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2013年11月27日 (水)

読了まで40年かかった歴史小説

中学校時代に読もう読もうと思っていて、40年近くも読まずじまいだった歴史小説があった。山本周五郎の『樅の木は残った』である。伊達騒動を題材にした、山本周五郎渾身の時代小説である。

一関藩主の伊達宗勝が悪役として登場するのが、心情的に読むことを自分が拒んだのか、単に長すぎるので読まなかったのか、長い年月が経って、当時の自分を正確に思い出すことが出来ないのだが、40年の歳月を経て、本日読了した。

主人公が死んで終わるのが、たいての時代小説であるが、この作品も御多分にもれず、主人公の原田甲斐は討ち死にし、伜や孫までが死罪となり、原田家は消滅して作品は終わる。 

伊達62万石は救われ、伊達藩の分割を企んだ一関藩主宗勝は土佐に流され、小説は幕を閉じる。

一関藩の城だった釣山は、現在一関の花の名所として春は桜、夏は紫陽花が城跡を華やかに飾る。現在の釣山公園は、平安時代、安倍貞任の弟である家任が砦を築き、古来は坂上田村麻呂が 東夷東征の際陣を張った所だったと云われ、鎌倉時代以降は葛西家の統括地であった。

戦国の世を経て、伊達政宗が一関を仙台藩に組み入れるのであるが、政宗の子伊達宗勝が父より分知を受け一関藩を開く。その 伊達宗勝(むねかつ)は伊達騒動により土佐に流され、田村建顕が再興する。それが田村藩の始まりとなる。

『樅の木は残った』を読むと、とても切ない気持ちになる。封建の世とは言え、殿様が失脚すると、その子どもや孫、家族全てが死罪となる状況は、読んでいて本を閉じたくなってしまう。

よちよち歩きの子どもまでが打ち首というのは、本当にいやな時代だ。かつて平家が幼子の源頼朝を生かしたばかりに、反逆にあって滅亡させられてからは、それを教訓として、家系をまるごと断罪することがならわしとなった。

哀しいかなである。

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