人間の存在
僕は考える。そもそも人間は何のために存在しているのかと。
高校生の時にも大学生の時にも社会人になった時にも、その答えは出てこなかった。しかし今は、なんとなく分かる気がする。
人間は世界を認識するために存在しているんじゃないだろうか。花の美しさ、星々の輝き、愛する人の微笑み、そして自分自身の存在。それらを感知するために、僕らは地球に誕生したのではないだろうか。
我々の認識力が神であり、創造のダイナミックなエネルギーじゃないかと感じている。人間の視線や体験、想いが、そのまま世界の創造に繋がっているんじゃないだろうか。
日常に於けるさりげない感情の起伏や、日々のうつろいは、動き続ける宇宙の胎動であり、原子のさざなみなみではないだろうか。
運命の襞は、いつも我々に過酷のように思えるが、それは我々が選択した世界であり、我々が構築してきた世界だ。
多くの生命が物語を紡いでいく。つまらない人生とか、ありふれた人生などない。全てが連動し世界が動いていく。言ってみれば奇跡の連続だ。人との出会いも、別れもすべてが意味がある。
退屈しのぎに、投げ捨てた石ころ一つさえ、宇宙の風だ。そんな発想で世界を見渡すと、自分の周りの風景が実に深淵な世界に見えてくる。
僕がそんな風に思うことで、僕の周りの世界がそんな風になって行く。面白い。実に面白い。
明日は節分。天界の正月だそうだ。それだって勝手な妄想かも知れないけれど、しょうがないな~なんて思いながら神様達が餅をつくかもしれない。
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