ちょっとまじめに塾の話
塾をやってきて思うことだけれども、塾って存在は不思議な存在だと思う。
本来は学校で授業を受けて理解すれば塾なんて必要がないものだ。学校の先生は、嫌味じゃなくて本当に優秀な方々が多い。大学を出て採用試験に受かって教師になっているわけだから、学問的な素晴らしい教養を兼ね備えた人たちだ。
しかしその彼らでさえ、まんべんなく子どもたちを指導することには大変な思いをしている。一斉授業で落ちこぼれていく生徒をどうするかなんて問題よりも、生活指導や日常の雑用的仕事にヘトヘトになっている。
「塾の先生は教えることに専念出来ていいですね」と、よく学校の先生から言われる。
でもそれも学校の先生方の勘違いだ。昨今学校の先生に保護者の方が相談するのはせいぜい子どもの進路相談ぐらいだろうと思う。
30年間以上塾の教師をやってきた僕だけれど、親御さんの相談は次元を超越している。こどもの悩み相談はもちろんのこと、学費の悩み、時に離婚の相談から、精神世界の相談まで、僕はいったい何屋さんだろうと自問自答する日々だ。
僕は心療内科の先生でもないし、家庭裁判所の人間でもない。しかし頼られればNOと言えない弱気な人間ゆえ、本を読みあさってそれなりの知識は吸収する。しかしそれとてももちろん限界はある。
毎年変わるセンター試験をはじめとする入試要項を頭にいれるのさえ大変な昨今、次から次へと押し寄せてくる悩み相談に、僕の体力は時にネをあげる。
僕は震災以降、非常勤の講師を雇うこともなく(正確には雇うことが出来ず)、道路の雪かきやら、トイレ掃除やら教科指導やら全部一人でこなしている。塾生に「先生1人で全部やってすごいですね」と褒められるのだけれど(笑い)、1人でやらざるを得ない状況なのである。
震災後塾生が減って、講師を雇う余裕がなかった。私立高校で非常勤をやってきたが、そのいただく給料が、そのまま教室の家賃になってしまうことも少なからずあった。
タイトルに、ちょっとまじめに塾の話などと書いたが、なんのことはない、毎度のことながら塾は大変な仕事だよ~という話である。
実は高校での非常勤講師の仕事が3月12日をもって終了する。5年と3ヶ月一関修紅高校には公私ともに大変お世話になった。担当している1,2年生の授業もあと2回を残すのみとなった。教え子達にはずっと内緒にしてきたが、いろんなところから噂が漏れ広がっているようなので、昨日授業で去就の件について、生徒たちに話をした。
関係者各位のはからいで、4月より短大で英語を教えることになった。身に余る光栄なわけで、僕のような人間を推挙していただいた先生方には、感謝してもしきれないほどで、本当にありがたいかぎりである。
震災以後僕のような個人塾も大変だったけれど、それ以上に一関修紅高校は大変だった。体育館の崩壊により部活動が出来ず、様々な会場を転々とした。生徒たちも大変だったが、顧問の先生方やコーチの方々のご苦労も大変だった。そんな中で勝ち取った、男子バレーの全国大会出場は、素晴らしいの一言に尽きる。
中学時代英語の落ちこぼれが、なぜか大学の英文科に入り、29歳には大学受験の英語専門塾を立ち上げ、そして50も半ばになろうとするこの年で、短大で英語を教えることになってしまった。
中学、高校時代の当時の自分に現在の自分の仕事は想像すら出来なかった。実際に希望した理工系の仕事は儚い夢と消え、ガジガジの文系人間になってしまった。それも中高時代一番苦手だった英語が、仕事のメインになってしまっている。
人生とは不思議なものだ。本当に不思議なものだ。
県立高校入試まであと10日。頑張れば人生に結果は必ずついてくる。受験生諸君臆すること無く、前進せよ!
かねごん先生
わかりました。
これからは教授と呼ばせていただきます。
ところで今年の5月の連休ですが
熊ととよ爺と忍者と私で
陸奥に行きます。
宜しくお願いします。
(かねごん)
上野先生おはようございます。
いやいや、ピンチヒッターのまたピンチヒッターのようなもので、僕には身に余る役どころが来てしまって、あたふたしております。
岩手にお出で下さるんですね。楽しみにしております。入試も近づきましたね。体力、気力お互いに年ですが頑張りましょう。
花巻温泉に是非行きたいので。
教授!
宜しくお願いします。
投稿: 上野義行 | 2014年3月 1日 (土) 00時42分