国家主義
スイスで1月に開かれた「世界経済フォーラム年次総会」(ダボス会議)で、取材にあたった米メディア幹部がぞっとする「影響力を持つ中国人の専門家」の談話を伝えた。この専門家は「多くの中国人は尖閣諸島への侵攻で軍事的な優位を地域に見せつけ、シンボル的な島を確保することができると信じている」と語った。世界大戦の引き金になりかねない話の行方に、周辺は凍り付いたという。
尖閣侵攻は日本、中国ほか他の国々に対し、誰が強者なのかを示すシンボリックな価値があるとし、「日米の軍事的な対処で事態が大きな戦争につながっても、さほどひどいこととは思わない」という旨を述べたという。
テーブルの出席者は静まりかえり、マイクを握った参加者の1人が「岩だけで価値を持たない島のために世界戦争を起こす可能性を認識しているのか」と質問したところ、この専門家は「理解している」と回答。尖閣諸島はシンボル的な価値があると繰り返した。(産経新聞)
どこの国でも人間でも言えることかも知れないが、一度経済状態やプライドが傷つけられ窮地に追い込まれた国家や人間は、その状況を脱し上昇気流に乗った時に、傲慢さに操られ搾取に転じる。
古今東西の歴史がそれを物語っている。日本は第二次大戦の敗戦後、貿易と利潤という名のリベンジもって隣国を搾取していった。古代国家のローマや世界を制したスペインやポルトガルのその後の有り様を見ても、衰退の繰り返しは避けられないようだ。
豊かになると、その豊かさが正義だと思ってしまう。お金を持つ人間や国家が偉いわけでも何でもないのに、経済という魔物に侵されていく。
豊かな人生を求めて人間は努力をする。勉強もそう、労働もそうだ。人間の本来の本質は、貧しい時よりも豊かになった時に表出するようだ。そして残念ながら世の中を見渡すと、品のいいお金持ちは少ないように思える。
共存共栄という発想は難しいのだろうか。文明は間違いなく進化してきた。しかし精神性の進化は残念がら滞っている。宗教は人間の安らぎを促進するどころか、地域によっては紛争や戦争の種になっている。そして企業の倫理や政治の倫理は、弱者をないがしろにし、利益をもたらす潮流へ濁流して行く。
人間の尊厳がないがしろにされて国家の安全が保たれるというになら、そんな国家主義はいずれ崩壊するだろう。僕は中国の批判をしているのではない。国のあり方を批判しているのだ。日本も例外ではない。
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