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2014年1月13日 (月)

必ず運は開ける

誰でもが、ちくしょう~なんて叫んだことがあるだろう。

自分が不甲斐なかったり、理不尽な状況に地団駄を踏むことがあったはずだ。何が悪いんだろう。歯車が合わないのはなぜだろう。そんなふうに僕らは日々の中で、苦悩をする。

僕は運というものをよく考える。傍目から見ると、努力をしていそうじゃない人間が、富と安定を得たりしている。ジェラシーがほとばしる。

大学入学や企業への就職もそうだ。親の財力や、コネの力がモノを言う世界にうんざりという輩も多いだろう。

真実はどうあれ、苦悩を感じない人間はいない。どんな華やかな人生でも、成功に彩られた人生でも、かならず老いが訪れ、今生の別れがやって来る。悟りを開いても、達観してもそのことは避けることはできない。

昨日は一関市も成人式だった。晴れ着姿の女の子たちを見かけた。若さというものはいいものだと思うけれど、時としてその若さゆえに訪れる苦悩や、焦りというものがある。

自分の将来に、バラ色の夢を見ている若者も多いだろう。学歴があり、資格があり、そして財力が後ろ盾になっているならば、生きる糧に心配はない。

一方、学歴がない、資格がない、そしてお金もないという状況はどうだろう。それは単に運がないだけだろうか。それとも家庭状況が悪かったせいだろうか。不満を社会のせいにして、愚痴を言っている日常が、健全でないのは誰もがわかっているが、その打開策に困窮している若者が多くいることも事実だ。

その人の人生は、その人の想いが作って行く。よく言われることだ。しかし、誰も貧乏で惨めな人生など希望しないだろう。本当に想いは人生を作って行くのだろうか。

雪国に住む人は、本当に冬の生活が大変だ。暖かいところに住みたいと言う。しかし雪国ゆえの美しさも知っている。南国に住む人は、台風が大変だと言う。しかし南国の海の美しさを知っている。

与えられた環境や状況の負の面だけに僕らの意識が向かうことが多いが、実はその環境や状況が、運を切り開くチャンスだということがあるのではないだろうか。

失敗や逆境を糧に出来る人間と、そうじゃない人間の違いはどこにあるのか。それは、諦めないということじゃないだろうか。何度でも何度でも起き上がれる人間は強い。

自分を過大評価することなく、卑屈になることなく、謙虚に時に大胆に、自分の道を進む人間が夢をつかんでいく。その人間性の土台は本人のやる気で決まる。

難しい哲学も心理学も、そして怪しげな宗教も、セミナーも必要ない。やる気だ。やる気があれば、おのずと机の上は片付いて行く。ぼーと惰眠をむさぼることもない。

やる気があれば、病気も疫病神も近づいてはこない。本当は簡単なことなのだ。年齢も学年も財力も、そして容姿も関係ない。

分数計算が出来なければ、分数計算の練習をすればいい。小学校の漢字が書けなければ、チラシの裏にでも一生懸命練習すればいい。金が無ければ、肉体労働でもなんでもやればいい。

じっとしていても、お金はやってこない。仕事も見つからない。その単純なことに気づかいない人間が実に多い。

パソコンが触れないので、仕事が見つからないという声を聞く。冷静に考えれば、単にやらないだけだろう。やる気がないだけだ。自分が陽の目を見ない理由を、数えて列挙する暇があったら、行動を起こすべきだ。

能力の差なんてない。やるかやらないかだ。高額のお金をだして、セミナーや講習会を受けても、やらなければだめだ。

俺頭が悪いし、金もないしなんて言ってないで、今やれることを始めることだ。必ず運は開ける。

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