今年度を振り返って
今年度も受験指導が終わった。受験生22名全員第一志望合格とはいかなかった。自分の努力の無さを痛感するとともに、気合を入れなおさなければならない。
大学受験は例年にない合格ラッシュだったが、県立高校1名、附属中学1名、就職試験1名が第一志望の合格を手にすることが出来なかった。僕の状況判断がその原因であることは間違いなく、猛反省である。
昨日は3ヶ月ぶりに、卓球の大会のベンチ指導に行ってきた。『コーチ、忙しさも一段落でしょうから、ご指導よろしくお願いいたします』と頼まれれば、NOとは言えない(笑い)。
ギターのライブも、ぼちぼちお声がかかってきている。僕の受験指導が終わるのを世の中が待ちかねていたかのような、今日この頃である。
僕は部活の卓球と、音楽にのめり込んで、受験に失敗したと言っても過言ではない。いや、正確に言うと、部活と音楽を隠れ蓑にして受験から逃げたのである。しかしその卓球と音楽が、紆余曲折を経て世の中に求められているというのも、皮肉と言うのかなんと言うのか、複雑な気持ちではある。
芸は身を助けると言う言葉があるが、僕が受験勉強そっちのけで戯れたことが、今人生を潤してくれていることに、運命のイタズラを感じる。
『部活ばかりやってないで勉強しなさい』 『音楽ばかりやってないで勉強しなさい』
『パソコンばかりやってないで勉強しなさい』
確かに正しい助言ではある。しかし一見無駄と思われることの中に、人生を生きるオアシスの泉が隠されていることもある。実益をとるか、生き甲斐を選ぶか、こればかりは人生を行きてみなければその答えは分からない。
部活を中心に、高校を選ぶ中学生が増えている。分からないわけではない。しかし、趣味だけで行きていけないことも、間違いない事実だ。昨日教育の目的に関する話をしたけれど、自分の目標を達成するために学問をしたならば、今度は他人の幸福を考えるスタンスを、学びの領域に取り込まなければならない。
つまり酷な言い方をすれば、自分の目標さえ見えない人間は、到底世の中のために何かをなし得る余力などないということだ。
自分が成功した人間だと思い、自己の利益を追求し続ける人間は、実は自分の目標も達成できていないのではないだろうか。
自分の能力を過小評価するのもどうかと思うが、傲慢はもっといけない。新しい学校、新しい人生のステージに立つ若者たちに、一言申し上げたい。所属する学校、組織でその人間を評価してはいけない。自分を見下していけないし、他人を見下してもいけない。
みんな学びの途中なのだ。君たちは誰一人として完成などしていない。肝に命じて欲しい。
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行けることなら甲子園・花園・国立という気持ちはわかるけれど、そのためだけに大学進学に向けた勉強ではない環境の高校に進む子たちがいるのには疑問を感じます。やりたい部がないから、あっても弱いからと言って部活のために越境通学する中学生もいます(一関市教育委員会の公式見解ではそういう越境通学生はいないことになっているようですが)しネー、中学なら学習環境はイコールだとしても高校は違うんだけどナー。
(かねごん)
Mr.Peki-chan様コメントを頂きありがとうございます。
勉強が苦手だから部活で頑張るというのもありかとは思いますが、高校や大学の広告塔になって自分のスタンスを見失うことはあってはならないと思いますね。
スポーツ推薦で高校や大学に入ることは、それはそれで僕はいいのではないかと思いますが、勉強は絶対やるべきです。
スポーツで飯を食える人はほとんどいません。東大に入るくらい大変なことだと思います。
テレビで活躍しているプロ選手を見て夢を追うことはいいでしょうが、指導者は可能性をしっかり伝えるべきだろうと思います。決して中途半端な選択をさせるべきではないと思いますね。
投稿: Mr.Peki-chan | 2014年3月17日 (月) 20時56分