歴史の中で
昨年は山岡荘八の歴史小説にハマった。徳川家康、伊達政宗などなど、古本屋さんに並べてあった本を買ってきては読みあさった。
今年も引き続き僕の山岡荘八ブームは続いており、今日から徳川家光3巻を読み始めている。
歴史は必然だろうか、そんなことを若い頃から考えることが多かった。権力の座についた人間が幸せだったかどうかは正直なところ分からないけれど、支配する人間と支配される人間の物語は、常にある種の諦観と哀しみを醸し出す。
人は生きるために働き、時に家族を守るために戦う。現代という時代が多くの歴史の残像を抱えて存在していることに疑いの余地はないけれど、いい意味での個人主義が喪失され、集団催眠のようなあまりにもバーチャルな世界に僕らは閉じ込められてしまった。
歴史は繰り返す。その循環のなかで、大切なものは何かを僕たちは、残念ながら失念してしまってきたようだ。
かつて井上陽水は「探しものはなんですか、見つけにくいものですか」と歌った。いつまでも探し続けるピエロの役はそろそろ終わりにしたい。
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