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2013年10月 6日 (日)

カミングアウト  序章編

突然の嵐のように人生に哀しみがやって来た時に、多くの人は運命を嘆くかも知れない。

でもその哀しみの本質は喪失感でしかない。手にしたものを奪われる喪失感。それは財産もそうだろう。若さもそうだろう。友達や恋人もそうだろう。究極的には生命もそうだ。

その喪失感は本当は幻想に過ぎない。何も失ってはいない。ただめぐって来て、そして去って行っただけだ。

僕が精神世界を熱く語るのは、宗教を信じているわけではないし、特定の神様を信仰しているからでもないし、何かのイデオロギーに耽溺しているからでもない。

家内のシュタイナー教育をサポートし、多くの子どもたちや親御さん方のカウンセリングをやってきた僕は、普通の人間よりスピリチャル性が高いのかも知れないが、どこにでもいる普通の初老のおじさんだ。

あまり自分の素顔をブログに晒すことがない僕だが、7月に岐阜に出向いた時に上野塾の上野先生に撮ってもらった写真を公開した。それがこの写真だ。

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この品のない顔の何処にも神聖さなどない(笑い)。しかしひょっとすると普通の人よりは不思議な経験の数は多いかもしれない。それだけのことだ。

昔にブログで書いたことだがもう一度お付き合い願いたい。僕は20代後半まで全くの無神論者で、前世も来生も信じていなかったし、1番大嫌いなのは宗教だった。中学3年の時、近くの神社の神様に高校合格を願って100円もあげたのに見事落っこちた(笑い)。それ以来神社もお寺も祈願なんかに行ったことなどなかった。

そんな僕に転機が訪れたのは55歳(数え年56歳)で父が他界した時だ。火葬が終わった夜、当時生後10ヶ月になる息子が猛烈に泣きだした。夜泣きなどめったにしない息子の泣き声に僕は目が覚めた。

その枕元に孫をあやすかのように立つ父の姿を見た。葬式の準備やら火葬やらで疲れた僕は、寝ぼけて幻覚でも見たのだろうと思った。しかし家内も見えると言う。

驚きというよりも困ったと思った。死んだらおしまいという僕の感覚が、音をたてて崩れていった。それからだ。僕の人生は変わって行く。

いろいろ書きたいことがあるのだけれど、この父との別れ以上に僕を揺さぶった出来事は7年前のことだった。このこともかつてブログ記事に書いたが再び書かせてもらう。

その年は宣伝をするわけでもなく、塾の実績が華々しいわけでもなかったのに、中学3年生が一杯入塾してきた。僕は教室で何気なくつぶやいた。「どうして今年はこんなに塾生が入って来るんだろう」

突然僕の身体に声が聞こえてきた。

「お父さん、僕のソウルメイトたちだよ」

長男の下に、この世に誕生しないでしまった息子がいた。大きくなっていれば、その年中学3年生だった。僕は教室で一人号泣した。彼のことをすっかり忘却していた僕はかれに謝った。塾生が入らず困窮している僕を、彼は助けてくれたのだろうと思う。

僕は今回のこのブログで、さらなる僕の体験をカミングアウトして行くつもりだ。

・・・続く。

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