失われた60年
60年前に産院で他の新生児と取り違えられたと東京地裁が認定した東京都江戸川区の男性(60)が27日記者会見し、「時間を戻してほしい。実の両親に育ててもらいたかった」と心境を語った。
男性は最初に取り違えを知らされた際、「そんなことがあるわけがない」と、信じることができなかったという。
実の両親は既に他界していた。「この両親に育ててもらいたかった。生きているうちに会いたかった」と、しみじみと語った。(時事通信)
取り違えられた家族の経済力は、あまりにも違っていた。訴えた彼の育ての父は、彼が2歳の時に他界し、苦労の多い人生を送った。高校にも入ることが出来なかった。
一方本当の両親の家庭は、裕福な家庭で、兄弟全員が家庭教師が付き、全員が大学に進学していた。本来自分が育てられるべき家庭の状況を知った彼の慟哭はいかほどだったろうか。
この小説のような話は、他人ごとではないだろうと思う。いかに家庭環境によってそれぞれの人生が左右されるのかを物語っている。
裕福な家庭に生まれたから、素晴らしい人生を送ることができるとは言いがたい。しかし、お金がないゆえに、何かを諦めなければならない人生というのはある。
ただ、親が早く死んでも、家にお金が無くても、人生を切り拓き成功をおさめて行く人間も多くいる。
赤ちゃんを取り違えた病院の責任は大きい。あってはならないことだ。全く自分が関与しないところで、過酷が人生が選択されていくことは、本当にやるせないことだったろうと思う。
訴え出た彼のこれからの人生が、60年の時の流れを悔やむ人生ではなく、今後に生かされる人生であって欲しいと、僕は心から願う。
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