために頑張り、中学校に入れば良い高校に入るために頑張り、高校に入れば良い大学に入るために頑張り、大学に入れば入ったで、良い企業に入るために頑張るわけで、常に将来のために頑張り続ける人生だ。

今を楽しむという欲望を制御され、不安を煽られ働き続ける我々は、支配階級から真面目な労働者であることを洗脳された存在じゃないかと、思わず勘ぐってしまうかねごんである。

寓話で思い出したが、3匹のこぶたの話もそうだ。藁や木材で作った家はエコでいいはずなのに、レンガで作った家を賞賛するこの物語は、何故か割り切れない冷たさを感じる。僕はレンガの家より木の家や藁の家が好きだ。

西洋建築の優秀さを東洋人に見せつけて、洗脳しようとする物語ではないだろうが、レンガの家を作った豚さんが藁の家を作った豚さんより優秀だと、読み手が感じたら、それはちょっといただけないな。

今夜は寓話に対するちょっとひねくれた僕の感情でした。

追伸

早起きは3文の得ということわざを英語で言うと、The early bird catches the worm.という

鳥は早く起きたから得をしたかもしれないが、虫は早く起きたがために鳥に食べられてしまうってことで、西洋の寓話やことわざってなんか弱者に優しくないね。

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スターダスト

一関は桜が満開だ。スコット・ハミルトンのスターダストがなぜか聴きたくなった。

まったりした桜の風景とはうらはらに、厳しい人生を送っている人達も多い。今日も星屑が流れていく。

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2014年4月18日 (金)

ブラスジョイントコンサートのお知らせ

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一関市内の中学・高校の吹奏楽部によるジョイントコンサートが4月27日(日曜日)に、一関文化センター大ホールで行われる。午後2時開演である。

前売り券は300円当日券は400円。お時間のある方は是非、中高生の奏でる春の爽やかなサウンドを堪能しに足をお運びください。

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2014年4月17日 (木)

桜が満開

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塾からの帰り、一関修紅高校近くの児童公園の桜の美しさに思わず車を停めて写真を撮った。満開である。

桜が満開ということは、花粉症もマックスということで、大変なわけだけれど、とにもかくにも春爛漫のこの季節、暖かい日々がやってきたことはとても嬉しい。

今度の日曜日はお花見が出来そうである。天気はどうだろうか・・・。

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夢が現実になってしまった

昨夜は嫌な夢を見た。大きな川に橋がかかっているのだが、その橋の下を新幹線の形をした客船が通りすぎようとしている。船が破損し多くの方が、川に投げ出されてしまった。川で多くの方々が溺れかけているのだ。実はすぐ近くに楽に手が届く橋の欄干があるのに、誰もそこによじ登ろうとせず、ずっと水に浸っている。

かなりリアルな夢で、目が覚めてもしっかり光景が脳裏に残った僕は、今朝はちょっと気分がすぐれなかった。15日ということもあって、いつもより念入りに神棚や、お明神様に感謝の祝詞を奏上した。

何も大きな事故がなければと心配である。

というような書き出しの記事を3月15日に書いて公開しようとしたが、この記事を公開することで、なにか大きな事故が起きても縁起が悪いので、公開をやめていた。

その日いつものごとくコーヒー豆を買いに佐惣珈琲豆店におじゃました。ご主人や奥様と皆既月食やらスピリチャルな話に盛り上がっていたのだが、上の夢の話もした。

昨日韓国で大型の客船が沈没し、300人近い方々が行方不明になっている。大惨事だ。テレビで客船の底が見えていたが、その映像が僕が夢でみた光景と同じで、まるで新幹線のような流線型の形だった。

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どうか無事に皆さんが救助されることを願ってやまない。

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2014年4月16日 (水)

大物見山の竜神堂

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僕はどこにいるのかというと、一関市花泉町の老松にある大物見山の山頂にいるんですね。ここは竜神堂という祠が祀られていて、龍神が祀られているパワースポットであります。僕の左側に平たい石が見えますが、座禅石と言われているもので、室町時代に月見和尚という方が、この座禅石に7日間座して、龍神に祈願し雨を降らしたという伝承があります。

月見和尚はこの霊地を永遠のすみかと定め9年間常駐します。その後あの東北曹洞宗の大本である正法寺の二祖となりました。

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伝承によりますと、月見和尚が大物見山で座禅をしていると、風が吹いてきて和尚の袈裟が現在の水沢の正法寺のある山に飛んで行き、そこを霊地として正法寺を開山したという話が伝わっています。

正法寺には幾多の龍神様が祀られていますが、きっと月見和尚の伝承と関係があるのではないでしょうか。

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ふたたび77について

5月の初めに叔父が大きな手術をすることになった。家内と自宅近くの御嶽山神社に参拝をしてきた。ここの神主さんには、長男が小学生の頃、ボーイスカウトで大変お世話になった。水沢の駒形神社同様、我が家にいつもパワーをくれる神社である。

御嶽山神社の神祭は国常立命(クニトコタチノミコト)。『日本書紀』では最初、『古事記』でも神代七代の最初に現れた神とされることから、始源神、根源神として神道理論家の間で重視されてきた。伊勢神道では天之御中主神、豊受大神とともに根源神とし、その影響を受けている吉田神道では、国之常立神を天之御中主神と同一神とし、大元尊神(宇宙の根源の神)に位置附けた。その流れを汲む教派神道諸派でも国之常立神を重要な神としている。(ウィキペディア参照)

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朝一番で正式参拝に境内に向かうと、すでに神殿にてご祈祷をしてもらっている方がいらっしゃった。新しく買った車の安全祈願をやって頂いていた。神殿前にご祈祷のために停められていた車のプレートナンバーが、いつものことながら77の番号だった。

水沢の駒形神社に行くたびに邂逅する77のプレート番号の奇跡が、最近は他の神社でも頻繁に現れるようになった。特に山神系の神社で77の奇跡に遭遇することが多い。昨年小牛田の山ノ神神社に行った時は、赤信号で停まった時の対面車のプレート番号が、5箇所で77の番号だった。これが単なる偶然だとしたら、何を必然と呼んだらいいのだろう。

僕は軽トラックに、卓球の道具や着替えを入れるためのトランクを設置しているのだけれど、このトランクのロックオン番号が0007だった。買った時はもちろん気づくこともなかったのだが、不思議な符合である。

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僕のこのブログを読んで頂いている方々から、77の霊数や神霊番号のいろいろな解釈のメールを頂くことが多い。何かのメッセージであることは間違いないだろうけれど、いったこの77の出処は何なんだろうと、ずっと考えているかねごんである。

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2014年4月15日 (火)

ゴールデンウイーク期間の休塾について

大験セミナーのゴールデンウイーク中の指導予定は下記のようになります。

4月はカレンダー通りで休みはありません。特に4月29日火曜日(昭和の日)は修学旅行等で来れなかった生徒の振替に利用して下さい。

5月1日(木曜)~5月3日(土曜)はお休みとなります。振替はありません。

5月5日(月曜)5月6日(火曜)は通常通りの指導日となります。

よろしくお願い致します。

入塾に関してですが、土曜日がいっぱいになってきました。月曜日と木曜日も早い時間帯はちょっと混んでおります。

一方火曜日と金曜日は閑古鳥が鳴いております。よろしくお願い致します。

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2014年4月14日 (月)

海洋を泳ぐマグロみたいなもので

一関市内の中学校、高校でインフルエンザが増え始めている。朝の寒さと昼の暖かさが同居し、インフルエンザのウイルスには好都合な条件が整ってしまっているようだ。

うがい手洗いの敢行と、マスクの着用をしっかりして欲しい。

さて我が家は昨日水稲の種まきが終った。家族総出の作業で2時間ほどで終了した。これから田植えに向けて農作業も多忙な日々がやってくる。何が一番大変かというと水の管理だ。そしてその後は休耕田の草刈りのシーズンがやってくる。

年々年を重ねるたびに、身体がきつくなってきたのだけれど、まだまだギブアップするわけにはいかない。農作業に毎日の塾での教科指導、そして短大での受業。休みの日は中学生の卓球の指導。おっと忘れていた、このブログも拙いながらもなんとか続けてきた。音楽活動も不定期だけれど15年近くやってきた。

好きでやっていることなのでなんとか続けてこれた。まあ端的に言えば、海洋を泳ぎ続けるマグロみたいなもので,僕も立ち止まったらきっとアウトだろうと思う。

忙しそうにしている僕だが、これでも毎日昼寝の時間は確保しているし、本を読む時間もある。ジャズ喫茶でジャズを聴く時間も1週間に一度くらいはある。その代わりと言ってはなんだが、外で酒を飲むことは殆どないし、テレビや映画をみることも殆どない。旅行も25年間で5回ほど行っただろうか。

仕事の中身を自分で計画し実行できることが、ストレスに苛まれないコツなのだが、経済力が伴わないのが頭痛の種である。ドンマイだ。

書いていて思い出しけれど、僕がお世話になっているジャズ喫茶のモリソンがとある決断をした。なんと今月4月から禁煙になったのである。禁煙になった喫茶店はなんと呼べばいいのだろうか。タバコを吸わない僕としては大歓迎なのだけれど、マスターの決断にはおそれいった。

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3500稿目のつぶやき

人は漠然と存在することは出来ない。やはり存在理由というものはあるはずだ。この地球という星で展開していく日常の生活が、何のためにあり、何のために過ぎて行くのかを考えずして、人生の本質は語れない。

朝目が覚めて、そして1日を終えるまで、僕らはどれくらい自分を意識するだろうか。自分がいることで織りなされていく日常をどれだけ認識できるだろうか。大げさに言えば、毎日世界を創造している存在であることを自覚できるているだろうか。

言葉や想いが自分のまわりを構築していくダイナミックなパワーをないがしろにしては、架空の世界に生きてしまい、現実を生きていくことが虚無になってしまう。

宗教やスピリチャルな世界を堪能することもいいかも知れない。しかし自分をゆだねてはいけない。自分を信じる力を補ってくれる精神世界の産物ならまだしも、自分の精神や信頼する力をゆだねてしまっては、創造力が欠如する。

学問だって同じじゃないだろうか。自分の価値を再認識していく学びならば、状況判断が研ぎ澄まされて行くだろうけれど、物質的な利益ばかりを考える学問思考は、やがて優しさが失われ、他者と共有すべき叡智が剥奪されていく。

一流企業のトップを目指している人も、芸術家も、サラリーマンも、フリーターも職業に貴賎はない。その人が作り出していく人生に勝ち負けなどない。あるとするならば、エネルギーの差だ。演技力の質と言っても良いかもしれない。

知らず知らずのうちに、僕らは人生を演じている。その配役を決めているのが自分自身だということも知らずに。人生の脚本を客観的に眺められる人間と、そうじゃない人間の差が、人生の成功感の差になって行くような気がする。

悲劇を演じることに慣れてはいけない。王様であることに慣れてはいけない。必ず僕らは素の自分に還って、台本を読み直す必要がある。

暴君であることの感情の流れ、奴隷的気分であることの感情の流れ、幾度かの人生を繰り返してきた僕らは、多くの感情に支配されてきた。その理由が何なのかを実は僕らの本質は知っているのだけれど、忘却を強いられてしまっている。

性欲と支配欲を愛だと勘違いする人がいるように、妥協や諦観を忍耐だと思い込んでいる人たちが多い。彼ら彼女らは何に支配され、自由を抑制されてしまっているんだろうか。

我々は神によって踊らされている存在では決してない。他人によって支配されるべき存在でもない。限りなく自由を所有する存在物だ。なのに多くの人達が不自由を感じている。学校でも職場でも、そして家庭でさせも。

それは自分の力を信じないで頼ってしまうからだ。お金に頼ってしまうから、お金がなくなると不安が拡大する。神様に頼ってしまうから、願いが叶わないと落胆してしまう。そして人に頼るがゆえに裏切られると、呪詛が生まれる。

学歴も、容姿も、そして社会的地位さえも、死を目前とした時には全て我々は平等だ。生まれて、そして死んでいくということに於いて。

人生は苦悩を演じるためにあるのではない。嫉妬や自慢のために生きているわけでもない。存在を楽しむためにあるのじゃないだろうか。おもいっきり自分を表現するために、人生を楽しむことが僕らの人生じゃないだろうか。

自分を深く見つめて見れば、さりげない自分の感性が、自分だけの宝石だと分かるはずだ。いつでも遅くはない。自分を見つめて見よう。そして幸福で微笑んでいる自分をイメージしよう。必ず幸せがやってくる。

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2014年4月13日 (日)

自称プレアデス星人の塾教師

新年度の学校が始まり、ぴかぴかの1年生が闊歩している姿は初々しい。真新しい制服姿が春の風に清々しく輝いていた。

このわくわく日記も、明日の記事で3500稿目になる。2007年5月にスタートしたブログも、丸7年が過ぎようとしている。ブログという媒体を通じて、多くの方々に僕の個人的な志向なり思いを書いてきた。

塾教師を30年間やってきたわけだが、敎育を取り巻く環境は年ごとに厳しさを増し、子どもたちが夢を持つことが困難な時代になってしまった。

僕の塾教師としてのこれまでの人生は、果てしない荒野をさまよう一匹狼のような30年だった。無力さに何度となく襲われて、道標が見えなくなったことも多かったが、子どもたちが不安や焦燥感にさいなまれる姿に、何か役立つことはないかと模索し続けてきた年月だったように思われる。

30年も塾教師をやってきていまさら言うのも何だけれど、自分の人生のチョイスが果たして自分の意に則して来たものかどうかは自信がない。

この生まれた田舎町を出ることばかりを考えていた高校時代、僕にとって東京は言ってみれば青春の呪縛からの逃避であり、自分の生命をリセットする楽園のような新天地に思えていた。

その楽園で僕が感じたものは、表面的な華やぎのなかでうごめいている人間の苦悩する姿だった。都会に暮らそうが田舎に暮らそうが、実はその人が抱える魂の慟哭は、その環境に合わせて新たな哀しみと希望の切なさが構築されて行くのであって、決して逃れることが出来ない叫びを心のなかに響かせていることを、僕は感じたのである。

敎育は学校でやるもの。その当然な日常性が瓦解してしまった日本という社会の中で、突然姿を現して来たものは、個人的な志向を満足させる、自己本位の利己的敎育である。お金を出せば良い教育が受けられる。そしてその先には安定した生活があるという幻想に、公の敎育が軽視され、塾が乱立して行った。

塾をやるのには何も資格はいらない。学歴も必要ない。子どもに教える能力があって、入りたい学校に合格させられれば、それで飯の種になる仕事だ。学校の教員になるよりも100倍も簡単だ。

しかし、開塾する塾の9割が5年もしないで消えていくのがこの社会の現実だ。子どもたちは塾に、学校的指導など求めていない。もし塾教師が学校教員の真似をしたくて塾教師になってしまうと、そこに待ち構えているのは失望と諦観だ。

僕がラッキーだったのは。大学時代教師を目指さなかったことだ。もちろん教員採用試験などというものも受けたことがない。つまり教員になれなかったから塾教師になったという精神的スパイラルを抱えることがなく、塾教師になったことで、僕は教えることを根本的に楽しむことが出来た。

大学でならった心理学も、敎育理論もくそくらえと感じで、困っている生徒に寄り添うとか、相手の思いを考えるとか、そんなことは一切無視して楽しく教えることだけに専念した。いや引き出しの少なかった僕は、それしか出来なかったと言ってもいいだろう。

そしてそのことを30年間僕は続けてきた。人間の苦悩は楽しくないから生まれるのであって、楽しければ苦悩は軽減される。難しい心理学も、行動学も、苦しみを開放する学問とはなりえないのではないかと言うのが、僕は長年子どもたちに指導してきて得た結論だ。

楽しく教えるには、自分にストレスをためてはいけない。僕が曲を作って訳の分からない歌を歌うのも、50も半ばになろうというのに、中学生をあいてに必死に卓球をやるのも、木花開耶姫命や瀬織津姫の神様を愛し神社に行ったり山登りをするのも、人生を楽しむためだ。そしてそのエネルギーを子どもたちに分け与えたいからだ。

自称プレアデス人の塾教師(‥‥笑い)は今後も、子どもたちの笑いを取りながら楽しい指導をやって行きたい。

ということで3499稿目の大験セミナーわくわく日記を終えたいと思います。

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2014年4月12日 (土)

春が来たのに・・・

メダカが生息している庭先の池に薄氷が張った。明日は水稲の種まきをしようと思っているのだが、今年は春になっても寒い。

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地球の平均気温が上昇していると聞くが、僕の住んでいる地域に限定して言うならば、僕が幼児期だった半世紀前に比べれば、明らかに寒くなっている。

ところで我が家のこの池は、一坪ほどの小さな池だけれど、日本メダカが繁殖して泳ぎまわっている。シュタイナーこども教室『風と虹』に通ってくる子どもたちが、毎年何匹かつかまえて持っていくのだが、このメダカが好評である。

毎年春になるとカエルがこの池に卵を生むのだけれど、おたまじゃくしになることがない。なぜならメダカたちが食料にして食べてしまうからだ。

いつの世も生存競争は激しい・・・。

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2014年4月11日 (金)

 公務員の給料がアップ

消費税の税率が4月に5%から8%へアップし、国民の負担がいっそう増す中、国家公務員(約56万人)の給与が4月から平均で約8%アップで、2年前の水準に戻る。東日本大震災の復興にあてる名目で2012年から給与を減額していた取り組みは、消費税アップと同じタイミングで終了。減額の期間はわずか2年間にとどまった。

 一方で、同じく震災復興のためとして、国民に負担を求めた「復興特別税」は、所得税は25年間、住民税は10年間にわたって続くことになっている。  2011年3月に発生した東日本大震災では、東北地方を中心に深刻な被害が広がり、日本にとって「戦後最大の危機」とも言われた。そこで、復興を図るという大義名分のもと、財務省などは財源の確保に躍起となった。  その流れで、復興特別税という新しい税の導入が決定。さらに消費税率アップが盛んに論じられるようになった。 

こうした状況の中、公務員も身を切るとして、平均7.8%の給与削減が2012年4月から始まった。しかし、安倍内閣は昨年11月15日の閣議で、この給与削減は延長せず、元の水準に戻すとして、今年4月からの給与アップを決めた。削減された時点をベースとして計算すると、アップ率は8.5%となる。  一方で、国民が負担する復興特別税は所得税で25年間、住民税は10年間もの長期にわたって課される。企業に負担を求めた「復興特別法人税」もわずか3年だけ。

消費税率アップは、言うまでもなく期限の区切りはないどころか、2015年には再びアップ(8%から10%)も予定されている。  この春は、基本給のベースアップ(ベア)を実施する企業が現れたとはいえ、それは一部の大企業にとどまり、それも額は数千円程度。これに対し、国家公務員の35歳のモデルでみると、この4月から給与は月額約2万1000円アップする。年収ベースでは、ボーナスも増えるため、総額36万7000円も増加している。

さすが公務員天下の日本だ。一流企業に比べればまだまだ給料は低いという反論もあるかと思うが、僕のような自営業からみれば、雲の上の給料だ。

頑張っている公務員の方の給料が不当だなどとは思っていない。しかし明らかに給料泥棒としか思えない、やる気のない怠慢な公務員を見るにつけ聞くにつけ、腹がたってくる。

消費税が上がった。福祉や教育の現場が改善され、公共のサービスが向上するのならば我慢もしよう。しかしいち早く公務員の給料アップというのはないだろう。

地方に於ける労働者の給料は低い。共働きでも、公務員一人の年収に程遠い状況が続いている。

もし公務員じゃないあんたが悪いんだろう。安い給料の会社につとめているあんたが悪いんだろうなんてつぶやいている人がいたら、まさしくそれがこの社会の病理だ。

頑張ってもお金が稼げないのは、学歴がないからだろうか。頭が悪いからだろうか。運がないからだろうか。頑張っている人を支援するシステムがないからだ。政治の無策が原因だ。終身雇用制が崩壊した今、労働者は疲弊している。

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確たる証拠もない僕の妄想だけれど

体のあらゆる組織になるとされるiPS細胞を、世界で初めて作り出すことに成功した京都大学の山中伸弥教授の研究チームに対して、今後の研究費として150億円ほどの国家予算が出されることになった。

一方理化学研究所の小保方晴子ユニットリーダー(30)がSTAP(スタップ)細胞の作製法を論文発表したことに対して、研究結果の捏造疑惑が浮上している。僕はこの手の分野に関しては全くの素人で、なにも論じるすべはないのだけれど、バッシングの出処が何かきな臭く感じるのは、僕だけだろうか。

仮にSTAP細胞の研究が認められれば、iPS細胞の研究同様、多額の研究資金が国から出されるはずだ。そうなると現在要望されている多くの研究に対する研究費が、削減もしくは出されなくなることも予算的にありうる。

様々な薬学の研究や遺伝子研究を行っている機関が、国際的な研究者の権威を借りて、STAP細胞の捏造疑惑を後押ししているなどということがないだろうか。これはあくまでも仮定の話であり、確たる証拠もない僕の妄想だけれど、一連の流れを見ていると、どうしても小保方晴子さんが嘘をついたとは思えないのである。

捏造疑惑が出された当初は、研究成果を世に出すことに焦ったためのフライングかなとも思ったけれども、彼女の訴えを聞いていると、どうも報道されていることと、実際の真実の間には、何かの作為が感じられてならない。

研究の結果を証明できなければ、最終的には研究発表の中身は白紙ということになるのだろうけれど、実験過程のなかに、今後の人類の発展に役立つ真実がもしあるのであれば、彼女のバッシングンはやめるべきであり、研究者は耳を傾けるべきであるだろう。

正しき裁量と、正義の判断がなされることを、せつに願う。

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2014年4月10日 (木)

今日の短大での講義の出来ばえであるが・・

今日は午前中3時間、短大で授業をしてきた。いよいよ本日から僕の短大デビューということになる。

正直緊張の1日だった。結構図太い中年オヤジに見える僕だが、実は限りなく臆病者だ。フレッシャーには弱い。

ふと自分の人生の中でめちゃくちゃ緊張したのは何だったろうかと振り返ってみた。女房の実家に結婚の承諾をもらいに行った時が間違いなくベスト1緊張体験だった気がするが(笑い)、その他でめちゃ緊張したことはと言うと、初めて敎育フォーラムで講演会を頼まれた時とか、初めて仲人をして結婚式で仲人スピーチをした時とか、生まれて初めて自分のライブを敢行した時とか、いろいろ思い出していたのだけれど、今日の短大出勤1日目の受業も、かなりテンションが上がったかねごんである。

今でこそ口から生まれたごとく、話し始めると止まらい僕だけれど、大学生の頃までの僕はシャイで口下手で、どちらかと言うと無口な青年だった気がする。その僕が変貌してしまったのは、やはり塾教師になって場数を踏んだ結果なのだろうと思う。

初めて勤めた東京の進学塾も、岩手に戻って勤めた学習塾兼家庭教師センターの仕事も、親御さんとのトークをかなり要求される仕事だった。20代前半の僕にとっては、非常に会話力を鍛えられた職場だった。そういう意味では、心から感謝をしている。

さて今日の短大での講義の出来ばえであるが、まあ誰も寝る学生がいなかったところを見ると、合格点というところだろうか(‥‥笑い)。今日はテキストに入らず、言語の音韻論の話をした。簡単に言えば、人間が発する言語と心理の関係性についてさわりの部分を、日常の例を列挙して話をした。途中学生諸君から拍手を頂く場面もあり、ちょと調子にのって脱線したかねごんであった。

自分で言うのも何だが、僕はかなり異質な教師だ。英語の講義がいつのまにか宇宙論や宗教論、そして文明論まで展開してしまい、それがなぜだかわからないのだけれどシモネタ話に行き着いてしまったりする。自分でも訳が分からない(爆笑)。困ったものだ。

ところで、塾の新学年も順調な滑り出しである。去年もその前の年も、中総体が終わるまでほとんど新規入塾生が入ってこない状況だったけれど、今年は3月の末から今日まで、10名近くが入塾して頂いた。この時期としては、およそ4年ぶりの入塾数である。ほとんど中3生の動きがないけれど、中3生が入り始めれば、今年は久しぶりに忙しくなりそうだ。

健康に留意し、ストレスを溜めないよう、マイペースで進んで行きたいと思う。

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塾の掛け持ち

僕らが中学生や高校生の頃と比べると、参考書や問題集の質が次元を超えて飛躍している。教科書がいらないほどの状況だ。

ところで僕の塾はスペースやj時間帯もフリーダムだけれども、塾生が持ち込む教材類もフリーダムだ。他の塾との掛け持ちの塾生がいることもあって、学校の宿題どころか、よその塾の宿題を持ち込んで聞いてくる生徒もいる。全く気にしない。

公文式や学研の教材、はたまた東進スクールの問題集・Z会の英文問題集、何でもOK。僕はすばらしい教材はすばらしいとあっさり認めるので、プライドとかこだわりとか一切ない。僕は塾オリジナル教材は近年作らない。大手塾産業の教材に勝てるとは思っていないので、生徒が持ち込んでくる教材を参考にさせて頂いて、ちゃっかり指導に利用している。

他塾との掛け持ちで思い出したが、数年前こんなことがあった。某塾に行くと壁に合格者の名簿が貼りだされていた。その中に僕の塾に来ていた生徒の名前があった。また別の塾でも・・・(・・笑い)。

いったい彼はいくつの塾を掛け持ちしていたのだろう。一応保護者の方より「先生のおかげで合格することが出来ました」と言われたのだが、ちょっと複雑な気持ちではあった。

僕の塾のようなフリーダムな個別指導塾と、一斉授業を掛け持ちするとか、もしくは英語は僕の塾で習って、数学は違う塾でというのなら分かるのだけれでも、似たような塾を複数掛け持ちするのはどんなものだろうか。

お金に余裕があってなせる技だろうから、僕がとやかく言う必要はないだろうけれど、経済的理由で全く塾に通えない生徒のことを思うと、なんかスッキリした気分になれないのは、僕だけだろうか・・・・。

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結構赤本が面白い

僕は実は経済のことはさっぱりで、多くの知人が株式投資や◯◯ファンドなどの資金運営をやっているようなのだが、そういったお金の仕組みはまったく音痴で、僕の日常にはまったく関与しない世界だ。

故にお金と言えば、毎日塾生の親御さんから月謝を頂くことが、言ってみれば僕の経済であり、収入源だ。

本を読んでいるかジャズを聞いていれば、心豊かな日常が過ぎて行く僕なのだが、一応塾教師をなりわいとしているので、各大学の赤本(過去問集)を眺めるのだけれど、これがかなり面白い。

古本屋に行くと2,3年前の赤本が100円プラス消費税で買えるので、国立・私大に限らず買ってきては目を通す。何が面白いかというと現代文と英語の長文だ。

各大学はきっと偏差値に関係なくプライドがあるのだろう。点数が取れる問題はしっかりと用意しているのだが、長文に関してはこれでもかという難題を提示してくる。

国語の現代文に関しては、難しい経済用語や心理学系の単語が散りばめられる論説口調の問題が出題されることが多いのだけれど、新聞を読んでいればそこそこに理解出来る問題のようだ。

ところで、近年マークシートになってからというもの、4択問題が主流になっているわけだけれども、あの答えじゃない3つの選択肢を考える出題者の心理を考察するのが、赤本を読むときの僕の一番の楽しみである。

僕は先ほども述べたが経済問題に関しては全く知識が乏しいのでチャレンジはしないのだが、長文を読まないで、4択問題をどれだけ正答できるのかということをいつも遊び心でやっている。きっと僕とおなじようなことをやっている受験生もいるのかも知れないが、本番ではおすすめは出来ない(‥‥笑い)。

設問に対して、日本語の表記が曖昧だったり、英文の表現が断定的過ぎる文は、ほぼ解答にならないようだ。もちろん歴史認識や言葉の解釈がおかしいものも解答として選ぶ必要はない。そうなってくると長文を読まなくても回答率は40パーセントにはなる。

実は面白いことに気づくのだが、長文が難解なほど、選択肢は簡単になる傾向がある。下手に長文に耽溺してしまうと4択問題が難しくなってしまったりする。

これは僕の勝手な想像なのだけれど、難解な長文はカモフラージュで、設問さえしっかり掌握すれば、意外と答えのヒントはたやすく見つけられるのかも知れない。

おそらく大学の入試問題は、僕らの世代が出題しているはずだ。団塊の世代からはいじめられ(笑い)、青い鳥症候群の世代からは疎んじられた僕ら世代の怨念が、ストレス発散に入試問題の長文を難しくしているわけではないだろうけれど、よくぞまあ、こんなシーラカンス的な文章を引っ張ってきたなという長文に接すると、思わず苦笑いをしてしまうこの頃だ。

最近某私立大学の赤本を読んでいたら思わず笑ってしまった。英文はめちゃ難しいのだが、設問の解答は、長文を読まずとも中学生の文法知識でらくらく解ける問題が連続していた。大学も生徒獲得にかなり頭を悩めているようだ・・・。

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2014年4月 9日 (水)

本質的な疑問

学生は、本当は敎育を求めているのではなく、社会で生きて行く技術や展望が欲しいのだと僕は思っている。

中学生や高校生がよく言うことだけれど「こんなの勉強したって社会で使わなじゃないですか」というフレーズ、僕ら大人は無視していないだろうか。

基本的に小学校の国語力と算数力があれば、社会で生きていける。しかし高校や大学をでなければ就職が大変なので、耐え難きを耐え、忍び難きを偲んでいるのだ。

こつこつと努力すれば、必ず陽の目が見えるよなんて大人は言うけれど、その言葉を鵜呑みに出来ないことぐらいは、今どきの生徒たちは知っている。妥協と諦観が人生だとは言いたくないが、頑張った分の褒美を常に期待していると、痛い目に会った時の衝撃は大きい。

世の中で、頑張って頑張って、会社を失ったり、リストラされた人たちがいる。頑張れば報われるなんて、世の中の支配者階級が言うセリフで、市民階級は頑張っても報われないことのほうが多いのだ。

不登校や引きこもりが社会問題になっているが、今の社会を見れば当然の成り行きだろう。小さい頃から、頑張れば報われると敎育されて育つ子どもたち。しかし現実はそうじゃない。

幻想の夢世界を大人はひけらかし過ぎるのだ。人生は辛くて大変だから、忍耐と努力が必要だよ。普通に生きて行くことが大変なんだよ。そんなふうに子どもに言ってしまうと、子どもたちから希望や夢を奪ってしまうと、多くの親や大人は考えている。しかしそのほうが子どもたちは落胆しない。

これほどまでに世の中の悲劇や哀しみが報じられる時代の中で、架空のお伽話を信じるほど子どもたちは幼くはないのだ。経済や物質面で快楽を貪れる時代は終焉した。

学歴や財力が無くても、生きていける精神の豊かさがあれば、人生は有意義なものになる。価値観の転換を促す敎育がなければ、もはやこの多重構造の格差社会は確実に崩壊する。

若者のうち4人に1人が定職につけず、年金も健康保険税も払えない青年が激増している。家族年収が300万以下の家庭が20パーセント以上を占める一方、ボーナスだけで300万円を超える公務員や一流企業の社員がいる。

フリーターをやっている若者は頑張らなかったのだろうか。決してそんなことはない。手取り12万円の収入で、7万円のアパートに入っていれば、彼ら彼女らにできることは限られてくる。

結婚も出来ない。食費さえもまともに捻出出来ない若者がいっぱいだ。豊かな暮らしをしている人には、豊かじゃない人の気持がわからない。優秀な人間には、優秀じゃない人間の気持ちがわからない。この想像力の欠如が、日本社会のアキレス腱だ。

日本には差別がないと言うけれど、とんでもない間違いだ。差別だらけだ。年収の有無に関わらず国民年金は徴収されるし、利益を生まなくても土地を持っていれば固定資産税が課税される。義務教育である中学を終えても仕事がない。

大学に行くお金がないならば、頑張って国立大に入れと言うけれども、それを主張する多くの方々が、敎育現場を知らない。理想だけを訳知り顔で言う大人に、子どもたちはうんざりしている。

頑張りたくても頑張れない人間の人権を本当に真剣に考えてあげないと、この国の経済は破綻する。普通に働き口があって、結婚が出来て、子ども達が大きくなる頃には家が建てられて、そして老後は生活費を心配しなくていい普通の生活、そのあたり前が、今崩壊している。

なのに誰もそれを疑問に思わない。努力が足りないからだと思っているのだとしたら、もうそんな洗脳から足を洗わなければならない。

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2014年4月 8日 (火)

今日も四方山話

消費税が上がって1周間になるが、買い物に行くと、随分値段が上がった感じがする。

消費税値上がり前に、買いだめした方々も多かったようだが、ガソリンや灯油の値上がりが我が家にとっては一番痛手だ。

我が家で消費税値上がり前に購入したものは、家内の中古の軽自動車だ。15年前に買った軽自動車が18万キロになり、限界が近づいたがために、知り合いの自動車屋さんにネットで探してもらった。

ところで軽自動車と言えば、2年前に購入した僕の軽トラックだが、これが当然のことながらマニュアル車である。息子や家内の車が今年からオートマになり、それぞれ乗ってみると、非常に運転が楽だ。羨ましい・・・。

前回の軽トラックは22年間乗ったが、今度の車をそのくらい乗ると、とっくに70も半ばを過ぎるわけで、自分は生きてるんだろうかと、考えてしまう。そんなわけで來世こそは、オートマの車にしようと、気の長い妄想をしているかねごんである(・・笑い)。

来週は中学3年生が修学旅行である。一関市内の中学校は沖縄というところも結構増えてきた。我々の頃には全く考えられなかった旅行先だ。いつもならば中3が修学旅行に行くと、暇になる僕の塾なのだが、今年は中3がめちゃ少ない。塾の指導スケジュールにさほどの変更はない。

今年の僕の塾は、中学1年生が占拠していると言っても過言ではない。その次に増加中なのが、新高1の英語指導だ(ドサクサに紛れて数学の質問が多いけれど・・苦笑い)。

中学生・高校生の英語出来ない相談が激増中だ。この現象に関しては何度かこのブログでも触れてきたが、能力別の英語指導が導入されるべきである。一部の中学校ではすでに始まっているが、その割合はまだまだわずかだ。

中学1年生の段階で、英検4級クラスの生徒とABCの小文字が書けない生徒が同時に英語の授業をスタートさせるのには無理がある。市内の幼児・児童向けの英会話塾を覗いて見ればわかるが、どこもそれなりに繁盛している。

小学校に正式に英語が導入される2020年からは、この動向は加速するだろう。塾や英会話スクールに我が子を通わせたい親御さんの意識は当然のことと思うが、一方全くわからないまま放置される児童や生徒が増加する懸念もある。経済格差が、塾通いにも多大な影響を及ぼしている。

英語は実技科目だというのが僕の持論だ。実技な故にその習得には差が出やすい。一番能力別の指導が必要な科目なはずなのに、一番対応が遅れている教科だと思う。

僕は自分で言うのも何だが、小学・中学時代は運動神経が抜群で、華やかしき戦績を残している。しかしこと水泳に関しては完全な金槌である。全く泳げない。つまり実技というものは、一度基本を習得しないでしまうとにっちもさっちもいかない教科ないしは種目が至るところに存在するのだ。

be動詞どころか、アルファベットの小文字さえ怪しい高校生が増えている昨今、本気に文科省が英語教育を考えているならば、英語の個別対応が、公教育で必要不可欠である。

『英語が出来なくって生きて行けますよ』確かに昔はそうだった。しかしグローバル化したこの社会に於いて、学歴や学力としての英語は必ずしも必要ではないかもしれないが、実技として話したり書いたりする英語を使いこなす基礎技術は必要だろうと思う。

スマホの機能の習得にあれほど完璧な理解力を示すのだから、英語だってやれば覚えられるはず。そうだよね、みんな!

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2014年4月 7日 (月)

まわりをきょろきょろ

個別指導の塾が、全国津々浦々、様々な教室を展開している。教室内がブースで囲まれた机が設置されているものがある。

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上のような塾だ。確かにまわりの視線を気にすることはないし、勉強に集中出来そうだが、この空間が好きじゃないという生徒もいる。

僕の塾に他塾の個別指導から移動してくる生徒は、このブース式の机が嫌だったという生徒が多い。息詰まるというのだ。これも個人の指向性の違いで、ブース式の机が落ち着くという生徒もいるわけで、塾業界は需要と供給のバランスがせめぎ合う。

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僕の塾はオープンスペースでの個別指導だ。窓からは磐井川の堤防が見え、夕暮れの風景が舞い込んでくる。ギターが無造作に置かれいて、時にジャズが流れ、コーヒーの香りが漂う。初めてやってくる生徒は、まわりをきょろきょろ。

「ここは何だろう?」そんな視線を感じる。教室が僕の趣味空間と化したのは昨年の秋からだが、この雰囲気になってから、体験入学者の入塾率が限りなく100%に近づいた。

自分が居心地がいい教室は、生徒も居心地がいいのではないかという僕の勝手な思い込みだったのだが、あながち間違いではなかったようだ。

僕の塾はフリーダムが拡散し続けて行く・・・・。

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今回の教訓

先日3日、今年4月から非常勤講師として勤務する、修紅短期大学の入学式に参列した。

少し早く会場に到着した僕は、講師控室に案内され、配布された入学生名簿などを眺めていた。僕の後に年配の先生がいらっしゃって挨拶を交わした。ともに4月から着任ということで自己紹介をさせて頂いた。「先生のご専門は」などと調子にのって質問などをしていたかねごんである。

さて入学式が始まり、学長挨拶、来賓である一関市長の祝辞などが終わり、教授、教職員等の紹介の段になり、僕も壇上に上がったわけだけれども、僕と控室で雑談をしていた先生の紹介の番が来た。

なんと東北大学名誉教授の菊池武尅先生であった。心理学の大家であられる。一緒に壇上に並んだ僕の驚きを想像して頂きたい。冷や汗モノである。

その他著名な客員教授が紹介された。入学生に先生方のシラバス(授業計画)が配布されたわけだが、菊池先生をはじめ、多くの著名人の中に、僕の名前があっていいものかと、恐縮至極で会場を後にしてきたかねごんである。

これはちょっと力を入れなければならないぞと、学生時代に読んだ、言語音声学や言語心理の本などを取り出し、花粉症の鼻水と格闘しながら、最近読書に勤しんでいるかねごんである。

僕には知の源泉は読書であるという信念がある。本を読まずして学問の探求はない。生涯読書冊数目標を1万冊とした若き日のかねごんであったが、未だ半分にも満たない体たらくである。

今年は今までより若干読書の時間が取れそうだ。老眼になり活字を追うことがしんどくなってきた年齢ではあるが、自分にカツを入れたいと思っている。

今回の教訓。それらしく見えない人間こそ一流である。

追伸

昨日は水稲の種を撒くためのハウス作りした。息子たちに作業を手伝ってもらおうとしたのだが、逃亡されてしまった(笑い)。それでもなんとか午前中に作業を終え、今度は卓球のコーチングにために、東北選抜いわい卓球大会が行われている一関総合体育館に向かった。久しぶりにレベルの高い試合を見せてもらった。中学校のジャージを着ている選手は、どこにでもいる普通の中学生だけれども、トップクラスの子は卓球台についたとたんオーラーが変わる。

やはりそれらしく見えない人間こそ一流である。

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2014年4月 6日 (日)

意志力の起源

英語が話せるかどうかは、英語の基礎力の有無より、話そうとする意志があるかどうかであって、それ以外の何ものでもない。

これは英会話に限ったことだけではなく、学問をする意志、学ぶ意志にも言えることで、必要性というものは、個々人の魂に染み込んでいる習性のようなもので、簡単に言えば、出来るかどうかは、やる気のスイッチが入るかどうかで決まる。

所詮人間は、自分の脳の10パーセントも使ってはいない。天才といえどもほとんどの方々は、潜在能力を眠らせている状態だ。

うちの子はどうして努力をしないんだろうと、お嘆きの親御さんが多い。僕も例外ではない(苦笑い)。頭の良し悪しを云々する前に、なぜ勉強しないんだろう。なぜ努力をしないんだろうという理由を考えてみると結構原因は見えてくる。

のんびりとした性格のこどもは、スイッチが入りづらい。のんびりしているのは、きっと競争するのが好きじゃないからだ。悔しさをにじませるこどもは、負けず嫌いで闘争心を表に出すが、平和主義者は傍観する。

家の経済力や、家庭の躾、そして友人関係などでこどもの習慣性、日常性は作られて行くのだが、根っ子の部分の本質は、彼、彼女自身が祖先から受け継いできた精神性(魂の習性)でその概要が形作られている気がする。

言ってみれば偶然性ではなく、必然と言えるかもしれない。人間にはそれぞれの役割分担がある。善悪の判断はさておいて、その人間を行動たらしめる力は、予めインプットされてきたもののような気がする。

時代を読む力や、自己分析を得意とする人間と、そうじゃない人間がいるけれども、そもそも生存本能が壊れてしまった我々人間は、教育されることでしか成長しないと断定されてしまった存在で、転生を繰り返す魂の存在であることを忘却してしまったか、もしくはそのようにされてしまった僕らは、あまりにも肉体の欲望にがんじがらめになってしまい、自由を奪われた存在になってしまった。

心が飛翔しないのは、死を恐れるからだ。1度きりの人生だとしたら、人間はためらうことは多い。自分の人生に固執する。1度きりだから頑張るという声を聞くが、その言葉に虚無感を覚えるの僕だけだろうか、

自分の欲望が本能だとしたら、きっと楽なのだろうけれど、それを社会性や環境から導き出されてきた病根のように解釈されてしまった我々人間は、とても窮屈な存在になってしまっている。

規範的なものがあまりにも常識になり過ぎて、教育も子育ても自由をなくしてしまった。小学校に入る年齢が統一されているが、果たしてそれが平等であるのかと考えると、個々人の能力を年齢で判断している社会の矛盾が見えてくるだろう。

人は母親から生まれてくるということに関して言えば、全て平等だ。しかしそれ以外は全て不平等だ。その不平等感を言葉や制度でごまかして平然としているこの社会というものは、やはり根本的に脆弱(きじゃく)でそして自由ではない。

たまたま優秀に育ったとか、ちょっとやんちゃに育ったとか、そういった偶然性に肩入れした表現で人間の性質を語ることが多いけれど、運命とか宿命という目に見えないものにゆだねてしまう傾向は我々にはある。

目に見えないものは信じたくない。その習性は頑固なまでだ。幽霊はいない。もちろん宇宙人も存在しない。見えないから信じない。常識的ではあるが、日常には見えなくとも存在するものは無数にある。

見えないから大丈夫。感じないから大丈夫という判断の方が実は僕らの肉体を蝕んでいるのだけれども、見えないものに対する防御が人間は弱い。

人間の学力をテストで数字化する教育は、目に見えないこどもの才能を汲み取るシステムが脆弱だ。こういった矛盾の連続の中で、僕らは知らぬ間に喪失感を身体に刻みこみ、自信を喪失していく。残念だ。

やる気を喪失する原因は、見えないものへの否定と信奉の混ざり合った人間の弱さだ。自由の意志が尊重されない社会だと洗脳されていく僕らの人生。言葉を不用意にあまりにも不用意に使いすぎる。

やる気の源は自分への心の言葉だ。自分を信頼する教育、自分を愛する教育、自分を鼓舞する教育が一番大切な時代のよう気がする。自分を愛せない者が他人を慈しむことは出来ない。自分をいたわることができない者が他人をいたわることが出来ない。

親の生きる輝き、先生の生きる輝きがこどものやる気を引き出す。だから親は自分を愛せなければいけない。教師は自分を愛せなければいけない。そうじゃないだろうか。

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2014年4月 5日 (土)

ご入学おめでとうございます

昨日で春期の勉強会も終わり、本日から通常のゼミが始まります。市内は今日から入学式ラッシュ。

晴れの舞台に臨まれるみなさん、ご入学めでとうございます。

新たに入塾して頂いた小学生・中学生のみなさん、ご縁を頂きありがとうございます。粛々とそして楽しくがんばりましょう。

大験セミナーは本年度、25周年を迎えました。小さな私塾です。25年間で700名ほどの生徒が巣立って行きました。

一期生はもう40歳を迎えます。それぞれがそれぞれの人生を紡いでいることと思います。

町で笑顔の卒塾生と出逢うこ時こそ至福の時はありません。長年塾教師をやってきて良かったと思います。

僕は年ばかりは数えましたが、まだまだ未熟者です。塾生からは小学生みたいだと言われます(・・笑い)。

音楽と卓球を愛し、プレアデス星人と神様が大好きな、おかしな塾オヤジです。そんな僕ですが、今後も宜しくお願い致しますm(_ _)m。

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2014年4月 4日 (金)

人間は無力じゃないですよ

皆さんは神社仏閣に参拝した時に、何を神仏にお願いしますか。僕は何もお願いしません。

「どうぞこの神社に縁を持ちます神様が弥栄増しますように。この社に縁ある方々が豊かでありますように」いつもそんな参拝の言霊(ことだま)を捧げています。

ちょっと僕の持論を述べさせて頂きます。僕は人間は弱い存在じゃないと思っています。神々と同じように創造の力があり、結構すごいパワーを有する存在だと思っています。

神仏に困難を丸投げしてお願いするということは、自らの無力を認めることだと思うんですね。わざわざ神社に出かけて行って、自分の無力を宣言しなくてもいんじゃないでしょうか。

時に神社に行きますと、20分も30分も熱心に祈願している人を見かけます。誰かの病気の回復を願っているのでしょうか。もしくは家族の幸福を願っているのでしょうか。鬼気迫るものがあります。

もし皆さんのおうちに見知らぬ人がやってきて、突然病気を治してくれとか、お金をくれと言われたどうしますか。びっくりしますよね。

普通はアポイントメントをとったり、それなりの付き合いがあって後の話ですよね。僕は神様も同じだと思っています。

例えば合格祈願をするとなると、最低その神社には10回以上は足を運びますね。神社の神様の霊力が栄えますようにと祈願します。もちろんお賽銭もケチりません(笑い)。

天神様にお祭されている菅原道真公も、もとは当然のことながら人間です。神様になったとは言え、人間界の礼儀は必要ではないでしょうか。

2年前僕は瀬織津姫が祀られている地元の神社に御百度参りをしました。文字通り100日参拝しました。かつても書きましたが奇跡が起きましたね。

99回目に参拝に行った時に、忽然と神社の鈴が消えていたんですね。ところが翌日、つまり百回目に訪れた時、鈴を振る紐が紅白の新しいものに替わっていました。まるで僕の御百度参りを祝ってくれたかのようでした。僕はぞの偶然に感動してしまいました。

生徒の募集の祈願に行ったわけではなく、震災の復興祈願に日参したのでしたが、その年、神社のある学区の生徒が10名も入塾してくれました。20年以上塾をやってき、その学区からはわずか2名しか来なかった中学からです。不思議なこともあるものですね。

神社やお寺に行って、仕事がうまく行きますように、お金が儲かりますようにと願うのは、至極当然のことかも知れませんが、その先が大切なような気がします。

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2014年4月 3日 (木)

魔法の言葉

このブログで何度か取り上げてきたテーマだけれど、教育の目標はお金をいかに稼ぐとか、地位を登りつめるかではなく、人に愛され運に恵まれる生き方を伝授することにあると僕は思っている。

僕はお金を稼ぐことは不得手だし、財産を所有しているわけでもない。普通のダメおやじである(・・笑い)。

ただ自分では運の強い人間だと思っている。崖っぷちに立った時に、何度も何度も救いの手を差し伸べてもらった。

最近多くの書籍でも取り上げられる事が多いが、『想いは実現する』という言葉ほど、人生を彩る魔法の言葉はない。自分の未来を明確にビジュアル化出来る人間が自分の運を切り開くことが出来るようだ。

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何気ない日常の奇跡は頻繁に起こる。その奇跡を目にできないのは奇跡を否定するからだ。小鳥のさえずりの中にも、風のそよぐ瞬間にも、生きるヒントが隠されている。

地球上のありとあらゆる存在物は、その者達が発するイメージでできあがっているように思える。もちろん人間もだ。

僕らは謙虚にまわりを見渡さなければならない。自分の周囲が、自分の生活が、想いの反映であることに気づくんじゃないだろうか。

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2014年4月 2日 (水)

伊勢の輝き

みほ様より伊勢湾の恵みを支援として頂いた。震災以後毎回毎回恐縮なのだけれど、温かいお心を遠慮無く頂いている。

今回は伊勢湾の写真とともに貝殻が添えられていた。神々しいオーラーを発する宝石のうような貝殻だった。

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この真珠のような輝きの貝殻をみていたら、僕の好きなジャズの曲が鳴り響いてきた。伊勢の波と砂の流れが柔らかなジャズの調べに溶け込んだような輝きだ。

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感謝・感謝・感謝です

昨日もそうでしたが、卒塾生の保護者の皆さまには毎日のように友人・知人の皆さまに僕の塾を紹介頂き、本当にありがとうございます。

「安くて、個人的に本人がやりたい教科を教えてくれる塾だって聞いたもんですから」

こんな声を、体験入会に来られる保護者の方々から頂くのですが、僕がまさに目標としてきた塾の良さを皆さまに宣伝して頂いていることに、嬉しく思います。

僕の塾は安くて、個人的に生徒が学びたいことを勉強する塾なんです。4月1日から消費税が上がりましたが、今回も僕の塾は指導料金も教材光熱費も据え置きです。10年前から値上げをしていません。それどころか高校生の英語指導コースは25年前の半額になっています。

「儲からないんじゃないですか」という声を頂きます。

正直言って儲かりません(・・笑い)。しかし、頂くお月謝で、なんとか生活をさせて頂いております。感謝申し上げます。

東日本大震災以後は、生徒が半減しました。春期講習や夏期講習が数人という季節が続きました。受験生は入試が近づいてようやく入会してくる状況でした。しかしそんな中、一関修紅高校が僕を英語講師として雇ってくれました。本当に生活を助けて頂きました。

そしてさらに縁を頂き、今年度は短大で英語を教えることになりました。身に余る光栄です。お陰様で安くていい塾を今年も継続して行くことが出来ます。

入会して頂いている塾生の皆さま感謝です。卒塾生の皆さま、保護者の皆さま感謝です。そして一関修紅高校の先生方、職員の皆さま感謝申し上げます。

なんとか大験セミナーも震災後の苦難を乗り切り、かつての活気を取り戻して来た感があります。さらに受験指導に邁進して行きます。もちろん短大での授業もマックスで行きます。新年度この1年よろしくお願い致します。

日陰の雪もなくなり、春の花々が顔を出しました。花粉症が大変な季節ではありますが、ようやく暖かい季節が訪れました。

皆さまに暖かい春の木漏れ日が愛を運んできますことを。

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2014年4月 1日 (火)

不意打ちの青春譜

塾に来ている中2の女子生徒が、この曲いいよといって聞かせてくれた。REO Speedwagonの曲だった。懐かしさがしみじみと僕の胸に漂う。

お父さんが僕と同じ世代で、娘さんに70’年代や80’年代のロックを聞かせているようで、彼女の曲のラインナップには、TOTOやKISSなどの名曲が詰まっていた。

この後彼女は僕にBoz Scaggsのヒット曲を聞かせてくれた。猛烈な不意打ちを僕は食らってしまった。

学生時代の様々な光景が蘇り、思わず僕は視線を外の風景にさまよわせた。

青春時代の曲を、娘さんと共有しているお父さんがとても羨ましかった。新年度の初日、懐かしい曲にぼ~としていたかねごんであった。

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愛ならばどうするか

小学生の頃多数決が大嫌いだった。その指向性は今も続いている。

多くの人が賛成するから正しい思うことは、おかしいとずっと思ってきた。自分が正しいと思うことでも、まわりにそぐわないことだから我慢しなければならないという精神性は、人間の自由を損ねるものだと僕は思っている。

頑固だとか非常識だとか、世の中は後ろ指をさして来るだろうけれど、正しいと思う根拠がしっかりしているのならば、自分の意思を押し通すべきだと思う。

チームワークや協調性という言葉は、妥協のためにあるのではない。進歩のためにある。変革がいいとか革命がいいとか言っているのではない。多数決という慣れ合いが嫌いなのだ。

自己の利益を優先する多数決があっちでもこっちでも可決されれば、人生の本質は消えていく。

みんながやっているから正しいと思うのは幻想だ。たった一人の声が、真実を言っていることだってある。

キザな言い方かもしれないが、『愛ならばどうするか』その判断で思考し行動すれば、僕ら人間はこの地球で存続し、繁栄して行くことが出来る。

敎育は最大公約数的人材を育てるのではなく、人間の個性をきらめかせることにあると僕は信じている。全てが人間の中には備わっている。それを思い出させるのが敎育じゃないかと僕は思うのだけれど、やはり少数意見だろうか。

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