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2014年3月23日 (日)

幸福ってなんだろう

僕が人生でずっと思ってきたことだけれども、頭がいい人が幸福だとか頭が悪い人が不幸だとか、そんなことは人間の勘違いで、頭の良さと幸福の度合いは関係ないような気がする。

自分の想いをいかに実現して行くかが、人間の幸せじゃないかとも考えたりしたのだが、それもどうも違うのじゃないかと近頃思い始めている。

人間の幸福感を一番阻害するものは、将来に対する不安だと思う。不安が一番人間の幸福感にブレーキをかけるものだと思う。その不安をどうにかしようと、お金をなんとか稼いだり、人間関係を構築させようと頑張るのだけれど、そのことで更に多くのストレスを抱え込み、不安が増大していく。

テレビや新聞のニュースをみて、幸せ感を得ることなんかない。殺人や痛ましい事故や、世界の紛争やテロのニュースばかりだ。世界を知ることは大切なことだけれど、知ってどうにかなるものならば、とっくに世界から戦争や紛争は消えている。

テレビや新聞なんかは見ないほうがいい。自分が気持ちい音楽や本でも読んでいたほうがずっとマシだ。それでも必要な情報は入ってくる。

病気になったらどうしよう。仕事がなくなったらどうしよう。家族がいなくなったらどうしよう。お金がなくなったらどうしよう。本当に僕らは不安だらけだ。

何が起きても大丈夫。私は私の人生を生きるだけ。そんな気持ちで生きていけばいんじゃないだろうか。

他人に迷惑をかけない人生でありたいとか、人のためになりたいとか、世界から悲しみをなくしたいとか、僕らは考える。その考える事は人間として正しいことだけれども、僕らは老人になり、動けなくなり多くの支援を受けながら死んでいく。

言っちゃ悪いけど、多少なりとも多くの人に面倒をかけて僕らは生きていくしかないのだ。

理想を持つことはいい。夢多き人生もいい。でも、ありのままの自分を認めることが幸福の一歩のような気が僕はするのだ。醜い自分、だらしない自分、偽りの自分、そんなどうしようもない自分を認めて、それでも自分は自分、その存在をめちゃくちゃ尊敬してやればいい。

所詮自分は自分であって、誰かになれるわけではない。自分の能力も才能も、自分が知っている。知らない振りをしても自分の本質は知っている。知っていながら自分を高めよいとしないことが、悪みたいなことを世の中の人間は言うけれど、まったく大丈夫。

不幸な人はそういった社会通念の犠牲になって、不安をかきたてられ自滅していく。自分は自分。自分なりに頑張ったならそれでOKだよ。僕はそう思うな。

負け犬なんていない。人生の花開くタイミングが違うだけだ。そしてその花さえもそれぞれの気候や風土で違う。人間も同じだと思う。

木陰にひっそりたたずむ幸福もあれば、日向にさく夏の花のような幸福もある。偏差値や学歴、もしくは仕事や年収で幸せが決まるなら、僕らはなんのための存在だろうか。

不安を醸しだして、それを餌にしていきている存在物に僕らは妥協しすぎてきた。もっと自信をもって、自分の馬鹿さ加減を誇りに思えばいい。きっと飄々とした幸せがやってくる。

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