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5日目の冬期講習を終了し、本日今年の仕事を終えた。来年は1月4日土曜日の通常ゼミから塾が始まる。高校での授業は1月9日からだ。
明日は大晦日。午前中は神棚やら自宅のお明神様の掃除、御札替え、そして1年の無事に感謝する御礼で過ぎていく。
震災から3年弱が過ぎて、塾の仕事にもようやく光明が見えてきた。今年度一杯で5年間勤めた私立高校での非常勤講師の仕事が終わる。
震災後経済的に大変だった塾の経営、私立高校にて仕事を与えてもらったことは、本当にありがたかった。塾だけの世界しか知らなかった僕の視野を広げても頂いた。感謝でいっぱいである。あと3ヶ月弱、高校での授業も全力投球で行きたい。
入試も近づいてきた。塾生も必死だ。今年も、いい感じの緊張感、そして集中力がほとばしっている。僕も気合が入る。
寒い日々だが、教室は熱気があって暑い。
頑張ろうぜ受験生!
今年の夏、初めて僕は飛行機に乗った。花巻空港から名古屋小牧空港まで、1時間ちょっとのフライトだったが、人生のなかでこれほど、有益な旅はなかった。
岐阜の上野塾の上野義行先生の招待を受け、美濃に舞い降りた僕は、上野先生に大変お世話になった。
上野先生そして先生の奥様には、震災以後数々の支援を頂いた。放射能が心配で、自分の畑の野菜が食べられない時に、上野先生から送られた野菜の嬉しさは格別だった。
そして今日また野菜そして美味しい干し柿を頂いた。いつも達筆な手書きの手紙が添えられてくる。雪の風景の中に、ほんわかとした優しが我が家を包み込んだ。
2日間続いたぽかぽか天気もつかの間。今朝はまた一面の雪の世界。
庭の松の木に、僕が施した雪吊りが発揮しだす季節がやってきた。
今日は土曜日、冬期講習はお休み。でも通常のゼミは朝9時から夜9時まである。宮城県の町から1時間近くかけて、僕の一関の塾に通ってくれている小学生がいる。
こんな凄い雪の日は、親御さんは本当に車の運転が大変だ。ゆっくり気をつけて来てくださいね。
今年も今日を含めてあと4日。皆さま、どうぞ雪道には細心の注意を!僕も頂いた冬期講習のお金で、どうにか2台の車のタイヤを新しい雪タイヤに交換することが出来ました。かかった費用は5万円。
東北の冬はお金がかかる・・・・・・。仕方がないか・・・・・。
東京電力は27日、福島第1原発2号機の海側にある観測用井戸で26日に採取した地下水から、ストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり210万ベクレル検出されたと発表した。この井戸は上昇傾向が続いており、最高値を更新した。
東電によると、井戸は護岸から約40メートルの場所にあり、これまでの最高値は19日の同190万ベクレルだった。東電は地下水のくみ上げによる影響と説明しているが、詳しい原因は分かっていない。 (時事通信)
210万ベクレルという数値を報道することはいいのだけれど、この値が周辺にどのような影響をあたえるのかを一切書かないあたりが、最近のウエーブニュースの限界だ。
地下水にどれほどのダメージがあるのか、大気中に放出される放射能の危険度がどうなのか、誰も言わない、書かない。
いいのかな。いいわけねえだろう!と一人ブチ切れてみても、空回り。
・・・・・一関の夜空に宝石のような星が輝いている。美し過ぎるこの自然が逆に僕は怖い。
安部首相が靖国神社を参拝したことに、珍しくアメリカが嫌な顔をした。
中国や韓国といろいろあるこの時期、自重しろよということなのだろうけれど、間違いなく文句を言ってくるのは越権行為だろうと思う。
だいたい靖国=軍国主義という考えがナンセンスだ。戦後70年近く経って、いまだ靖国神道の意味を説明できていない日本政府もだらしないけれど、理解しようとしない他国の見識者も幼いと言うのか、時代錯誤もはなはだしい。
戦争を美化するために、靖国神社があるわけではないし、日本の軍国主義の象徴として靖国神社があるわけでもない。戦犯が祀られているから、参拝はよくないなんて理論がまかり通っているが、全く言いがかりだ。
靖国神社に戦争を導く魔物でも住んでいるような他国の反応ぶりだが、そうだとするならば、伊勢神宮や他の神社だって同様だろう。何が違う!
僕の祖父は20代で戦死した。僕の母がこの世に生まれた時、太平洋の南東で朽ち果てた。遺骨として送られてきた箱には,石ころが一個入っていただけだった。
東京の大学に入った僕は、靖国神社を訪れた。感無量だった。戦争で亡くなった多くの方々の無念と哀しみが、靖国神社だけで癒されるなんて思っている人間は日本にはいないだろう。
戦争で亡くなった方々の魂は故郷に帰り、故郷の土に空にそして人々の心のなかで癒やされて天国に戻っている。
靖国神社は他の多くの神社と同様、鎮魂の場所ではあるが、他国が牙をむきたくなるような場所ではない。祀られている神霊に失礼だろう。
宗教が戦争を引き起こすのではない。魂も神様の真実も分からない愚かな人間が、自分の欲望のために、宗教や神様を担ぎ出すだけなのだ。
キリスト教だってそうだろう。未開の国へ神父たちを送り込み、てなずけて国を占領し支配下におさめていった。
アメリカの先住民も、オーストリアの先住民も、神を崇める立派な精神性を持っていた。その文化どころか、彼らの生命や土地を奪ったのはどこの誰だろうか。
過去の歴史の汚点という言葉が、靖国神社にはいつもへばりついてくるが、笑っちゃうよ。
中国は文化大革命の時に何をやった。アメリカ人は核爆弾をどこに落とした。日本の総理大臣がいつまでも、隣国のご機嫌取りをしているから、日本人が大切にしてきた鎮魂の場までもが、侮辱されてしまうのだ。
違うだろうか。
過去の年賀状を整理していたら、印刷だけして出さずじまいの100枚近くの年賀状が出てきた。2003年の年賀状だ。
祖母が亡くなった年の年賀状だ。94歳で亡くなった。
父も祖母も12月に亡くなった。父の葬儀はクリスマス・イブだった。墓石に刻まれているご先祖の命日を見ると12月が圧倒的に多い。
400年間岩手の地で百姓を営んできた我が家。僕で18代目。長男で19代目だ。昔のコメ作りは大変だった。全てが手作業。11月に収穫が終わりほっとしたところに寒波がやって来る。体調を崩すことも多かったのだろう。
毎年暮れも押し迫ると、笠地蔵の話を思いだす。
生きて行くことで精一杯だった時代。正月の休息は百姓にとって、唯一の安らぎだっただろうと思う。神棚に餅を供え、お神酒を飲む正月。しんしんと降る雪の中で、やって来る春を待ちわびる。
農家の長男に生まれた僕は、猫の額ほどの耕作地では食べて行けず、何をどう間違ったか、田舎町で寺子屋などを営んでいる。サラリーマン稼業が身に合わず、風来坊のような人生を送ってきた。
自分がいる場所、自分がやっていることは、全て自分の思いが結実した結果なのだろうと思う。自分が選択してきた人生だ。
若い頃、都会の華やぎも寂しさも経験した。故郷に戻り、田舎の良さも、侘びしさもわかっているつもりだ。
生きることに於いて大切なことは、知性や行動力もさることながら、自分の感覚に自信を持つことだと思う。
もうあっちの世界に逝ってしまった方々の年賀状を整理しながら、僕は過去の人々の世界観に浸っていた。
先日の日曜日は、家内が主催するシュタイナーこども教室、風と虹のクリスマス会だった。
アドベントガーデンに使う杉の葉やひのきの葉は、京都や青森から送られたものである。震災以後の放射能の影響を心配して、青森、そして兵庫でシュタイナーの学びを実践している方が、わざわざ送ってきてくれたものだ。
自宅の座敷が教室になっているのだが、日曜日は静謐な祈りの場となり、僕がライヤーを奏でる中、子どもたちやお母さん方が、りんごに灯したろうそくを手に冬の夕暮れ時、静かな光に包まれた。
サンタさんが元気にメーリークリスマスを連呼するクリスマスもいいが、静かに内観するクリスマスもいいものだ。
小学生も高学年になると、クリスマスはプレゼントをもらう行事に形骸化してしまうが、春までの厳しい季節、僕らの生命がどうか輝き続けることを、神に祈る人間の営みが、本来のクリスマスではないだろうか。
僕が今の塾を始めたのは、バブルの時代が終焉する直前の頃だった。大学受験の英語専門塾として開校した僕の塾は、私立大受験が華やかな頃で、全く無名の個人塾のわりには、多くの高校生に利用して頂いた。
そもそも大学受験の英語だけを教える塾なんて、その当時は一関に無かったので、珍しさも手伝って、順調な船出だった気がする。
しかしバブルが崩壊すると状況は一転した。私立大学に子どもを入れる余裕がなくなり、国立大志向がいっきに加速した。すると英語よりも数学や理科系の科目の需要が増え、英語そのものの需要は激減した。
14年前に、高校生の英語部門を縮小し、高校受験のための5教科指導に塾の指導を切り替えた。大手塾の月謝高に救われ、リーズナブルな月謝金額の僕の塾は、9坪にも満たないガレージを改造した教室に、100名を超える塾生を抱えるまでになった。しかしそれもつかの間。
少子化の波は、高校入試の倍率をいっきに下げ、進学校以外の公立高校は、軒並み定員割れの時代に突入した。おのずとほとんどの塾は、一関第一高等学校や一関高専などの難易度の高い学校への受験指導を旗印にする塾が増えた。
リーマン・ショックがやって来て、そして東日本大震災が来た。中学生の塾通いが急速に減った。
入れる高校に入れればいい。そんな雰囲気が全体に漂い始めた。高校に入ったものの、受業についていけず辞める生徒が増えている。私立高校では授業料未納の生徒が増え、学校の経営を圧迫する状況が生まれている。
分数の計算が出来ない高校生。アルファベットの小文字が書けない高校生が、増加している。そんな状況がいいわけがない。
たとえ高校に入ったにしても、基礎学力が無ければその先が大変だ。家庭の経済力の危機が、家庭の生活力を奪うだけではなく、教育を施す姿勢さえも奪ってしまっている。
学歴がなくても生けてはいけるが、知性が無ければ、この時代を生き抜くことは困難を伴う。生きる力の基礎体力は実は幼児期に形成される。その大切な時期が、やんごとなき理由で、完璧に施されてはいない。
また奨学金の問題も由々しき状況だ。奨学金の返済のために結婚さえままならない若者が急増している。消費者金融なみの利息が、奨学金に付随する時代、何が奨学金だという怒りの声が聞こえてくる。
かく言う僕も、高校も大学も私学だったので奨学金には大変お世話になった。返済が終わったのは42歳の時だった。利息のない奨学金だったから良かったものの、利息があれば大変だったろうと思う。
僕の塾の月謝金額は、開校当時の半分になっている。朝三暮四のごまかし設定をしているわけではない。保護者の皆さまの教育費の負担をできるだけ軽減したいとの、僕の想いだ。しかしそれでも、お金が工面できないご家庭が多いのだろうと思う。親の経済力と、子どもの幸福度が、教育の有無によって構築されて行く社会にずっと腹ただしさを感じてきた僕だが、今やその想いはマックスになっている。
人生の幸福感が、お金に左右される社会だ。仕方がないと、ため息をつくことは簡単だけれど、お金に惑わされない強靭な精神は必要だ。
自宅教室のクリスマス会で、ライヤーを演奏しながら、目を輝かせている子どもたちを前にして、静謐な時間を子どもたちと共有できる喜びをかみしめていた。
ハーレルヤ!
先日公務員のボーナスの話題が新聞紙上で踊っていた。
支給額平均2.2ヶ月。僕の同世代の公務員の方や公立学校の先生方のボーナスはゆうに100万円を超える。
年2回のボーナスだけで、僕の生涯平均年収の額を軽く超える。羨ましい限りだ。
しかしお金があれば、立派な家を建てたり、いい車に乗ったりするので、やっぱりいくら稼いでもふところは微妙な人もいるのだろうなと思う。
僕はお金がないので、飲みに出歩くことはしないし、もちろん家を建てたり、高級車を買ったりは絶対しない。いや出来ない。自慢するわけではないけれど、貧乏なりの暮らしのノウハウは心がけているつもりだ。無ければ使わなければいいのだ。
下着だって、1000円もするパンツと100円ショップのパンツの違いなんて金額ほどの差なんてない。お金が無ければ無いなりの格好でいい。
負け惜しみでもなんでもなく、今生の僕のテーマは金儲けではないようだ。粛々と人生を生きること、お金以外の価値観を人生に見出すこと、それが今生の僕の魂の修練のような気がする。
貧乏は学びになるけれど、貧困となると話は別だ。貧乏はお金が無いことだけで済むけれど、貧困は文化がないことだ。つまり精神的教育の欠如が生じる。
富の分配は、民主主義の社会では絵に描いた餅だ。もちろん平等なんて存在しない。
貧乏でも知性は鍛えられるが、貧困はそうはいかない。ある種の洗脳が知らず知らずのうちに施されていく。
貧困を救うのは教育だ。言葉にすれば単純なようだけれど、貧困の根っ子は深い。本当に深い。政治のありかた。宗教のありかた。そして教育のありかた。富めるもの達は、その大切な核を忘却の彼方に置き忘れている。
昨日は大変な一日だった。
長男が会社に行く途中凍結した道で、ハンドルと取られ、車が疾走。大破した。
警察の車が3台もやって来る大騒動。僕も勤務している高校の受業を放棄して、現場の事故処理に急いだ。
息子が持っていたケータイがグチャグチャになっていたし、妻が持たせた弁当の箸入れさえも粉々になっていた。
奇跡的にも息子はかすり傷一つなし。エアーバックに命を救われた。
前日に家内と僕が、水沢の駒形神社に、今年の家族の無事を感謝しに行ってきたばかりだった。そして今日は父の24回目の命日。
神様や、息子の祖父が、守ってくれたのだと思う。
車がだめになり、多くの出費がかさむが、何よりも怪我がなかったのは、本当に奇跡だった。感謝にたえない。
今日は皆さんに謝らなければなりません。
実は、僕の記事に関していろんなメールを頂くのですが、まあなんというのかブログハンターみたいな方がいらっしゃって、原子力や放射能関連の記事に対して、味方を装おい、僕が書いていない、もしくはブログで書けない内実を引き出し、様々な場所に晒し、僕を精神的に追い込み、ブログを書かせなくしようとしている組織の方がいらっしゃるようです。
事実そのような作戦にやられ、ブログを放棄した反原発の方々もいらっしゃるようです。
本当は僕のことを思って、メールを下さる方もいると思うのですが、何分そういう事情があって、僕も怖くて返信が出来ない状況にあります。
過去の原子力関連の記事に対して、多い時には日に30も40もの無意味なコメントを送ってきたり、僕の記事をアダルトサイトのリンクに貼って、僕のブログに誘導したり、本当にあの手この手で、攻撃をしてきます。
お前は単なる塾屋なのだから、素人が分かったふうな口をきくなということなのでしょうが、はっきり言って失うものはなにもありません。
たとえ塾を潰すぞと脅迫されたとしても、最初から潰れているような塾なので(笑い)、大丈夫です。
震災後は除染やら、放射能防御の様々な機器の購入やらで、年収が15万円にしかなりませんでした。過去の記事にも書きましたが、工場勤務をしている息子にお金を工面してもらいました。笑うしかありませんよ。
そうかと思えば昨年は10ヶ月も磐井川土手の工事のために、塾前の道路は封鎖。通るのは猫やワンちゃんぐらい。蓄えも完全に底をつきました。
まあそれはいいとして(よくはないけれど・・・苦笑い)、本業に一生懸命にならないとやばい状況でして、このブログも最近は生徒募集に必死に利用させて頂いています。そのかいあってどうにか冬期講習会も満員御礼に近い状況になりました。
でもまたそれが面白く無いという方がいるかも知れませんが、まあご勘弁下さい。
そういうわけで、メールでの過去の記事に対する問い合わせには、沈黙していることをお許し下さい。悪気があるわけでも、無視しているわけでもありません。巧みな誘導尋問的なメールとなかなか見分けがつかない状況ですので、怖くて返信が出来ないでいます。ご了承下さい。
当塾の冬期講習も中学3年の午前コースがあと2名で定員になります。受講希望者はお急ぎ下さい。
午前が都合悪い場合は、午後コースに申し込み下さっても構いませんが、受験学年以外の午後コースも、席が残り少なくなっています。
今年の冬期講習は、定員を減らしました。教材も吟味しました。この冬休み、勝負してみませんか。
奇跡を起こすとは決して言いませんが、間違いなく進化は遂げると思います。たかが入試ですが、されど入試です。
誰もが不安はあるでしょう。不安を払拭するためには、頑張ればいいのです。まずは苦手なところにかぶりつきましょう。2月、3月になってしまうと、苦手分野には降りていけないものです。まさしく今でしょう。
英語の長文が読めないと嘆いているあなた、まずは自分の単語力を知って下さい。
簡単なことです。中学1年から3年までの教科書の中から、読めない単語、意味の分からない単語をまずはピックアップです。そしてその単語と向き合って下さい。逃げてはだめです。
数学はとにかく関数が勝負です。1次関数と2次関数の出題点数が岩手県はめちゃくちゃ高いです。融合問題に力を入れて下さい。
社会と理科は、暗記科目と言われますが、僕は違うと思います。ストーリーを構築して、物語として内容を掌握して頂きたい。地理にも物理にもそこはかとなく物語はあります。
国語は、文章読解のスピードが要求されます。問題を解かなくていいので、必ず毎日1題、入試の長文を読んで下さい。そして分からない言葉や表現は必ずチェックすること。問題が当たったはずれたというよりも、そっちの方が重要です。
県立高校入試まで3ヶ月をきりました。本当のラストスパートです。
カーリングのソチ冬季五輪世界最終予選最終日は15日、ドイツのフュッセンで女子最後の枠を懸けた五輪出場決定戦を行い、日本の北海道銀行がノルウェーに10―4で快勝し、女子の日本勢で5大会連続の五輪出場を決めた。同日の中国戦では、メンバーの苫米地美智子選手(33)の出身地・二戸市内のホテルでは、関係者が熱い声援を送った。
パブリックビューイングには、苫米地選手の夫賢司さん(35)ら約40人が集まった。苫米地選手がストーンを投げるたびに「よし」「ナイスショット」と歓声が上がり、鈴やメガホンをたたく音が鳴り響いた。
第7エンドで苫米地選手のショット率が100%とテレビ画面に表示されると、会場から感嘆の声が上がった。岩手日報
岩手県福岡高校出身の苫米地美智子選手が、日本女子カーリングオリンピック最終予選で緻密なプレーを展開し、ノルウェーを撃破、見事オリンピックの切符を手に入れた。
岩手県人の冬期オリンピック出場は、1994年リレハンメル・オリンピックに出場した三ケ田礼一選手以来、5大会ぶりとなる。
苫米地(とまべち)さんはご主人の賢司さんと二人三脚で、オリンピック出場を目指してきた。ここまで大変な道のりだったろうと思う。心よりおめでとうを言いたい。
東京電力が福島第1原発の海側で、地下水が放射性物質に汚染されていると公表してから19日で半年になる。放射性物質の濃度は上昇し、海への流出も続くが、東電や政府は抜本的な解決策を打ち出せておらず、収束の兆しは見えない。
第1原発では特に1、2号機の海側で高濃度の汚染地下水が検出されている。12月に入ってからも、護岸から約40メートルの井戸でストロンチウム90などベータ線を出す放射性物質の濃度が上昇。12日に採取した地下水からは1リットル当たり180万ベクレルが検出され最高値を更新した。東電が放射性物質を含む水を排出する場合の暫定基準はストロンチウム90で10ベクレル未満だ。
東電は汚染地下水の海への流出を防ぐため、1、2号機の護岸近くに止水剤を注入し、土壌を固めて地中に壁を造った。壁の手前で地下水をくみ上げているが、11月17日には壁を越えた海側で地下水の放射性物質濃度が3日前の27倍超の同2100ベクレルに上昇。汚染の拡大を防げない現状が浮き彫りになった。
地下水の汚染は、1~3号機原子炉で溶けた核燃料を冷やすため注入され、原子炉建屋などの地下にたまった高濃度汚染水が混ざったことが原因とみられる。汚染水がどこから地中に漏れているのか、東電も政府も把握できていない。
第1原発では事故直後の2011年4月と5月、2号機や3号機のトレンチ(ケーブルなどの地下管路)に流れ込んだ高濃度汚染水が海に流出した。このトレンチにたまった汚染水が地中に広がった可能性が当初指摘されたが、タービン建屋などから直接漏れた恐れも否定できず、特定は難しい。
汚染地下水は港湾に流れ込み、外洋に拡散している可能性が高い。東電は外洋の海水面近くの放射性物質濃度に大きな変動はないと説明するが、海底には事故で放出された放射性物質が沈んでおり、地下水流出の影響は正確に把握できていない。 時事通信
閉店間際のスーパーの鮮魚コーナーをのぞくと、三陸沖や太平洋岸の表示がされている魚はだいぶ売れ残り、半額以下の赤札表示になっている。
一方インド洋沖でとれたカジキマグロなどは、目が飛び出るほどの金額だが、結構売れている。消費者は愚かではない。
三陸の漁港の復興は大切だ。しかし東京電力福島第一原子力から海に流れ出ている、ストロンチウムやセシウムの汚染水を考えるならば、近海漁の摂取は無理があるだろう。
風評被害だろうが実害だろうが、東京電力は、漁業に携わる皆さんの補償はしなければならない。地下水流出の影響を正確に把握できていない状況で、太平洋岸の魚に関して一切の警告を発しない、厚生省及び食糧庁の傍観はあってはならない。
福島第一原子力の修復に費やされる国家予算は、きっと天文学的な数値になるだろう。儲かった時は、自分の会社の利益。大変な事態になれば、尻拭いは国民の負担になって行く。
かつての銀行の破綻処理もそうだった。巨大企業は潰れてはだめで、そうじゃない企業は自己責任。民主主義の自由競争社会の矛盾がこれほど明らかなのに、なぜそれを国民は容認してしまうのだろう。
選挙という形で、民意を反映できなくなってしまったこの国に、果たして明るい未来はあるのだろうか。降りしきる雪を眺めながら、空の色と同じ陰鬱な気分になっている自分がいた。
12月13日は、金沢公民館にて、一関市立金沢小学校全児童を前に、クリスマス会おはなしポケット・人形劇・読み聞かせ&サンタライブが行われた。
人形劇はヘンデルとグレーテル、児童たちの大喝采を浴びた。この人形劇の後に、かねごんサンタが登場し、歌をうたうという流れなわけだが、待っている間舞台裏を撮影。
全て手作りの人形と舞台である。おはなしポケットのお母さん方の情熱に脱帽である。
今回は新曲の『送別の歌』をいろんなところで歌いまくっているが、『かぶとむし』以来の出来栄えじゃないかと、勝手に自画自賛である。
今日も花泉中学校男子卓球部の三送会で、この『送別の歌』を歌ってきた。リクエストにお応えして『かぶとむし』も歌って来たのだが、生徒より保護者の方々が爆笑していた。
今日で今年の僕のミニライブも終了だ。さあ冬期講習そして入試といよいよ今年度も佳境に入って行く。頑張るべ~。
文部科学省は13日、国際社会で活躍できる人材の育成に向けた「英語教育改革実施計画」を発表した。早い時期から基礎的な英語力を身につけさせるため、小学校5、6年の英語を正式な「教科」に格上げし、中学校の英語授業を原則として英語で行うことなどが柱。教員の指導力向上に向け、都道府県ごとに中高教員の「英語力」を公表する仕組みも設ける。
詳細な制度設計は年明け以降、同省の有識者会議や中央教育審議会で検討。東京五輪が開かれる2020年度の全面実施を目指す 下村博文文科相は同日の閣議後の記者会見で「単なる受験英語ではなく、日常コミュニケーションツールとして教えるための転換点であり、時代の要請だ」と強調した 実施計画によると、教科ではない「外国語活動」として実施している小学校英語の開始時期を現在の5年生から3年生に前倒しし、5、6年生で英語を正式教科とする。
5年生からは現在の中学校の学習内容を一部取り入れ、週3時限を割いて基礎的な読み書きを学ぶほか、3、4年生では英語を聞いたり話したりする時間を週1、2時限分設ける中学校での英語の授業は英語で行うとし、高校の内容も一部採用。生徒の目標となる達成レベルを英検「3級程度」から「準2級程度」に引き上げる。高校も授業内容をより高度にし、卒業時に「英検2級か準1級程度」の力が身につくことを目標とする教員の指導力を高めるため、都道府県ごとに英検「準1級レベル以上」の英語力を持つ教員の割合を定期的に公表するほか、中高の全英語教員に英検準1級や英語能力テスト「TOEFL」の受験を促す。指導の充実を図るため、高い英語力を持つ一般の人が小学校の英語の授業を行えるよう特別免許状を新設する。(日本経済新聞)
怒涛の英語教育改革がスタートするようだ。しかし文科省と教育現場の温度差は相変わらず激しい。
『英語にそんなに力を入れてどうするの』という学校の先生方の意見は多い。東京オリンピックがやってくるので、英語の強化をという声が文科省であがっているようだが、時代錯誤のゴリ押しとしか言いようがない。
国際化の中で、英語の需要は確かに高まっている。しかし英語を知ることと話すことは似て非なるものだ。英語学は知であって、英会話は技術だ。それを文科省は理解していない。
高校卒業までに英検準1級の英語力?むちゃくちゃな要求だ。中学生や高校生の勉強時間を全て英語にしても無理だろう。
文科省や国のトップは、真剣に日本をアメリカの州にしようと考えているんじゃないだろうか。恐ろしや~。
英語が出来てなんぼやねん!そんな叫びが聞こえてくる。
英語が出来ない人間がダメ人間で、英語ができるやつが優秀なんていう教育になったら、日本の教育は崩壊する。間違いない。
僕は一応英語が出来る。東大の入試の英語も解説できるし、アメリカ人との日常会話もなんとか少しは話せる。しかし自分を優秀だなんて思ったことは一度もない。決してない。
微積や基礎解析はちんぷんかんぷんだし、物理もさっぱりだ。ちょっとした機械を修理することすら出来ないし、徳川15代の将軍の名前さえろくに覚えられない。
田舎で英語が出来たって、せいぜい学校の先生か塾の先生ぐらいの仕事しかない。国際化?笑っちゃうね。
子どもたちを本当に国際人にしたい、しなければならないと、どれだけの英語教師が心から思っているだろうか。受験があるから教えてんじゃないの。その辺のところがうやむやで、英語改革なんて無理だよね。僕はそう思っている。
今年も瀬戸内英語学院の山田純一先生より素敵なカレンダーを一杯頂きました。美味しいお蕎麦までも。本当に恐縮です。
早速塾生にカレンダーをプレゼントしました。山田純一先生は、震災の時に多くの支援物資を送って頂きました。それ以来、年の瀬になると、カレンダーを送って頂いております。
山田先生の英語塾は、毎年多くの難関大学に合格者を出している、伝統と実績に培われた進学塾です。先生のブログを拝見していますが、その見識の深さにいつも脱帽しております。
山田純一先生本当にありがとうございます。
大験セミナーの冬期講習の日程が、12月25日よりとなっておりましたが、一関市内ほとんどの中学校が25日に終業式ということで、25日分の中3生の午前の冬期講習を12月30日にスライドします。ご了承下さい。
尚、12月14日現在、中学3年生の冬期講習会の空きはあと4名となっております。他の学年も募集しております。
教材準備の都合のため、12月18日が冬期講習受付の終了日となっております。よろしくお願い致します。
年末年始のお休みについてですが、12月30日(月)~1月3日(金)まで通常のゼミはお休みとさせて頂きます。
現在新入会者が入れる曜日は火曜日、金曜日だけとなっております。
厳しい寒さが続いております。体調管理には十分お気をつけ下さい。
ツイッターに於いても、フェイスブックに於いても、過去の僕の原発・放射能記事に関して、迷惑メールや迷惑コメントが乱打うちの如く送られてくるので、メールの内容にかかわらず、このところリクエストや返信の要求に対してしばらく沈黙していた。
ブログもそろそろ潮時かなと思っている。書きたいことが山ほどあるが、違う発表の仕方があるのではないかと、現在模索中だ。
メールやコメントに関して、かなりのフレーズを禁止ワードにしているので、僕の目に触れることなく仕分けされてしまっているメールなどもあるだろうと思う。ご了承願いたい。
原発擁護派の輩が、ウエーブ上で息を吹き返してきた理由はいろいろあると思うのだが、原子力発電所の崩壊から3年近くが経ち、放射能による疾病が深刻さを増していない状況を追い風に、原発反対ブログを攻撃しようとの意図があるのだろうと思う。
世論が安倍政権の悪政に引っ張られ、原発や放射能問題に対する世間の関心が、薄くなっていることはいがめない。
僕も霞を食べて生きているわけではない。受験指導に多忙なこの時期、ブログにやって来る迷惑メールに付き合っている暇はない。
僕が反応もせず、異論も唱えないことに肚を立てておられる方々も多いようだが、それはそれこれはこれだ。
本気の情報を流せば、いつもの如く炎上の危機にさらされるのは目に見えている。根拠はなんですか。真実ですか。売名行為ではないのですか等々。
確かに放射能関連の記事を書き続けてきた僕のブログは、多くの方々に読まれるようになった。しかしだからと言って、僕の塾が繁盛したとか、お金になったとか、そんなことはいっさいない。
それどころか幼児教室をやっている自宅の除染費用に、僕のわずかな蓄えが消えてしまった。冬タイヤを買う余裕さえない状況だ。
高校で講師をして頂いている給料が、そのまま塾の部屋代に飛んでしまうこともしばしばだ。
愚痴を言えばきりがないが、それはそれこれはこれだ。
しかしなんとか、今年も無事に年を越せそうだ。ありがたい。家族に感謝。保護者の皆さまに感謝。そして自分にも感謝しようかな。
昨日自宅に帰ると、茶の間のテーブルに関西方面のおみやげが山積みになっている。
高校3年生の次男が、部活の後輩から頂いた修学旅行のおみやげだった。義理なのか、もしくは本当に慕われているのか、僕にはまったく経験のない光景にびっくり。
息子を見ていると、何事もマイペースで、ちゃっかりと人生を渡り歩いている。特に高校に入ってからは、友人、先輩、後輩に恵まれ、充実した高校生活だったようだ。
高校時代孤独癖が強かった僕とは違い、なんと自由闊達な息子だろうか。正直うらやましい。学校の勉強は一切そっちのけで、部活の卓球と読書に明け暮れた3年間だったが、そんな次男も来年は大学生だ。
ところで僕が講師で行っている一関修紅高校は、2年生が今日から沖縄へ修学旅行だ。
「先生おみやげ買ってくるからね」という嬉しいお言葉を頂いた(笑い)。息子にライバル意識を持っているワケではないけれど、沖縄のお菓子はどんな味だろうと、ちょっと期待しているかねごんではある。
僕は高校の時に自分の自主的判断で、修学旅行に行かなかった。団体旅行が好きじゃなかった。今でもそうだ。
これから頑張ってお金を貯めて、いつか足腰が丈夫なうちに、ユーラシア大陸・ヨーロッパを鉄道でのんびり旅行してみたい。もちろん女房を連れて。
夢は枯野を駆け巡る・・・・。
様々なところから忘年会のお誘いがあるのだが、夜の仕事をなりわいとしている塾教師には残念がら忘年会に参加する時間がない。
それどころか、来月から始まる受験シーズンを前にして、待ったなしのノンストップの日々である。
ところで、先日12月6日に市内日形小学校にて、サンタの格好をして歌をうたってってきた。『送別の歌』という新曲を披露したのだけれど、前回の公民館祭りの時と同様、今回も多くの方々に身に余る賛辞を頂戴した。恐縮である。
人形劇を毎年小学校で披露しているおはなしポケットのお母さん方のレベルもただ者ではない。僕のサンタの登場はおまけみたいなもので、もう練習と長い準備をついやした人形劇は、本当に毎回感動する。
お母さん方の人形劇の感動も相まって、歌っている時にふと目線を上げると、涙ぐんでいる児童と先生がいる。歌っている僕も思わず涙腺があやしくなり苦労した。
今回と同じパーフォーマンスを、今度は12月13日(金)に金沢小学校の児童を前に、金沢公民館で行う。夜の忘年会はなかなか参加出来ない僕だが、今年最後の歌を披露したいと思う。
震災後、まだまだクリスマスどころではない多くの方々がおられる。3度めの寒い冬を仮設住宅で迎える方々も多い。
昨日の夕方から降り始めた雪で、一関は真っ白な風景になった。ことしの冬、初めての積雪だ。自宅裏の里山も寒々とした光景に変身だ。本格的な冬がみちのくに訪れた。
軽トラックの冬タイヤが、夏からずっと取り替えていなかたので、ちょっとやばい状態になっている。お金に余裕がなかったので、ついつい取り替えないで雪のシーズンを迎えてしまった。中古屋さんに行って、使えそうなタイヤを物色してこようと思う。
さて学校では三者面談が始まる。僕の塾ではあえて面談のお便りを出しませんが、いつでも午後の空き時間は進路相談、教育相談に対応していますので、遠慮なくご相談頂ければ幸いです。
冬期講習も受験学年のコースは半分が埋まりました。昨日も講習料の件で問い合わせを頂きましたが、何かと入用な師走ということで、支払いが大変なご家庭も多いことと思います。納入は今月末日まででよろしいですし、分割を希望したい方は、ご遠慮なく申し出てください。個人塾なのでどうのようにでもなります。
今後雪道の季節となり、保護者の方の送迎も大変になります。なにとぞ安全運転だけは十分に心がけて頂ければと思います。
機密情報を漏えいした者への罰則を強化する特定秘密保護法が6日夜に再開された参院本会議で、自民、公明両党の賛成多数で可決、成立した。野党側がさらなる審議を求める中、与党は採決に踏み切った。これにより、防衛、外交、スパイ活動防止、テロ防止の4分野で、閣僚ら行政機関の長が「特定秘密」を指定し、漏えいした公務員、民間人は最高10年の懲役を科される。恣意(しい)的に秘密指定されかねず、チェック機能も不十分など「知る権利」侵害への危惧は残ったまま、公布から1年以内に施行される。(時事通信)
国民の知る権利を剥奪する法案が成立した。戦前の治安維持法に匹敵する悪法が施行されることになる。
国民の利益よりも、権力者の利益が優先される状況が生まれることは火を見るより明らかだ。過去の歴史が証明している。
軍国化して行くであろう我が国の将来は、決して明るいものではない。隣国のように徴兵制度が生まれる可能生もあるだろう。
悪魔の采配に身を委ねてしまった政治家。お金と権力のために魂を売ってしまった政治家を阻止できるのは、国民の善なる叡智と光だ。言論や思想を封じ込められることだけはあってはならい。
学校の先生をはじめ、教育者達は国家権力の手先になってはいけない。軍国化を阻止し、立ち向かう若者を育てる義務がある。
国家や権力に物言えない教育者であってはならない。それぞれが保身に動けば、この国は危うい。
昨日と今日で年賀状を作成してプリントアウトした。我ながら渋い年賀状が出来た。誰も褒めてくれないので自画自賛である。
今年も大詰めとなった。今年を振り返ると実に多くの体験と感動があった。
まずは3月にケータイを買ったこと。早池峰の山開きに、12年ぶりに登ったこと。生まれて初めて飛行機に乗って愛知・岐阜を訪れたこと。
関ヶ原の探訪は、僕の中の何かにスイッチが入ったし、円空仏との邂逅は、僕の精神性を蘇生させてくれた。上野先生、美川先生、そして永田先生をはじめてとして、多くの先生方に感謝したい。
20年ぶりに読書三昧の秋を謳歌した。何かに憑かれたように歴史小説を読みあさった。秋に読んだ歴史小説だけでも50冊ほどになる。
それと10年ぶりにいい曲が出来た。これも誰も褒めてくれないので自画自賛である。長年曲を書いてきたが、集大成の歌が書けたような気がする。
夏以降塾の教室の指向性が変わった。これは四畳半スクールの永田先生の影響である。自分の趣味嗜好を全面に押し出してこそ、THE個人塾である。
手作りのスピーカーを設置し、ジャズを聞いてストレスを開放している。塾らしからぬ趣味嗜好は、決して蛇足ではないと思っている。それが証拠に、生徒の集客も塾生の成績の向上も順調である。
今年を象徴するのは、教室に飾った絵画と、そしてこの夕焼け空だろう。
この夕焼けと出会ってから、僕は覚醒した気がする。紛れも無く自然は素晴らしい。
自民党の石破茂幹事長が市民団体のデモを「テロ行為」になぞらえた問題で、国会周辺で特定秘密保護法案に反対する活動をしているグループのメンバーが3日夕、東京・永田町で記者会見し、自民党本部の担当者が電話で「テロと言われてもいいくらいの暴力的なことを、表現の自由を盾にやっている人たちはたくさんいる」と発言したと明らかにした。
石破氏との面会を求めて3日午前、グループの神原元弁護士が党本部に電話をした際の発言。神原弁護士は会見で「石破氏個人ではなく党の体質だ」と批判し、通話を録音したCDを配布した。(共同通信)
石破氏は理知的な物の言い方をする方で、けっして不用意な失言をする人間ではなかった。その彼がこのような発言をするところを見ると、自民党のタガもだいぶ緩んできた感がする。
安倍さんを見ていると、どこから操り糸が垂れてきているのか分からないけれど、ステージで踊らされている人形のようだし、石破さんは、雰囲気だけで何とか政治の体裁を保とうとしているようだが、心の思惑と乖離しているのは明らかだ。
それにしても、振り子のように揺れる国民の選択肢も短絡的だが、権力の太鼓持ちをするばかりで、国民の利益を重視しない政治家および政党は、お粗末過ぎる。
日本国憲法の国民主義という言葉を、大人の政治家さんたちは、実は理解していないんじゃないだろうか。もう一度小学6年生の社会科を学び直して欲しいものだ。
今年の夏の講習会は、残念ながら反応がさっぱりだったが、冬期講習会の方は、昨年を上回る反応の良さである。
来月中旬のセンター試験、そして附属中学校の入試をかわきりに、受験入試が始まる。
まだまだインフルエンザの予防接種を済ませていない受験生がいるようだけれど、早急に接種をして頂きたい。
さて今週の金曜日12月6日と来週の金曜日13日は、一関市内の小学校に行って、おはなしポケットのお母さん方と一緒にサンタミニライブをやって来る。今回は新曲の披露もある。明日辺り構想をねるつもりだ。
ということで6日と13日の塾は、夕方4時まで塾が開きませんのでご注意下さい。
それと年末年始のお休みですが、通常のゼミは12月30日より1月3日までありません。新年の塾は1月4日の土曜日からスタートです。尚冬休み期間12月25日~1月8日までは冬期講習がありますので、通常のゼミは4時スタートとなります。よろしくお願いします。
冬期講習の申し込みは12月18日締め切りとなっております。受講希望の方は、早めにお申し込みください。今日現在で中3のコースは4分の1ほどがうまりました。
朝と昼の温度差が激しい今年の師走です。京都への修学旅行から帰ってきた塾生が、京都のほうが一関より寒かったと言っておりました。
一関は寒いんだかあったかいんだか訳の分からない日が続いています。特に受験生のみなさん、体調には十分お気をつけ下さい。手洗いうがいを忘れずに。
今日は塾からの大切なお知らせでした。
NHKの最高意思決定機関である経営委員会が、NHK執行部に対し、インターネットサービス充実のため、受信料制度の見直しを求めたところ、テレビがなくても全世帯から受信料を徴収する義務化を明記した回答文書を提出していたことが2日、分かった。(毎日新聞)
安倍独裁政権は、いよいよ牙をむき出してきた。糸切り歯のようにカモフラージュしていた牙が。
次から次へと自民党人事を駆使し、改革案を持ち出し、法律を国会で通して行く。数の論理からすると当然だろう。国民の意思などお構いなしだ。
国家予算が足りないのは重々承知しているが、国家公務員や国会議員、そして税金が優遇されている宗教法人、医療法人などなど、メスを入れるところはたくさんあるだろう。
消費税や受信料など、取れるところかなんでも取ろうという態度は許せない。
3日前から宮城県小牛田に鎮座する山ノ神神社の神様が、僕に来なさいというテレパシーを送ってきた。
そこで本日一緒に行きたいという女房を軽トラックの助手席に乗せ、コノハナノサクヤビメが待つ山ノ神神社に向かった。
国道4号線から美里町に入ってからというもの、信号待ちのたびに対面の車が77のプレート番号の自動車。連続6回も。いつもの奇跡が始まった。、女房もこの現象にはもはや呆れ顔。
自宅から1時間20分ほどで到着。祈願の用紙には、息子達が無事成長したことへの感謝と記入した。神前にて神主さんに祝詞をそ奏上して頂いた。なんだか知らないけれど、涙ぐむほどいい祝詞だった。
水沢駒形神社のコノハナノサクヤビメも、小牛田山ノ神神社のコノハナノサクヤビメも、77がお気に入りのようだ。
ちなみに神社から4号線に出るまでの帰り道、僕の軽トラックの後ろにはずっと7719のプレート番号の車がついて来た。
我が家では、僕の祖母の代から100年近く山ノ神神社の神様を崇拝してきた。安産子育ての神様である。もちろん塾を営む僕にとっても欠かせない神様だ。
今日塾に着くと、即、冬期講習受講の電話が入った。これも神様の導きだろうか。
+当塾の冬期講習の日程が12月25日(水)からとなっていますが、この日まで登校の中学校に関しては、補講日を設けます。よろしくお願いします。
東京電力は1日、福島第1原発で汚染水の放射性物質を大幅に減らす装置「ALPS(アルプス)」1系統で薬液がにじみ出るトラブルが見つかり、汚染水処理を始められない状態になったと発表した。
同原発では現在、3系統あるアルプスのうち2系統で試運転が行われていたが、トラブルが判明したのはそのうちの1系統。汚染水処理の「切り札」と位置付けられているが、これまでもトラブルが相次いでおり、安定的な運用のめどは立っていない。
東電によると、1日朝、汚染水処理を始める前に、アルプスでアルカリ性の処理水を中和するために使われる塩酸が供給ポンプの出口継ぎ手部分からにじみ出ているのが見つかった。にじみ出た量は約1リットルで、漏えい箇所の周囲をポリ袋で覆う処置をしたという。
原因は分かっておらず、このアルプスを待機状態に設定した。(時事通信)
最近皆さんも感じていることだろうと思うけれど、東京電力は正直にというのか、隠すことなく震災の崩壊によってメルトダウンした福島第一発電所の処理能力の失態や事故をリークしている。
今回の『漏えい箇所の周囲をポリ袋で覆う処置をした』などという表現などは、東京電力が、実は崩壊した原子力発電所の修復工事に、自らが限界を感じているのではないのだろうかという危惧が、僕には伝わってくる。
巨大な利益をもたらしてきた原子力発電所を讃美しつつも、次から次へと、崩壊した原子力発電を修復するために吸い取られていく経費に対しての動揺と、作業の困難さに、本当は途方にくれているのではないだろうか。
東京電力は実は、放射能汚染の処理に対してSOSを発しているのではないだろうか。
僕の恐れが単なる危惧であることを祈りたい。
お気に入りの女性ボーカルのアルバムを挙げろと言われれば、躊躇なくキャロル・キングのタペストリーとこのノラ・ジョーンズだ。
もちろんジャズのシンガーも素晴らしい方々がいらっしゃるが、僕にとって上記に挙げた2枚のアルバムは、ジャンルを超えて、キラ星のごとく輝いている。
曲に対する思い入れがないとは言わないが、なんというのか彼女たちの声のトーンと曲の相性が最高だと思う。そしてこのアルバムを作成したスタッフの半端じゃない情熱が伝わってくるのである。
特にノラ・ジョーンズのターンミーオンを聴いていると、音楽の真髄に触れたような、そんな感覚に浸ることが出来る。
音響・楽器・録音機材・編集・スタッフ、全てのバランスが共鳴して、名盤は生まれる。キャロル・キングやノラ・ジョーンズには失礼な話かもしれないが、その他のアルバムが素晴らしいかと言えば、残念ながらそうとも言えない。
アルバムのジャケットデザインが素晴らしいと、中身も素晴らしいという音楽業界の都市伝説みたいなものがある。
僕にとって、全てが兼ね備わったアルバムの一つが、このアルバムであることは間違いない。
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