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2014年2月 2日 (日)

子育ての本質は愛だ

戦後の日本の教育は、男女平等が柱となって、民主主義教育が実践されてきた。女性の社会進出がめざましいと言われてきたが、本当だろうか。

仕事のためにまともに育児も出来ない。会社の上司の顔色を伺いつつ、出産をしなければならない。そんなものは、男社会が策謀した偽りの平等社会だ。女性は騙されてはいけない。

中学生の男子が、家庭科で割烹着を身につけてサンドイッチを作る姿や、女子生徒がハンダゴテをもってラジヲを作っている姿が、男女平等の教育と言うならば、それは全くナンセンスだ。

ジェンダーがなぜ存在するのか、なぜ男と女が存在するのか、その本質を知ることなしに男女平等を論じても、日本社会に於ける男子のエネルギーも女性のエネルギーも枯渇してしまうだけだろうと思う。

共働きがごく普通の社会になった。経済的な理由によるというより、家庭に女性が縛られたくないというのが実情ではないだろうか。夫やこどもの世話で、人生を終えたくない。そんな声も聞こえてくる。

能力のないものは、男性でも女性でも生きづらい。だから一生懸命勉強する。しかし、男の特性、女の特性というものがある。学歴や資格以前に、それぞれが性的な長所を持ち、生きて行く指向性をもっているのが僕ら人間だ。

男性が自信を喪失した社会、それが今の日本だ。女性が強くなったわけではない。女性は昔から強かった。弱い男の本質をカムフラージュする社会でなくなってしまったことが、男が生きづらい国になってしまった原因だ。男性の自殺率の高さがそれを物語っている。

塾に通ってくる生徒は、圧倒的に女子が多い。僕の塾は7割が女子だ。今日から始まる中3日曜講座は、お陰様で満員御礼だが、受講する男子生徒はたった1名だ。この状況は何だろう。

女性の勤勉さが、男性の仕事や職場を奪っている。きっとそんなことは誰も口にしないだろう。なぜなら男女平等の社会では誰もそんなことは考えないし、言うことはご法度だ。でも僕は書いてしまっている。

女性が女性であることの尊厳がなし崩しにされている。だから女性は、男性に混じって孤軍奮闘しなければならない。女性の素晴らしい才能が会社で生かされないのは、日本の損失である云々と訳知り顔の政治家さんたちは言う。

女性は子どもに敎育を施す一番身近な存在だ。女性が優秀じゃないはずがない。女性が優秀じゃなかったら、そもそも人類は生き延びては来なかっただろう。

豊かな時代だからこそ、こどもの敎育はしっかりなされなければならない。男女平等とは言うが、幼児期の子育ては、母親の力が必要だ。少なくても4歳頃までは、子どもと共にいて欲しい。

そしてその子育てを、経済面で支えるのが男親の義務なのだ。幼稚園に入ったのち、女性が仕事に復帰できる道を100パーセント保証出来てこそ、本当の男女平等と言えるのではないだろうか。

家庭の経済を支えるべき男性の力が衰退し、子育てをするべき母親の存在がないがしろにされている日本がゆえに、国力が衰退してきたのだと僕は思っている。

男女平等と言われるが、男子が男性らしさを、女子が女性らしさを遠慮する社会であってはいけない。テレビを見ると、女性的な男性が多くいらっしゃる。世間ではオカマと呼ぶらしいが、いやいや彼ら(彼女ら?)こそ、表面の姿とは裏腹に男性的だ。騙されてはいけない。

日本人は策謀された虚構にだまされやすい。男女平等もそう。流行もそう。政治もそう。経済というお金の犠牲になってはいけない。敎育は愛だ。お金で学歴は買えるかもしれないが、子育ての本質は愛だ。通帳に振り込まれる給料の金額ではない。

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