欺瞞と演技
町を歩いていて、お母さんと一緒の幼児や幼子と視線が合うことがある。単なる僕の錯覚かも知れないけれど、その子どもの眼差しから、すごいエネルギーが放射されてきてたじろぐことがある。
心を覗かられたような感覚。子どもには嘘は通用しない。
例えば100の容量を所有して50のことを教えるのは問題ないけれど、50の容量で40を教えることは無理がある。その無理なことを継続していると世の中では通用しなくなる。これは教育だけでなく、医療や政治、経済もそうだろう。
技術的な嘘ならば誰でも見破ることが出来る。ところが精神的な嘘はなかなか見破れない。しかしこどもは一発でキャッチする。
だから親や教師は大変なのだ。頭にきて暴力をふる。その時点で、人間関係は完膚なきまで崩壊してしまう。残るのは虚しい欺瞞と演技だけ。
人が見ていないところで、どんな思考や行動を醸しだしているのか、それが人間性の全てだろうと思う。
大人に絶望した子どもが、そういった世界を軽蔑してくれるうちはいいのだけれど、悲しいかなこどもは大人になると模倣する。その方が楽だからだ。
研ぎ澄まされたこどもの感性を鈍化させるのは我々大人たち。テレビから垂れ流される毒によって、嫉妬や哀れみの負のエネルギーによって。
悪人を演じる善人はまだしも、善人を演じる悪人に、子どもたちは辟易している。僕は善人にはなかなかなれないけれど、せめて人畜無害な道化師でいたい。それが堕落しない僕の秘訣だ。
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