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2013年10月31日 (木)

読書について

今でこそ敎育に関してはそれなりのポリシーがあってやっている僕だが、20代の終わりに塾屋を開業した僕の意図は、思う存分本を読みたかったからだ。

他界した父に代わって、家族を養うとか、日銭を稼がなければならないとか、まあそれらしき大義名分はあったのだけれど、夕方から始まる塾屋という仕事ならば、心置きなく好きな本を読むことが出来るのではないかという、そんな身勝手な野望があっての選択だった。

自他ともに認める活字中毒である。本を読んでいさえすれば、心が落ち着く人間である。本を読み続ける先に何かあるのかと言えば、これと言った目標点はなく、まあ、本があるから読んでいるという状況であり、惰性以外の何ものでもないだろうと思っている。

大学に進んだのも、本を読む時間が果てしなく取れるだろうという魂胆だったし、ずっと塾教師をやってきたのも、好きな本を読む時間が確保出来るだろうという、勝手な腹づもりだったような気がする。

何の取り柄もない人間だが、人間を観察する能力や、光景から喚起される生命の連鎖反応みたいなものをキャッチする直感のようなものは、小さい頃からの読書によって培われてきたものじゃないかと、ちょとだけ自負している。

読書は単なる暇つぶしかも知れないが、お金のかからない精神修行だと思う。古本屋で見つけてきた100円の文庫本が、のっぴきならない非日常性を醸し出し、人生観を根こそぎひっくり返すなんてことがあるわけだれども、その読書時間が、年齢と共に失われてきてしまったのは残念だ。

パソコン・ケータイ・ツイッター・ファイスブックなどなど、本を読む時間が吸い取られて行く。タブレット型の機種を使って作品を読むというこを考えないでもないが、やはり本を片手にじっくり読むことが僕は好きだ。

本を読むことは僕にとってやっぱり精神修行であるし、感性の枯渇を防御する処方箋である。

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