僕は基本的には敵を作らないように心がけているつもりの人間だが、好き嫌いは激しい。自己中な人間を許せないところがある。
教師のくせに「あんなバカどもには教えたくない」などという暴言を吐く人間を、人生に於いて何度か耳にしたことがあるが、『てめぇ~さっさと教師なんかやめっちぃまえ』と心でつぶやいて、その人間とはこんりんざい関係を持たないことを決意する。
生徒でもそうだ。塾に同じ学校の生徒が入塾してくると、「あんな馬鹿とは一緒に勉强したくないです」なんてのたもう生徒がいたりする。月謝を頂いているので、教えるべきことは教えるが、正直教える情熱がほとばしり出ることは無くなる。
IQが低い人間とは付き合いたくないとか、バカなやつとは一緒にいたくないなんてのたもう人間こそ、明らかに何らかの心の闇を抱えている。成功した人間がそうじゃない人間を憐れむ感情や、不本意な人生を送る人間が成功者に嫉妬する感情も、自己中な精神から現れる人間の弱さだろうと思う。
出来る人間と出来ない人間を偏差値や点数で振り分けることの善悪はさておいて、その区別が子どもたちや親たちの間で、差別となっていることは間違いのない事実だ。
僕は塾業界に30年以上足を突っ込んできた。さすがに東大出の人間と仕事を一緒にしたことはないが、それ以外の一流と言われる大学を終えた人間とは、部下になったり上司になったりの仕事はしてきた。早慶、上智、一橋、塾業界にはうじゃうじゃいる。ちなみに僕は4流の私大だ。
僕は田舎の私立高校を終わっている。一学年200名ほどの高校だったが、大学に進んだのはわずか3名というすさまじい高校だった。荒れているという表現はぴったし来ない。今風に言えばカオスだった。担任に大学に行きたいと言ったら、「この学校は受験対策なんかしないから、予備校にでも通え」と言われた。
そんなことを言われても、我が家にはそんなお金はない。そもそも私立高校の授業料でさえ、奨学金とバイト代を駆使して自分で払っていた。
夜中のバイクも音楽をがなりたてることも封印し、受験勉強に向かったのは高校2年の夏だった。かつてのこのブログでも書いたが、中学校時代の教科書を引っ張り出してきての格闘の始まりだった。ちなみに母校の名誉のために言っておくが、現在は特別進学コースなるものがあって、早稲田や地元国立大学、そして岩手医大にも進学した生徒がいると聞いている。陸上や野球も名門である。
僕はバリバリの体育系の人間だが、喧嘩に巻き込まれたことがほとんどない。青春時代の自慢である。ほとんどと無いと言ったけれど少しはある(笑い)。実は喧嘩が強かった。一度も負けたことがない。
今でもたまにヤンちゃな高校生が、僕に腕相撲等の腕力を挑戦してくるのだけれど、ほとんどの高校生は僕に勝てない。親指と人指指だけを使った腕立て伏せを授業中に披露したら、ビビっていた。
当時の高校の同級生で、塀の向こうに暮らしたことがある奴がいるが、今でもそやつは僕を恐れている(笑い)。僕は滅多にキレることは無いのだけれど、僕が切れる時はかなり怖いらしい。
かつて高校の同級生の伜が僕の塾にやってきた。中学校ではかなりのやんちゃぶりを発揮しているらしのだが、僕の前ではやけにおとなしい。そのやんちゃ少年は、父親から僕の若き日の武勇伝を聞いてきたらしい。そいつの父親は何を吹聴したのか知らないけれど、塾にきた彼はビビりまくっていた(爆笑)。
僕はこんなオヤジだ。昨年岐阜におじゃました時に、上野塾の上野先生が居酒屋で撮ってくれた写真だ。自然体の自分の姿が写しだされていて気に入っている。帽子をかぶっているので、禿頭も隠れていてなかなかいい。
人間の能力を若い内に見限ってしまったり、あきらめさせたりするのはよくない。出来の悪い人間は努力でなんとでもなる。出来の悪い人間を集めて集団催眠のごとく、ダメ人間にしてしまっている今の教育は間違っている。
進学校の生徒が、底辺校の生徒を小馬鹿にしている事実。大学でも会社でも、ピラミット構造の上層部にいる人間は、凡人を上から目線で眺め渡す。それが嫌だったら上にのし上がってみればと言う声を耳にする。
その通りだ。馬鹿にされたくなかったら自分の能力を磨けばいい。学校の教科のカテゴリーで勝てないなら、違う分野で勝負をすればいい。難しいことではない。勉強が嫌なら学校なんて見限っていいのだ。その代わり死ぬ気で自分の道を歩めばいい。
移りゆく人生をずっと勝者でいることは不可能だ。時に負け犬なってもいいだろう。挫折もいいだろう。しかし自分の能力を見限ってはいけない。努力を怠っては行けないのだ。花の咲かない花はない。自分という花を誰も日向に持って行ってくれなければ、自分で這いつくばって行けばいい。
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