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2014年3月16日 (日)

人間のエゴ

原子力規制委員会が九州電力川内原発(鹿児島県)の安全審査を優先すると決めて初の週末となった16日、反原発を訴える「さよなら原発集会」が鹿児島市の公園で開かれた。主催者によると約6000人が集まり、「原発事故の記憶を風化させるような再稼働と、前のめりの姿勢を許さない」と訴えた。(時事通信)

作ってしまったから使いましょうよ的な再稼働容認思想が普通にはびこって、未来の地球など関係ないね的な人間たちが、世の中の舵を取る。

地球上の環境悪化は誰が見ても大変なことになっている。自動車の排気ガスや化石燃料の巨大な消費が、人間の住環境を日々汚染し、文明の存続は空前の灯火になってきた。

そこへ追い打ちをかけるように、ウランの採掘による新たなエネルギーの甚大な汚染が拍車をかけ、この星は崩壊寸前だ。

宗教や怪しげなスピリチャル系の書物は、人類の滅亡をまくしたて、お金儲けに余念がない。彼らはこの星が崩壊するなどと思ってもいない。人類は愚かさとちょっぴりのまともさを融合させ、しぶとく生き抜いていくだろうと思っている。

本当だろうか・・・。

1999年も、2012年も地球は滅亡などしなかった。大変な震災はやって来たけれど、元気に生きている人はいっぱいいるし、なんとなく大丈夫そうだ。そんなふうに多くの人達が思っている。

学ぶのは、自分の夢の実現のためだと多くの人達は言うけれど、その先にあるのは金儲けという大きな人生の目標であり、その金字塔を手中に収めたものを、僕らは成功者とみなし、時に尊敬をし、時に嫉妬する。

教育の目的は何かと問われて、明確な答えを出すことが出来る人間がどれだけいるだろうか。幸せに暮すため。自立して生きるため。仕事に役立つ知識を得るため。そのような答えが多いような気がするけれど、果たしてそれが教育の真の目的だろうか。

僕はこのことに関して何度も何度も自問自答してきた。教えるという仕事をしている以上、教育の目的を考えずして自分の仕事をスルーすることは出来ない。

学校教育や家庭教育、そして僕らのような仕事は、違和感と矛盾を抱えて苦悩するのが当たり前で、自分の教育思想が完璧だなどと思っている人間はいない。

しかし、公教育や大手予備校や塾、そして私学の有無に関わらず、勘違いもはなはだしい『先生』と呼ばれる人種がいることは確かだ。その一番の被害者は言うまでもなく子どもたちだ。

世の中の状況がどうなっても、権力志向から脱却出来ない先生。生徒よりも、自分の利益を再優先する先生。そしてもっとも最悪なのは、自分が偉いと思っている先生。上から目線でしか言葉を発することができない教師ほど、権力者にはへつらう。困ったものだ。

原子力の再稼働も、環境破壊も、教育の話で飛躍させてしまったが、根っ子は同じで、人生に対する哲学が欠如している結果が招く、人間の脆弱さだと思う。人間が多くのことを学べば学ぶほど謙虚になるはずだ。社会のトップに立つ人間が、謙虚じゃないこの社会は、やっぱり学ぶ力が欠如していると言うしかない。

経済や教育をマクロ的に見て行けば、そこには人間の生き様が多角的に浮かび上がってくるだろう。今まで人類が繰り返してきた文明の崩壊がなぜ生じてきたのか。その理由はいたって簡単だ。人間のエゴである。

残念ながら政治も、教育も、そして経済も、そのエゴを助長してきてしまった。

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コメント

たぶんに学校を含めた教育関係者が教育の目的を知らないというのは驚きです。教育機関に多額の税金が投入=投資されている以上、その目的=リターンは明白ではないでしょうか。

問題は、霞ヶ関で三流省庁と揶揄されるコンプレックスの塊りになっている人達の存在であり、解決策は彼ら/彼女らが他省庁に対してプライドを持つことだと思います。さすれば、下部機関である県市区町村の教育委員会に自負と常識的な目的意識が芽生えると思うのですが...。

しかし、国家一種試験で最下位層が入省する省庁はどうかと。

(かねごん)
驚きです様コメントを頂きありがとうございます。
僕は普通の人よりも公教育、私学の先生方と接する機会が多い人間だと思います(外部の人間として)。
すごく一生懸命な先生がいますよ。しかしソフト面が必死に頑張っても、施設や教室のハード面が立派でも、システムを構築する司令塔がめちゃくちゃじゃどうにもなりませんね。
70年間も基本的には日本の教育のシステムは変わっていません。教壇に先生が立って、数十人の生徒を前に50分間授業をするんですよ。
職員室は相変わらず敷居が高いし、文科省は行き当たりばったりの施策を支持してくるばかり。現場を知らない霞ヶ関の方々が、まるでローリングゲームをやっているかのようですよ。
大体にしてセンター試験で、全ての教科を課すことに何か意味があるんでしょうか。あれ以来日本には専門的な研究者が育ちにくくなったと考えているのは僕だけでしょうか。
国立大じゃなければ学生にあらずなんていう偏った思考が生まれるこの日本の土壌は、おかしいですね。

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