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2013年10月 7日 (月)

カミングアウト~大地編~

僕は塾で生徒を教えるかたわら、29歳から百姓になった。1ヘクタールほどの田んぼと少々の畑を耕し始めた。

父の手伝いはしたことはあっても、自主的に自分で農地を耕すことは全くのはじめての経験だった。いつ種をまき、どこで追肥をやり、どう管理するかなど分かるはずもなく、隣人のじいさま達がする仕事を真似ながら、なんとかお米を作っていた。

貧乏百姓である我が家に、トラクターやコンバイがあるはずもなく、小さな機械をトコトコ動かしながらの日々だった。

実家に戻り塾を始め、百姓を継いだ3年後、東北を寒い夏が襲った。寒くて8月は半袖姿でいることが出来なかった。1年間の労働の報酬は、わずか10キロにも満たないササクレたもみの収穫だった。

今でも覚えているが、僕は田んぼの土手に仰向けになって、秋の空を見ていた。こんなはずじゃなかった僕の人生はと。

大学での教職課程をほっぽり出して音楽にのめり込み、塾などというやくざな商売を始め、農業はこれまたしんどい割には実り少なく、借金こそしなくて済んだものの、通帳に残った残高は、いつも雀の涙だった。

その翌年の春、築20年になる家の屋根のトタンが錆びたので、高校の同級生が営むペンキ屋さんに屋根のペンキ塗りをお願いした。その時に同級生のお父さんから、自宅裏に祭っていた石宮が、竹やぶやら雑草に埋もれていたのを、叱られた。

「ご先祖が祭ってきたものは大切にして、そしてきれいにしておかなけりゃだめださ」と。痛恨の失策だと僕は思った。

石宮の中でボロボロになっていた御札を焚き上げ、石宮の土台を新しくし、独立する前に勤めていた塾があった水沢の駒形神社の御札を頂いてきてお祭した。そして毎月1日と15日はお水とお米とお神酒をお供えした。

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これがその当時の写真である。それからしばらくして僕は不思議な夢を見た。この石宮に多くの方々が行列してお参りにやってくる夢を見た。700人、いや1000人は行列を作っていただろうか。

僕はその夢を見て、塾でメシを食べていける気がした。あてはなかったのだけれど、翌年から田んぼを半分以上休み、塾に専念した。

あれから20年が経った。どうにか塾教師として家族を養ってこれたことに感謝で一杯だ。

そしてこの石宮に祭った駒形神社の御札が縁となり、新たな奇跡が僕の周辺で起きていく。

・・・・続く。

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